国軍病院で手術なう(台湾入院日記)
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まな板の上のマグロは、深夜の病院を彷徨っていた。
この病院はかなり大きいらしい。ERからずいぶんと歩いて、外科病棟に到着する。もちろん歩いたのは病院スタッフだ。
病棟では2人の看護師さんが出迎えてくれた。癒しのオーラを全身から放ちまくっているユイさんと、ベテラン感あふれる謝さん。ユイさんが記憶をたよりに「あとは、えーっと…あ!」とかなんとか言いながら、既往症やアレルギーなどの問診をしてくれる。
定型のリストとか、ないんかい!
ときどき、えへへと照れ笑いするユイさんに最高に癒された。
用意された4人部屋には、わたしだけ。さすがに眠れないだろうな...と明け方4時の見慣れない天井を見つめて、目を閉じてみる。目を開けると窓から日が差しこみ、病棟にはいろんな気配が溢れていた。
まじか….
この状況で眠れるとか、健やかすぎるやろ。
足以外。
わたしすげーな、と感心しながら身体を起こすと、頭痛がした。うわぁ、ヤな感じ。左足以外は問題なしと言われていたけど、後から出てくる脳震とうタイプの負傷かもしれないとドキッとする。
ふと、搬送されてからずっと絶食、手術にそなえて水を飲むのも禁止だったので、喉の乾きが天元突破したからかと理解して気が楽になる。
スマホを確認すると、保険会社からメールが来ていたのでそれにレスを返しておく。事故直後に、仕事仲間が代理で連絡をとってくれていた。連絡は原則メール。帰国の時に必要になるサポートや、サポートのために必要な情報の照会などがやり取りされることになる。
保険会社に返事をして身支度をしていると、ついにお迎えがやってくる。予定通りの8時すぎ。手術室に続く道、荷馬車…ベッドがゴトゴト動きはじめた。
大病院が朝も早よから賑わうのは、日本も台湾も同じらしい。数時間前の静けさが思い出せないくらい、どこも人でいっぱい。気配を感じながら天井を見たり見なかったりしていると、ある扉を超えた瞬間、その賑わいがスッと消えた。
ついに来たか。
ちょっとだけ頭を起こしてみる。
渡り廊下の先に、例の筆文字フォントで「開刀室」と書かれた、扁額のような立派なパネルが見えた。
開刀。
あふれ出るブラックジャック感。
今から刀で開かれるのだから間違いない。
ベッドはERに似た明るい部屋で止まる。思ってた手術室と、なんか、ちゃう…。なるほど、ここは前室らしい。数人の医療スタッフがベッド脇にやってくる。
そのうちの1人が、開口一番
「オハヨ!」
カタコトの挨拶。
「なぁ、なぁ、わたし今うまく言えてた?」
日本人だと聞いて、日本式の挨拶を練習してくれたのだろうか。自分のたどたどしい日本語が可笑しいらしく、ゲラゲラ笑っている。
手術前とは思えない、飲み屋のテンション!
親しみ。
ゲラゲラ笑っているのは、麻酔科医の戴さん。健康的な小麦色の肌に、キリッと綺麗に整えられた眉。きっと、スキューバダイビングとかしてる。知らんけど、きっと嗜んでる。長期休暇の時にはケアンズとかに潜りに行くんだろう。連れて行ってほしい。
緊張感のかけらもないこの空間だけど、わたしはこっそり緊張しはじめていた。25年前も、顔を下からカパッと開いて金属を入れる全身麻酔の手術と、金属を取り外す局部麻酔の手術を経験している。なにをするのか知っているので、そんなに不安はなかった。ないはずだった。
なのに今、身体をこわばらせている自分がちょっと情けなくなる。
ふいに暖かい風を受ける。さっきまでゲラゲラ笑っていた戴先生が、布団の中に温風機のホースを入れてくれていた。腕にふわっと添えられた手が心強くて、目の裏が熱くなる。ついさっきまで情けなかったのに、今は嬉しい。
泣いたマグロがもう微笑んだ。
泣いているのを悟られまいとする横で、戴先生が
「マキィオ?マキィコ!ya!マキィコ!!」と
嬉しそうにわたしの名前(いきなり本名大公開)を連呼してゲラゲラ笑っていた。
ハートフル戴酒場で時間を過ごしているうちに、万事の準備が整ったらしい。ついに銀色の大きな扉をくぐる。手元を照らすあのライト(無影灯っていうんやって!)、緑色のシート、たくさんの計器。これぞ手術室。ヒヤリと冷たい空気が流れている。
25年前の全身麻酔では、鬼の所業かと思うほどの、ぶっとい針の注射がめちゃくちゃに痛かった。人生の中で、リハビリの次に痛かった。あれだけはやめてほしい。あれの気配を見逃すまいと、手術室スタッフたちの一挙手一投足に注意をはらう。
しかし、なすすべなく身体をコロンと90度転がされ、腰に麻酔の注射を受けることになる。
逃げたい。
翻訳アプリに、注射器を持った人が話しかける。
「腰に重い注射をします」
重い注射!怖すぎるやろ!
