初恋の相手が義妹になった件。第9話
別に嫌悪するわけでもなく、そしてそれに興味をそそられるわけでもなく、僕はグラスにお茶を注いでいた。
二人が気付くわけでもなく、それに熱中しており、僕は冷蔵庫にもたれながらお茶を飲んだ。
居心地が悪いので、静かにその場を去り、財布とスマホを持ってコンビニに向かった。
「あー、よく会うね」
陽菜さんがソフトドリンクの棚の前でさっきは被ってなかったキャップとマスク姿で声を掛けてきた。
「買い物ですか?」
「うん。美夜子がね疲れて寝ちゃったから、ちょっとなんか食べる物とかをね」
僕はカゴの中身を見て驚いていた。
「こんなに食べるんですか?」
「食べたいなって思ったものを片っ端から入れちゃったからね。気づいたらこんな量になってた。悠人君は何買いにきたの?」
「とりあえず飲み物でもって思って。炭酸が無性に欲しくなって……」
「わかる。あるよねそういう時」
そう言って僕はコーラを手にしてレジに向かった。
「それだけでいいの?」
「はい」
「しょうがないな……」
「え?」
陽菜さんはホットスナックの棚からフライドチキンを頼んで僕に奢ってくれた。
「そんな!」
「いやいや、今日はいいもの見せてもらったからね。今後の演技の糧にさせてもらうよ。そのお礼と思って」
僕は紙袋に入ったフライドチキンを受け取る。
「……なんかあった?」
「え?」
「いや、こんな時間に一人で出歩くなんて何かあったのかなって。私がそうだったからさ。とにかく家にいたくないって時、あるじゃない」
僕は家でのことを話した。するとその話を聴いて陽菜さんは大笑いをしていた。
「それは災難だったね。親のそういうところ見るとなんか気まずいもんね」
「陽菜さんのご両親は?」
「あー、うちの親離婚してるんだ。お母さんは私が自立するのと同時に実家に帰った。お祖母ちゃんもそろそろ心配な時期だしね」
「そうなんですね。それじゃあ美夜子さんと二人で?」
「うん。まあ美夜子の実家もそう遠くないし、週に一回は向こうに行ってるよ。私も合気道始めてみたんだ。護身術がてら」
そう言って陽菜さんは構えて見せてくれた。
「お父さんは?」
「……さあ、今どうしてるのか知らない。完全に縁を切ったからね」
「……すみません」
「いや、いいのよ? 別に話したくないことじゃないし」
離婚の真相を聞いた僕は、それがまるでドラマの台本の出来事のようだと評価したら、陽菜さんは笑っていた。
「私も、本当にこんな事あるんだって思った」
今は笑い話に変わって、それが辛い記憶じゃなくなったと陽菜さんは言う。
「辛い過去を笑い話に変えさせてくれたのが美夜子なの。私としては誰にも知られたくない秘密にしたかった。私の汚点って……でも、それも含めて今の私なのよね。それを美夜子が気づかせてくれたの」
「美夜子さん、すごい人ですね。懐が広いっていうか」
「うん。それに甘える自分が嫌になる時があった。でも、またそれも私の一部だって美夜子が言うから、そんなプライド、どうでもよくなったわ」
僕は陽菜さんをマンションまで送り届けてから、自宅へ戻った。
「あ、悠人」
コンビニまで戻ってきたところで百花と会った。
「急にいなくなったからコンビニかなって思ったけど……もう買い物終わってたか」
「百花は?」
「なんかお母さんたちがお熱だったから、気まずくて出てきた。何も二人も遠慮なくす事ないのにね」
百花は腕組みをして膨れていた。
「……それより」
百花は僕の襟元を嗅いで睨んでいた。
「誰と会ってたの?」
「あ、陽菜さんだよ!偶然コンビニで会ったんだ」
「ふーん。早速浮気ってわけ?」
「違う違う!」
僕は慌てて否定すると「冗談よ」と、百花は言う。
「ちょっと歩かない?」
「うん」
僕がそう誘うと、百花は頷いて僕の隣を歩く。
「買い物は?」
「別に悠人を探してただけだから、財布持ってきてないし」
「これ飲む?」
僕がコーラを取り出すと、百花は「そんな気分じゃない」と、突き返した。
「不思議だよね。この前まで他人だったし、お昼は恋人だったりして、帰ったら家族になって」
「距離感バグるよな。好き同士で同じ家に居るってまるで……」
「夫婦?」
「そう。でもさ、なんか違うんだよ。まだ恋なんだろうな。好きで惹かれ合ってるだけで、まだ愛には届いてないというか」
「確かに、愛してるって言えるのかなって思う。だから結論付けるには恋してるの方が正しいかも」
突然、深い話をし始めてしまったと思ったが、どちらも引っ掛かっていた事だったんだろう。
僕は、百花が好きだ。それは事実で、百花も僕が好きだ。ただ、好きと愛の違い、境がよくわからない。もっと深く繋がればそれが愛になるのか。映画で愛しあうと言えば、行為をすることを形容することが多いが、愛とはそう言うことなのだろうか?
