胃袋に詰まるは父の差し入れ(台湾入院日記)
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見るからにフレッシュなキュート女子が3人、足元に立っていた。
親子ほども年が離れている可愛い子たちが、朝からお見舞いに来てくれるような徳は積んでいない。ここは桃源郷だろうか。
まだ開ききっていない目を凝らすと、測定器が載ったスタンドをしたがえてモジモジしている。あ、バイタルチェックか。いよいよ幻覚が見えるようになったのかと思った。
血圧計のコードをさばくのに四苦八苦してる姿が眩しくて、「わたしでよければなんぼでも練習し〜!」と、謎の親戚のおばちゃん性が顔を出す。
彼女らは看護実習生の陳さん、張さん、賽さん。以後、数時間おきの計測のたびに来てくれることになる。
8月3日、入院3日目。
朝のルーチンが終われば、まずはカロリー摂取である。今日も保険会社とのやりとりに精を出さなければ、明日にもやってくるかもしれない退院に備えられない。
メニューは謎味の黄色いパン、煮卵、青菜の炒めもの、ごぼう煮付け、お粥。どうやら朝は必ずお粥がつくらしい。味のないお粥は、どうしても進まない。
進まないお粥を持て余していると、お向かいにご両親がやってくる。きっと1日も欠かさず、娘さんに会いにくるんだろう。
コンコン
「ほい!これ食べなはれ!」
お父さんがビニール袋に入った何かを、また差し出している。目玉焼きのようなものが挟まったパンと、薄いベージュ色のドリンク。頂きすぎ…!
昨日もらった蒸しパンをお昼に食べようと思っていたので、自動的にこれは夕食になる。…お弁当を止めないと!とんでもないフードロスを引き起こす、地球に厳しすぎるマンになってしまう。
そこへ、謝さんがタイミングよくやってくる。
「昼と夜のお弁当の配送を止めてください…!」
地球に厳しすぎるマンにはならずに済んだ。
ただ、衛生的に厳しすぎるマンにはなっていた。
入院以来、お風呂に入れていない。不快さが大気圏を突破しそうだった。シャワーをしたいと懇願する。
「傷口は濡れたらアカンから、身体は拭くだけにしとき」
やむを得ない、それで手を打とう。7月31日朝ぶりのシャンプーが許された。シャワー室には椅子があるとはいえ、片足での立ち座りは命がけ。荷物置きから落っこちたメガネは自力で拾えないし、足が濡れないように編み出した姿勢は、四十路のひ弱な腰に効果てきめんのダメージを与えた。
普段なら苦労なくできることが、なにひとつできない。「もう堪忍して!」と泣きわめきたい気持ちをおさえながら髪を洗い終えたころには、肩で息をするほど疲れていた。
洗いあがりの髪が落武者のようになっている。
落武者ヘアを救ってくれたのは、国軍病院暮らしのパナソニックだった。
落武者から人に戻ったわたしを、呼びにくる人がいた。
「電話入ってるで〜」
保険会社だ!やっと話せる...未だ決まっていない退院後の行き先と、具体的な帰国日の話を!看護学生の2人が車椅子でナースステーションに連れて行ってくれる。
喜び勇んで受話器を取ると、電話の向こうにいる日本人女性のなんと声の小さいことか。基本声の大きい台湾に慣れたのか、それとも国際回線だからか。もしもーし!と言い合ってると、相手が変わる。今度は普通に聞き取れた。さっきの女性よ、腹から声、出そ。
電話口の女性は、以前夫とも話をしてくれたYさん。内容も言葉選びも明確で、いま必要なことや課題の整理など、話がサクサクと進む。
24時間体制の保険会社。時間帯によって担当者が変わるのはしかたがないけど、人の当たりはずれに知らず知らずストレスが溜まっていたようだった。
ストレスは買い物で晴らそう。ナースステーションに謝さんがいることを目視で確認し、切り出す。
「このまま買い物に行きたい」
吉本新喜劇ばりの「どっひゃー!」なリアクションを取りながらも、「しゃーないな!行き行き!」と送り出してくれた。
買い物といっても水とウェットティッシュだ。色気のない日用品だが、救急車でかつぎこまれて以来、限られた景色の中で過ごしてきたわたしにとっては、院内のコンビニが希望峰なのだ。
八角のいい匂いを放っていたエリアがコンビニに違いない。何が売っているのか見てみたかった。陳さんと賽さんが連れて行ってくれる。
病棟のエレベーターを1階で降りると、目の前がコンビニだった。例のいい匂いがする。
しかし、近くまで行って分かったこと。車椅子は中に入れない。コの字の狭い通路は人がすれ違うだけでも窮屈そうだった。車椅子は店の前で待機し、介助者に欲しいものを伝えてお金を渡すシステム。店前につぎつぎと車椅子の路駐が増えていく。
結局、いい匂いの正体は確かめることができなかった。無念。
「次はどこに行きたいですか?」
陳さんが聞いてくれたので、正直に答える。
「院内を散歩してみたかったんです」
「やー!おけおけ」と指でオッケーマークを作る。え、可愛すぎるやろ!天使か!!
