ゆく女くる女(台湾入院日記—日本編—)
「このままやと歩かれへんで」
そう言い放つのは、リウマチに悩む人々のオアシスと言えそうなほど、やってくる患者が絶えない整形外科の院長・Y先生。お盆明けのことだった。
いま思えば、同じ意味のことを初めて診察に訪れた日に言われていた気がする。
巻き戻して確かめてみよう。
8月9日 17時すぎ。
魂を置き去りにしてきたような帰宅を果たしてから4時間後。わたしは、台湾にいるうちに調べておいた自宅近くの整形外科へ傷の消毒に来ていた。
込み入った事情は、事前に電話で話しておいた。受付では保険証と一緒に、台湾で撮ったレントゲンのデータが入ったCD-R、診断書、処方された薬袋も渡しておく。
中国語がびっしり書かれた薬袋に、受付がどよめく。
分かる。分かります。
「おぉ」っと思わずのけぞってしまう、その気持ち。
診察の順番が回ってくるのには1時間ちょっと必要だった。リウマチを患う人って多いんだな。いつか自分にもお鉢が回ってきたら、その時はここに来よう。
名前が呼ばれ、レントゲン室に案内された。
正面、両サイドと、3方向からの撮影。そういえば、台湾での手術後にもレントゲンを撮っているはずなのだけど、画像は見たことがなかった。今、わたしの足の中身はどうなっているのか。
こうなってました。
物々しい!
想像以上にネジを打ち込まれていた。足だけ見れば、ほとんどロボやん。
Y先生はレントゲン写真を食い入るように眺め、何やらひとりごちている。「フゥン…」と、ため息ともつかない含みのある声を漏らし、薬袋の解析に取りかかった。台湾で受けた治療の全貌を解き明かそうとしてくれているようだった。
薬袋と薬辞典を見比べ、あらためてレントゲン写真を見、「まぁ、この金具は抜かなあきませんわな」と総括した。
「まじすかー」
何度も手術するのが嫌だったので、金属は入れたまま生きていこうと思っていた。印籠こと吳先生の診断書を、金属探知機に出合うたびに繰り出そうと。
「取らんとこうと思ったんですけど、取らなだめですか」
「取らなあかんと思うよ」
「うーん...そうかぁ。ちょっと考えます」
このやり取りだ。
すでにこの時、再手術への道は拓かれていたのだ。
この言葉の意味を、重みを、この時のわたしはまったく理解していなかった。考える余地などなかったのだと後に知ることになる。
台湾での再診時は剥がされずに済んだ大きな防水の絆創膏が、遠慮なくベリベリと剥がされた。退院前日に自治会長が先生に報告すべしと判断したほど滲んでいた血は、ほとんど乾いているようだった。
消毒を終えた足に、いかにもベテランそうな看護師さんが包帯を巻きながら言う。
「明日から台湾に旅行に行くのよ」
どんな巡り合わせやねん。
病院は明日の午後から1週間のお盆休みに入る。
台湾からようやく帰国して診察に来た女がいれば、台湾に行く女がいる。
「バイクにはくれぐれも、気をつけてください...」
わたしが台湾に関して言えるのは、とにかくそれに尽きる。これ以上ない教訓として受け取ってもらえたのなら本望である。
次の診察はお盆明け。
ふたたび無事に会えるか、気がかりを抱えて帰宅した。
高雄のホテルを朝4時過ぎに出て以降、9時間近い移動を経た足は、おもしろいほど赤黒く腫れていた。
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