どうか、翻訳上の間違いであってくれ...。
ちなみに、手術室での意思疎通のため、スマホ持ち込みが特別にOKされている。その特別な存在から、こんな容赦のない悪魔みたいな言葉を放たれるとは。おのれ、裏切ったな。明智め。
ところが、刺された針はそれほど痛くなかった。きっとこれは本番ではなく、この後に例のぶっとい注射をされるのだと身構える。
「◎$♪×△¥●&?#$!」
…ポポン(翻訳完了音)
「数分で感覚がなくなります」
助かった。
眠ろう。起きたらすべてが終わっているように。
しかし、さすがのわたしもここでは眠れなかった。手がなにかの禁断症状のように震える。これも麻酔の副作用だと戴先生が言い、そっと手を添えてくれる。
そして枕元にある小さなスピーカーから音楽を流してくれた。アニメ「推しの子」のOP曲「アイドル」が流れだす。「こっちの方がいい?」と前川清や五木ひろしなどの往年の演歌・歌謡曲プレイリストを指さして笑う。
完全に酒場やないか。
ママ、熱燗1合ちょうだい。
日本のドラマで見るように、「では、◯◯術はじめます。メス!」みたいな分かりやすい開会宣言はない。もう切られているのかどうか、定かでないまま時間が流れていく。
枕元で麻酔のコントロールをしているらしい戴先生が時折、話しかけてくれる。
「この怪我どないしたん?」
事故のことを知らないらしい。例の、ありのままに少し憎しみを足した事故の話をする。
「台湾は歩行者地獄やからなー!」
自分で言って、自分でゲラゲラ笑っている。
「痛い思いさせてごめんやで!台湾のこと嫌いにならんといてな」と言うので、「たくさん親切にしてもらってさらに好きになった」とええ話で返す。すると「貴女をはねた人以外はな!」と強肩で刺してくる。
さっきよりも高らかに笑っている。そりゃそうだ、と私も笑う。手術室ナースの謝さんもウケている。
世の中には、こんなに楽しい手術もあるのか。わたしはこの世界のことを知らなさすぎたようだ。
手術室でのアプリ越しの雑談は続く。
「台湾きてから、なに食べたん?」
「海鮮料理とか中華料理、あと鍋。それが最後の晩餐やった」
一同笑
「肉団子は食べた?」
「??多分まだ食べてない」
「じゃあ病室に届けるように手配しとくわな!」
「え?」
「ハイビスカスティーもつけとくからな!」
こちら手術室のお医者様からです、と渋いマスターが言ったとか言わないとか。戴先生流の冗談だろうかと思っていても、ほっこりした気持ちでいたくて、確認はあえてしなかった。
今まさに刀で足をサクサク切り開かれ、金属プレートを埋め込まれている最中だということを忘れそうになる。
あまりにハッピーでストレンジな手術タイム。
「この人たちのことを書き残したい」
そんな気持ちがむくむくと湧いてきたので、思いきって真っ正面から聞いてみる。
「私は日本で文章を書く仕事をしています。ここでの経験を書いてもいいですか?」
戴先生が、ERで「往生しまっせ〜」顔をしていた執刀医の吳先生に通訳してくれる。
「どうぞどうぞ!なんなら本にしてくれてもええよ!」
ということなので、書籍化のお話、ぜひお待ちしています。
その後もワイワイやっていると、仕事仲間から励ましのメッセージが入る。なんせスマホを握りしめて手術を受けている身。基本的に横になっているだけでヒマなのですぐに返事をする。
「手術もう終わりました!?」
「なうですw」
そのころ足元では、どうやら縫合にさしかかっていた。麻酔がよく効いて感覚はまったくなかったが、「抜糸不要の糸、ちょっと高いねんけどそれで縫ってええ?」と聞かれたから間違いない。
すべての処置が終わったのは11時ごろ。2時間ほどで終わるとの事前の見積もりピッタリで、枕元のスピーカーからは再び「アイドル」が流れ始めたところだった。
下半身が麻痺なうなので、ここでは「1・2・3!」で息を合わせてスライドしてくれた。チームワークはバッチリだった。
手術室を出たら、ずらりとベットが並んだ広いスペースで30分ほど過ごすのだという。定位置に落ち着いたのを見届けてから、「ほなね!」と体をひるがえしながら手を振る戴先生は、「マキィコ!」とやっぱり楽しそうに笑っていた。
麻酔が醒めはじめたころ
言葉のすれ違いから食事をめぐって一悶着が起きる。
次回、涙の肉団子
(9月1日夜 更新予定)
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