④攫われの姫君と、聖騎士の忘れ形見
一通りピカピカになった床にご満悦のアルマ。
汗だくになった俺は、よく冷えた柑橘系の果実水をごちそうになっていた。
少し塩気も感じられる果実水が、体の隅々に染み渡る。
それを飲みながらエリーの様子を伺っていた。
エリーはしきりに窓の外を気にしているようだった。
「どちらにせよ、ずっとここに留まるワケにはいかないよな」
俺がそう言うと、エリーは俯きながら「そうね」と小声で言った。
「だとしてもどうするんだい? さっきも言ったが、ここから王都までのメインルートは行商人に乗せてもらうことだよ」
「それだと、出発を合わせなきゃならない。そう悠長に事を進めてる場合なのかな」
「追っ手が……来てるとは限りませんわ。もうお昼になろうとしているのよ。まだ来ないだなんて……」
「まるで追っ手が来てほしいって言い方に聞こえるな」
「そうではありません!何事も無ければそれでいいのです。ただ……」
エリーはそこで喋るのをやめた。
俺は少しの間続きを待ったが、そこからエリーが話し出すことはなかった。
何か懸念事項があるのだろうか?
例えば、誘拐犯と家の間で取引が成立してしまったのか。最早、エリーの存在は強請る材料にすらならないのか。
確かに、そう考えれば寂しい気持ちもわかる。本当にそうだとしたら、家から捨てられたも同然だ。
「王都に行くのはやめる?」
俺はそう切り出すと、エリーは一瞬ハッとした表情を見せてからいつもの冷静沈着な様子へと戻った。
「それも一つの手段ですわ。もしかすると帰る意味がないのかもしれません。それによってまたややこしいことになるのならば、いっその事、このままどこかで暮らすのがいいのかもしれません」
「そんなことあるかい!あんたの親御さんだって心配してるはずだよ!」
アルマがエリーを叱責する。
その大きな声に、エリーは縮こまってしまった。
「でも、ならばなぜすぐ追っ手が来ないんですか!私がまだ必要ならそもそも人身売買にかけられることもないはず……誰も、誰一人助けに来ようともせず、身代金も払うこと無く、見捨てる選択をしたに決まってます!」
「エリー……」
俺がどうすればいいかわからなくなっていると、アルマはエリーを抱き締めた。
「だったら、直接聞きに行けばいいじゃないか。王都へ行って、家に帰って両親に問えばいいじゃないか」
「でも……お父様はきっと」
俺は勘付いていた。というか、俺じゃなくても勘付くことができただろう。
エリーは親に愛されていないのではないか。
家督の問題もあるだろう。兄弟もいて、末っ子であるならば、そういった争いとは無縁になるだろうし、それなりの貴族であれば政略結婚などもあるだろう。
どのみち、エリーの人生で自由というものはない。ならばいっそ、このまま自由に生きるのも一つではないか?
まさかとは思うが、エリーの両親もそれを考えてことを放置した……ワケはあるまい。
娘が慰物にされるなど、普通の親なら許すはずがない。誘拐されて要求を突っぱねた理由とは一体なんだろうか?
それほど高額の身代金を要求されただとか、何か別のことだろうか。
そうこう考えていると、扉を強く叩く音が聞こえた。
正面玄関は内側から錠が掛けられていたためだろうか。
「なんだい、騒がしいね」
『ここに子どもが二人、来ていないか?』
扉の向こうから、野太い叫び声が聞こえる。
それを聞くと同時に、アルマがアイコンタクトを送ってきた。俺はそれを受け取るとエリーの手を引き裏口を目指す。
俺は小声で「井戸に抜け道があるから、そこから逃げる」と、エリーに言う。
エリーはわかってたかのように頷いた為、おそらくアルマとのひそひそ話はこれだったのだろう。
「こちらには誰もいません」
窓の外を窺うエリーがそう伝えると、俺は慎重に裏口の引き戸を開ける。
こっちからだと、井戸まで表側から見えない路地を通ってたどり着ける。
走り出す時に気がついたが、エリーは靴も貰ったらしい。ペタペタという足音は聞こえなくなっていた。
「ここに入りますの?」
「ああ。さあ早く」
そういうと俺はエリーを井戸へ押し込むように入るように促した。
一段ずつ降りていくと、横穴があり、そこを這うように進む。
「ひどい臭いですわね」
「仕方ないよ。我慢して」
少し進むと立って歩けるほどの通路へ出た。
「確かこのまま道なりに進めば……ってエリー?」
「やはりこれ以上あなたを巻き込めない……王都へは私だけで行きます。あなたは、私に誘惑されたとでも言って、どうにか無罪放免を受けてください」
「な、何言ってんだよ。そんなの……無理に決まってるじゃないか。あの街では盗みは食い物までだ。人を盗むだなんて……」
「ならばどうして助けたんですか? 危険を犯す価値がないのに」
「……わからない。助けたいって思うことに理由がいるなら、それは俺のエゴだ。俺が勝手に助けたいって思った。それで、君が結果的に助かればそれでいいじゃないか。どうせ俺だってその内、路地裏で野垂死んでたところだったし、正直、親が死んでから今が一番生を感じてる。それは今まで無目的で、生きた屍のように暮らしていたから。だから今は違う。エリーを助けること、無事に王都まで連れて行って家に返して、それで……」
これだけ偉そうに語りながら、俺はエリーを助け終えた後のことを考えてなかったことに気がついた。
それからどうすればいいんだ? 報酬をたんまりもらって贅沢な暮らしでもするのか?