「なんか、面倒臭いよな。恋と愛の違いを考えるのって」
「よく言うラブとライクの違いっていうか……確かに面倒臭いね」
「お互いを好いてることには変わりないし……今は考えるのやめよう」
「うん」
僕と百花は、自然に手を繋いで歩き始めた。僕は、これまた自然に百花の歩幅に合わせて歩く。
「明日日曜だけど、どこかに行く?」
「今日ファンタジーアイランド行ったばかりだからなぁ……」
「確かに、出歩くのはねぇ」
僕らは猫の滑り台のある公園のベンチに腰掛けた。
「ねえ、キスしよ?」
「うん……」
慣れてしまえば、抵抗がなくなって僕らはすぐに唇を重ねる。
躊躇う時間が勿体無いと感じていたからだ。
少し肌寒い、春の夜。桜の花びらが数枚残る木の下で、僕らは愛を確かめる。
惹かれるのが恋なら、求め合うのが愛なのではないかと僕は思った。
「……最初のよりなんか違うね」
「慣れじゃないか?」
「そうかも……でもあれをもう一度味わいたいから、また何度もキスをするんだろうね」
「そうかもな」
月は出ていないけど、月が綺麗と夏目漱石はそう言うのだろうか。
肩を抱き寄せて僕は百花の体温を感じた。
「私、付き合ったことないからどれが正解かわからない……」
「僕だってそうさ。何が正解かわからないからドラマで見たことを真似してみてる。けど、身体が勝手にそうしたいと思うようにすると、こうしてた」
「私も……漫画で見たこととか、友達から聞いた事を真似てるだけかもしれない……」
僕は百花をギュッと抱き締める。
僕の胸に寄り添うこの可愛い生き物が、今まで他人だっただなんて信じられない。ましてや、初恋の相手だとは。
「私の好きを悠人が愛にしてくれる」
「僕も同じだよ」
「……待って、私めちゃくちゃ恥ずかしい事言った?」
「まあたしかに、でもその恥ずかしさを超えるだけの愛があるんじゃないのか?」
百花は我に返ったように僕を振り解くと、顔を両の手で覆った。
「今のこと、忘れて!私、変なスイッチ入ってたみたい……」
「忘れてって……」
「いいから!ほら、帰るよ!」
僕は先を歩く百花についていく。
「百花、どうしたんだよ」
僕が呼び掛けても早足のまま百花は歩く。
自宅まで戻り自室に入る百花を僕は黙って見送った。
僕も自室に入ると、ベッドの枕に顔を埋めた。
僕がもっと積極的だったら、あの場でもっと百花を求めていたなら、ああはならなかったのではないか?
