
③攫われの姫君と、聖騎士の忘れ形見
「ほら、朝だよ起きな!」
おばさんが大きな声で部屋のドアを叩く。
飛び起きる様に俺はベッドを抜け出し、ドアを開ける。
「タダで泊めるわけには、いかないからね。ちょっとだけ働いてもらうよ!」
俺はまだ眠く重いまぶたを必死に持ち上げながら、バケツとモップ、そして箒と塵取りを受け取った。
「それから、あんたら名前は?」
「俺はルカ。あっちで寝るのがエリーです」
「ん……騒がしいですわね」
エリーは目を擦りながら起き上がり、少し開けた服も気にせず、こちらを見る。
俺は思わず、その胸元から見える二つの小山に目が行く。その視線に気付いたのか、慌てて服を整えるエリーに、なんとも言えない可愛らしさを覚えた。そしてそれと同時に、これまでの落ち着きなどで余裕のある、まるで大人のように思えていた印象だったが、年の近い、所謂年頃の女の子だったことを思い出す。
「あまり、ジロジロ見られると流石に、恥ずかしいので……」
「ご、ごめん……」
「それにしてもこんな子どもだけで……なんかワケありなんだろ?」
おばさんがそう言うと、俺とエリーはこれまでの経緯を話した。
「そうかい……そういえば自己紹介がまだだったね。あたしはアルマだ。この宿の店主をしてる。まあ、話を聞いた以上、あたしも力になってやりたいけど、見ての通り繁盛してるには程遠いからねぇ。泊めてやるくらいしかできないよ」
「いえ、泊めていただけるだけで十分です。それに、何らかの形で恩返しはいたしますので……今はとにかくお掃除を手伝えばよろしいですか?」
エリーは箒を片手に立ち上がった。
「……それよりエリーはこっちにおいで」
アルマはエリーの出で立ちをひと目見ると、エリーを連れて部屋へ出ていった。おそらく居住スペースである、従業員以外立入禁止の看板の奥の部屋へ、二人は消えていった。
残された俺は仕方なく掃き掃除を始める。
掃除は母さんの手伝いや、教会に少し居た時にやっていたので勝手はわかっていた。
廊下からエントランスまで一通り掃き掃除を済ませ、モップがけをしようとしたが、水場が見当たらず、意を決して立入禁止の看板の奥へ向かった。
「きゃ!」
ちょうど出てきたエリーとぶつかりかけた。
少し暗いこともあり、よく見えなかったが、どうやら服を着替えたようだった。
「どうだい? 娘のお下がりだけど、よく似合ってるだろ?」
昨日初めて出逢って、その時の人形のような印象。その美しさに飲み込んだツバが気管に入り俺は咽て咳き込んだ。
「あまりこういう服を着たことがないんです」
「やっぱりいいとこの生まれなんじゃないかい?」
俺も何度かエリーの家について問うたが、基本はっきりしたことは言ってくれなかった。家の面倒事であったり家庭の事情はあるらしいが、それがどういったものだとか、なぜ誘拐されなければならなかったのか、そしてなぜ助けが来なかったのか、それら全て、はぐらかされてしまう。
確かに、深くまで詮索されたくはない。俺だって、俺の事情を一から十まで全て他人に話すわけではない。
「ほんとに頂いてよろしいのですか?」
「構わないよ。娘も今は王都に住んでるんだ。だから、昔着てた服を着たあんたを見かけたら驚くだろうね」
「娘さんはどうして王都に?」
アルマは少しの沈黙の後、口を開いた。
「自慢じゃないけど、あの娘はこの街の中でも一二を争うくらいのルックスだったんだ。結婚の申込みもわんさかあった。大通りの宿の息子、貴族の息子、町長の息子。なんでも選べた。けどあの娘は、カレンはずっと夢だっただなんて言って、王宮の給仕をやりたいだなんて言って飛び出していった」
「王宮……」
エリーはその単語に引っ掛かったのか、少し考えに耽っていた。
俺の勝手な憶測では、多少王宮に関わりがある家系であっても何ら不思議はない。が、そうそうまさかお姫様が誘拐されて人身売買に掛けられるだなんて想像できない。
それなりの貴族で、王家とも交流がある、王宮ににも行ったことがあると言ったところだと思った。
「でも、なんで王宮の給仕になりたいだなんて夢を見るんですか?」
「知らないのかい? 一昔前に、王宮のメイドと王子様の恋路って恋物語の本が流行ったんだ。カレンはそれを読んで感化されたんだろう。まあ、栄えてるとはいえ、ここより圧倒的都会に行ったほうが、若い子にはいいんだろうね。結構な人数、王都に行った若者がいるからね」
「ってことは、それなりに王都へのルートがあるってことですか?」
俺がそう訊くと、すぐにアルマは頷いた。
「行商人の荷車に乗せてもらったりしてね。流石に直接出てる馬車なんてないから、行商人が王都に行ったり、その近くに行く人に乗せてもらったりするんだよ」
「じゃあ、ここから直接王都を目指せるな……」
「けど……追っ手は来ないのでしょうか? もうこの街に来ていそうな気がするんですけど」
「それだと俺達を匿ってる、アルマさんも危険だ……」
「あたしゃたぶん、大丈夫だよ。それに、ラルケが上手くやるだろうさ。あのおっさん、普段はいい加減なんだけどね、知恵だけは働くんだ。それにあたしもいざとなれば……ね」
その自信が何処から来るのか俺には不思議でしかなかった。
「それより、掃除の続きだ。後はモップがけだけだろ? 水汲みに行くよ!」
「は、はい!」
街角の井戸へ連れて行かれ、水を汲む。
「いいかい? いざとなれば、この井戸に入るんだ」
「井戸に……?」
よく見ると、井戸にはくぼみがあり、はしごの様になっていた。
「途中に横溝があるから、あんた達なら潜って行けるはずさ。暫く行くと地下水道に出る。排水が臭いけど我慢するんだよ。道なりに真っすぐ行けばそのうち地上に繋がる縦穴がある。マンホールから光が指してるはずさ。そこが荷車を駐めておく広場だからあとはあんた達次第だ」
「万が一……の話ですよね?」
「ああ、何事もなければいいんだけどね。今来てる行商人に顔馴染みがいるから、いざという時力になってくれるよう言っておくから、その時は狼の紋章を目印にするんだよ。ま、こういう事を言ったら逆に事が起こってしまうんじゃないかって、変な気分だけどね。」
「確かに、ジンクスみたいな」
バケツいっぱいの水を少し溢しながら持ち帰り、モップがけを始める。
変わってくれとうるさいエリーをアルマが抑え込む。
そして、アルマはエリーの耳元で何やら内緒の話をしていた。
それを俺は気づかないふりをして、黙々と床を綺麗にして回った。
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