「……わかりました。ではあなたに命じます。私を助けて下さい」
「なぜ命令なんだ?」
「私は、この国の姫です。今まで隠していましたが、私の家というのは王家。そしてこの国の習わしで、王家の人間は一人、専属の騎士を選びます。私は、あなたにそれが相応しいと思いました」
「騎士? なんでまた」
「詳しい理由は後ほど……とにかく急ぎましょう」
俺を騎士に任命した割に、エリーは先に走り出してしまった。
そもそも、お姫様だったことを驚かせてくれる暇も与えてくれないのか。
そして暫く真っ直ぐ道なりに進み、縦穴が見え、穴の空いた蓋がされているのが見えた。
「流石にここは先に行く。念の為追っ手が来てないか見張っててくれ」
「わかりました」
慎重に一段ずつはしごを登る。
少し重い蓋を押し上げると、そこはちょうど荷車の下だった。
隙間から見える様子だと、騒ぎになってる様子はない。
「エリー」
エリーの手を引きはしごを登る。地上に出ると、狼の紋章を探す。
驚いたことに、マンホールの上に在った馬車がそれだった。
「ほう……君らがアルマが言ってた。ってことは追っ手が来よったんか。だったら、早速出るとするか」
「あなたは……」
「俺はジェフ。まあ行商人と言えば聞こえがいいが俺の本業は便利屋さ。水道工事から人の運搬、それに武器商人のマネごとまでな」
「……よろしく、ジェフ。俺はルカ、それにこっちはエリーだ」
エリーは会釈をすると、ジェフは覗き込む様にエリーを見た。
「あんた……まあいいや事情は聞かない。それが俺の仕事のポリシーだ。深入りはしない。とにかく、王都方面へ連れていけばいいんだろ?」
「直接は行かないんですか?」
「言っただろ、俺は行商人だ。同時に便利屋ではあるが、商売もしなきゃならん。それにこの国の決まりで行商人はルートを事前に申告書にまとめて申請しなきゃならん。つまり、決まったルート、行き先を変えることはできないのさ」
そう言って申告書の写しを見せてもらうと、次は東に進んだボスウェルに向かうとのことだ。
「そうだ、これは俺からプレゼントだ。王都の古物商からこの前買い取った代物だ。俺は剣の趣味はないし、この剣、何やら結構な騎士が使ってたらしいがな、忽然と姿を消したということで妖剣だなんて言われて畏れられていたんだと。俺もいつまでも荷車に入れてるのは気味が悪いしな」
少し細身の騎士剣をジェフから手渡され、鞘から剣を抜く。俺には少し重いが、どういうわけだかしっくり来る。
「これで立派な騎士になれましたわね」
「騎士は身分で、なるのは剣士だ」
「……それもお父様が?」
何か引っかかることを言ったのか、俺にはさっぱりだったが、エリーの問には首を縦に振った。
エリーが何かを呟いたが、それは聞き取れないくらいの小声だった。
「じゃ、早速出るぞ」
「そんな簡単に出て大丈夫なんですか?」
「うちは小さな旅団だからな。朝のうちに何時でも出られる準備はしておいたからな」
ジェフはそう言うと荷車から飛び降りて、仲間にそれを伝えに行った。
俺は貰った剣を大事に抱えながら、一つ深呼吸をした。