声に出して読みたい言葉「お美味」(台湾入院日記)
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いい匂いがした気がした。
目を開けて、いい匂いの気配を追う。赤いビブスを着たオバちゃんが、朝のお弁当を雑に置いていくところだった。足は折れても、動物的カン、健在。
わたしは食べものを鼻先にぶら下げられると素直に動く人間である。デパートの屋上で、100円硬貨を与えられたら動くパンダの乗り物ぐらい、素直に。
8月2日 朝。
さっそく食べようかと身体を起こすと、お向かいさんがなんだか慌しい。やはり手術の準備がはじまっているようだった。どこを開刀されるんだろう?他人事とは思えず、心の中で「ファイティン」と唱えておいた。
お弁当に手を伸ばしたちょうどその時、吳先生が朝の回診にやってきた。包帯をほどいての消毒と診察タイム。そこで耳を疑うような言葉を口にする。
「この感じやと、明日か明後日には退院できるんちゃう?」
待て待て!
そんな殺生な!
ちょっと待ってくれ!!
そんなに早く放り出されたら、こちらの準備が間に合わない。現時点では、帰国のサポートをするに足る案件か、保険会社から見定められているところだ。
「いま帰国の調整中です…!」
「退院しても行くところがない!(ぴえんの絵文字)」
お宮の気持ちで追いすがる。
「あぁ、そういうことね〜」と一定の理解は示してくれたように見えたが、ボヤボヤしてるヒマはない。身体を治す以外にすることがなかった入院患者が、いよいよ「ご多用」になる。
保険会社とのやり取りをスピードアップしなければならない。そのためにはメシだ、カロリーだ。エネルギーを蓄えろ。吳先生が去るやいなや、お弁当を開ける。
黒糖風味のパン、炒り卵、青菜の炒めもの、揚げ豆腐の炒めもの、おかゆ。パンと米、炭水化物が2品もあることに、わたしの脂肪たちがどよめいた。
食べ終わったらミッションスタートである。とにかく、早く結論に到達しなければと気持ちが焦る。できるだけ要点を整理して、メールをしたためた。
指に力をこめてメールをしたためているあいだに、夫からLINEが届く。
「いま週末の高雄行き予約した」
おぉぉ!??マジか!
5日の便で仕事仲間と一緒に帰ろうものなら、雲の上で夫とすれ違うことになる。そんなアホな。
帰国サポートが受けられるのか、今すぐにでも答えをもらわないと、もういろいろ立ちゆかない。国際電話の発信を試みるも、自分のiPhoneには台湾での通信用にeSIMを設定しているからか、うまくいかなかった。
解決しないといけないことが怒涛のように押しよせ、いつのまにか2時間が経っていた。朝メシ後に保険会社へ送った渾身のメールには、まだ返事がない。
しびれを切らし、看護師の謝さんに教えてもらった「日本台湾交流協会」(国交がない台湾で領事館的な役割をしているところ)に、病院から借りたスマホ(台湾国内発信専用)で電話をする。
「かくかくしかじかで、帰国の目処がつかないうちに退院になるかもしれなくて。日本にある保険会社のオフィスとの交渉を手伝ってもらうことはできませんか?」
「ご本人が亡くなってたり、意識がない場合にはお手伝いできるのですけどねぇ…」
生きてる限りは自分で頑張れ!