天使が玄関へと車椅子を押してくれる。どうやら外へ連れて行ってくれるらしい。3日ぶりの日光、3日ぶりの外の風。
院内コンビニという名の希望峰をまわり、アフリカ大陸に到達した。大航海時代の幕開け!
右手に、病棟と渡り廊下で繋がっている新しい建物が見えた。そこに手術室があるのだと賽さんが教えてくれる。今日もあの建物の中で、きっと麻酔科の戴先生がゲラゲラと大きな声で笑っているんだろう。
退院する前に、もういちど会えたらいいのに、と思った。
病室に戻ると、またお父さんがコンコンとノックする音が鳴る。今度は、巨大なサラダの差し入れだった。
えぇぇ...。
見ず知らずの日本人に、なんでこんなに親切にしてくれるんだろう。折れないよう必死に繋ぎ止めている心に沁みる。
さすがに「お金を払わせてほしい」と申し出たが、「そんなもん、いらんいらん」と手をぱたぱた振ってあっさり断られてしまった。
今日の食事はほとんど、お父さんの差し入れで賄えてしまった。もはや差し入れの域を越え、ふつうに食わせてもらっている。胃袋にお父さんの優しさが詰まっていく。
「何品目はいっとんねん!贅沢の極みやろサラダ」。マヨネーズのようなドレッシングは、おそらくパッションフルーツソース。これがとても美味しかった。美味しすぎて1パック全部をいっきにたいらげた。
あまりにも施しを受けすぎている。お礼がしたくて、こちらに来る準備中の夫に相談していると、吳先生が顔を出す。
「8月5日に退院やで」
そう言って、診断書を置いて行った。左足首の金属プレートが確実に金属探知機に引っかかるため、この診断書が印籠となる。病院側では着々と退院に向けて進んでいた。
すぐさま、退院日が決まったことを保険会社に知らせる。が、ここから話がどんどんこじれていく。詳細に書くのはやめておくが、日本人同士のはずなのに意思疎通がぜんぜん取れない。
なんでや。
原因はどうやら、保険会社と、保険会社と協力関係にある現地医療コーディネーターと、病院との三者間での連携がうまく取れていないことから来ているようだった。
そこは知らん…というのが本音だった。それでも退院日が決まった以上、うまくいっていない調整の決着を待っているわけにはいかない。
再び電話をし、メールでのやり取りも続け、また疲労困憊になる。カロリーを求めて、お父さんにもらったパンとベージュ色のドリンクで夕食にする。ドリンクは豆乳のようだった。
ちょうど頬張っているときに、コンコンとノック音。今度は手に桃とスマホを持ったお父さんが登場した。お向かいのサイドボード上には、「水蜜桃」と書かれた大きな箱が置かれている。
「まだ硬いから2、3日置いたほうがいいで」
ついにお父さんも、翻訳アプリでのコミュニケーションを会得していた。
これだけ食べ物を与えてもらっていると、そろそろゴミが溜まってきていた。かといって、それだけの用件でナースコールをするのは気が引ける。
運動がてら、歩行器でナースステーションまで行って捨てる場所を聞こう。空のビニール袋2枚にそれぞれペットボトルと弁当ガラを詰め、両手に持って歩行器につかまる。自分の足で病室を出るのははじめてだった。
歩行器を少しずつ前に進めて、片足で追いかける。ところが、目的の場所までの距離がちっとも縮まらない。
ここは無限回廊なの?
途方もない気持ちになる。がむしゃらに進んだ時、右肩の筋をしこたま痛めてしまった。
もうほとんど泣きそうだった。たった50mほどの距離を自力で移動することができない。情けなさがこみ上げてきた。
反対方向から誰かが近づいてくる。
向かいのお姉さんだった。
もう歩けるんかーい!!
昨日、同じようにフゥフゥ言いながら歩行器で歩く姿を病室で見て勝手に抱いた仲間意識が崩壊した。もう体力も気力も湧いてこない。あと20mほどのところで生ける屍になった。
ゴミ問題は、たまたまステーションから出てきた看護師さんに助けられ事なきを得た。
生ける屍は最後の力を振り絞りに絞って病室に帰り、そのあとは布団に突っ伏し屍として屍のように眠るだけだった。
退院を目前にして
また新たな問題が勃発する。
次回、ガウディの名を冠して
(9月4日夜 更新予定)
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