平たく言うと、そういう答えだった。
もう埒があかねぇ。東京にある保険会社のオフィスに、日本にいる夫から、電話してもらうよう依頼する。その間にも、台湾鉄道の車椅子サポートや電車の予約方法などなど、一緒に帰る方法を仕事仲間たちが調べてくれていた。
歩けない人間が移動するというのが、こんなに大変だとは…。
いくつものステップをクリアするため、情報を集めてメッセージをくれたり、関係機関に連絡をとってくれるありがたさ。事故に遭って以来、人のやさしさに生かされていると、しみじみする。
ふと気持ちが緩んだ時にまた、いい匂いがした。
いつのまにか、昼のお弁当が届いていた。
フタに描かれた、ファンシィなイラストと「お美味」の文字。
おびみ。
情感たっぷりに書かれた「お美味」に、心が持っていかれる。
「お美味」の中には、骨付き薄切り肉が豪快に乗ったご飯に、もやしの炒めもの、青菜の炒めもの、ブロッコリーとトマトの炒めもの。そして薄味のスープ。
ついさっき食べたような気がするのに、脳がもうカラカラに干からびそうだった。ベッドの上で体力を消費していく、ご多用な入院患者。箸で切れる肉に、心身がみるみる癒やされていく。
そこに夫から、保険会社と電話で話せたと吉報が入る。
桃園空港から帰るとなれば、台北まで移動しないといけない。高雄から桃園までは、およそ330Km。これは、大阪市内から静岡駅まで行けるくらいの距離になる。
いくら仕事仲間が助けてくれるとはいえ、多大な労力をかけることは間違いない。帰国サポートが受けられるなら、手配される帰国便を待つのが良いだろうだとようやく方針が決まって安心できた。
そのうちに、お向かいさんがご両親に見守られて戻ってきた。昨日わたしが着ていたのと同じ、青い手術服を身につけて。右足にぐりぐりと包帯が巻かれている。
あちらは右足で、こちらは左足。
だからなんやねん!という意味のないことを、クタクタの頭でぼんやり考える。もう頭がはたらかない、眠りたくて仕方なかった。
目を覚ますと、夜のお弁当と、仕事仲間からのメッセージが届いていた。
「今から行きまーす!」
「眠っていたので、お土産を足元に置きました!ゆっくり休んでくださいね^^」
こってり眠ってしまって未読のままだった。確かに、足元にお土産が入った袋が置かれている。
お向かいでは、家族が一緒に食事をしている様子だった。カーテンの隙間から見える光景に、同じように見舞ってくれた仕事仲間たちのことを思い、落ち込む。
悪いことしたなぁ…。
今日の話、聞きたかったなぁ…。
落ち込んでもハラが減るのが、なんというか、わたしのいいところであり、デリカシーのないところだと思う。本能には逆らえず、落ち込みんがら夜のお弁当に手をつける。
手羽元のグリルが乗ったごはん、豆腐をなんか黄色いやつで炒めたもの、おなじみ青菜の炒めもの、冬瓜っぽい煮込み系のなにか、薄味のスープ。
窓から見える変わらない景色を横目で見ながら
もそもそと、米と孤独を噛み締めた。
仕事仲間たちは明日、高雄を離れ台北に向かう。いよいよ、ここでひとりぼっちになるのだな...と弱気になる。
しょんぼりしていると、お向かいのお父さんがカーテン越しにサイドボードをノックする。
な、なにごと?
思念がうるさかったかな?
おそるおそる応答すると、茶色い蒸しパンを差し出している。
「これ、もろてんか!」
と言っているようだった。
台湾人はもてなし好きだと、出発前に見たどこかの旅ブログに書いてあった。そう書かれていた通り、ほんとうに親切で、もてなしの心が深いのだなぁ。
わたしをはねたオバハン以外。
蒸しパンはありがたく頂いた。
その後、保険会社とのメールは夜中の2時過ぎまで続いた。その甲斐あって、帰国ルートは高雄空港→関空で決まったし、明日にはあちらから電話をくれるという。
仕事仲間たちは台北へ出発する前にもう1度きてくれるだろうか。今日ムダ足を踏ませてしまったし、旅程もミシミシに詰まっているのだし、もう来てくれないだろうか。
ひとり取り残される寂しさから目を背けたくて、目を閉じた。
帰国へのハードルを1つ越え
気力を取り戻した身体に、やはりメシを詰め込む。
次回、胃袋に詰まるは父の差し入れ
(9月3日夜 更新予定)
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