僕は自己嫌悪に陥っていた。
「ん? メッセージ……」
美夜子さんからのメッセージだった。
『陽菜を奪ったら殺す』
美夜子さんが嫉妬深いことを知って僕は震え上がっていた。
「たまたま会っただけですよ」
僕はそう返信した。すぐに既読が付き、返信がくる。
『ごめん、美夜子の勘違いだから! 陽菜』
メッセージと一緒に土下座のアニメーションスタンプが届き、僕はそれを見て笑っていた。
とりあえず「気にしてませんよ。もちろん、陽菜さんを取るつもりもないです」と、返信した。
それよりも空腹が勝り僕はリビングへ向かった。まさかまだ二人が愛を確かめ合ってるわけはないと思い、一階に降りると、キッチンで母が料理をしていたのでホッとして僕はソファーに腰掛けた。
テレビで流れているドラマの再放送に陽菜さんが出ていたので、少し吹き出した。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない……」
さっきまでお喋りをしていた人がテレビの中にいるのは、不思議な感覚だった。
「……ねえ」
百花が隣に立っていた。音もなく忍び寄ってきたので、僕はその声に驚いていた。
「ど、どうした?」
百花は僕の前に跨ると僕の首の後ろに手をやる。
「ドキドキする?」
「まあそりゃドキドキするよ」
「ちょっと百花……」
母がそう言うと、百花は僕の前から退く。
「ちょっとからかっただけだよ」
そう笑って僕の隣に座る百花。
僕はそのままテレビを見ていた。
「やっぱり陽菜さんみたいな人がいい?」
「それ、昨日も聞いてたけど、僕はどっちかというと美夜子さん派だ」
「美夜子さん、綺麗だもんね」
「あの二人で言えばだ」
僕は百花の耳元で「一番好きなのは百花だよ」と、囁いた。
すると百花は「知ってる。私も悠人が一番好き」と、囁き返してきた。
ドラマの陽菜さんはさっきまで話していた陽菜さんと雰囲気が違う。もちろんメイクとか髪型とか服装とかが違うのだが、役が憑依してるような、私生活もまるで、その役の人間のような雰囲気を醸し出していた。
「すごいなぁ……流石名女優」
「ね。とてもあんなほけーっとしたような感じに思えない」
「なに、まるで会ったことあるみたいな言い振りね。百花」
「今日一緒だったんだよ。ファンタジーアイランドで。もちろん、たまたまだったんだけど、いなたいお姉さんって感じだったよね? 悠人」
「え、ああ。うん。話してる時はほんと咲洲ひなって忘れてたもん」
「へぇ。なんかそのくらいの芸能人の方が好感持てるわよね」
母がそう言いながらテーブルに料理を運んでいるのを二人で手伝いに立った。
「どうしたの?」
「いや……なんか二人いい感じだなぁって」
「散々人を揶揄っておきながら何言ってるのよ」
僕は父を呼びに行くと、丁度部屋から出てくる父と鉢合わせた。
「あ、夕飯できたから呼びに行こうとしてたんだ」
「おおそうか、ありがとな」
食卓に四人腰掛けて食事を始める。
「明日どうする? 今日遊園地行ったからゆっくりするのか?」
父がそう問うてくるが僕は答えに困っていた。
「流石に疲れてるし、宿題もあるから、家でのんびりするよね? 悠人」
「え、ああ、うん。二日連続で出かけるのはねぇ」
「そっか。父さんたち買い物に行こうかと思ってるんだけど……」
「二人で行ってきなよ。僕らは今日二人で出掛けたんだし、その方が気を遣わなくていいだろ?」
父は少し顔を強張らせた後、その緊張を解いて頷いた。
だが反対に、母は少し残念そうに俯いていた。
「お昼はどうしよう……」
「僕が何か作るよ」
百花は驚いていたが、僕がこれまで普通に台所に立っていたことを話すと、感心したように頷いていた。
「もっと早く言ってよ。てっきり、お祖母さんがやってるのかと思ってたわ」
「祖母ちゃん亡くなってからやり始めたからなぁ。一年ちょっとくらいかな。上達するのが楽しくってさ」
僕はそう言うと食べ終わった食器を流し台へ持って行き水につけると、部屋に戻った。
「ちょっと待って……」
「百花?」
「明日なんだけど……行きたい所あるんだけど……」
「何処?」
「悠人のお祖母さんのお墓……ちゃんと参っておきたいし」
「わかった」
僕はそう言うと部屋の扉を閉めた。
静かになった自室の机に立てかけられた、祖母との写真。僕にとっては母親代わりの人だ。
でも病気が見つかるとそこから半年も経たない内に天に召されてしまった。
まるで命を削って僕の面倒を見ていた様に思えてしまい、僕は大泣きをした。その時から僕は涙を流したことがない。
祖父は気にするなと言ってくれるが、祖父との大切な時間を奪ってしまった後ろめたさから、僕は祖父と会うのが苦手になった。
宿題のプリントを鞄から取り出し、取り掛かった。宿題の量はさほど多いわけではなく、30分もしない内に終えてしまって僕は椅子の上で仰け反った。
天井の模様を見て、そこに人の顔を見つけては目を瞑り、他の場所を見つめる。
「うわ!」
思いっきりひっくり返ってしまい僕は腰を強打してしまった。
「悠人!」
慌てて入ってきた百花はとても焦った表情をしていた。
「なんだ……なんかすごい音がしたから倒れたのかと思った」
「ごめん……」
「宿題、やってたの?」
僕のプリントを見て百花はそう言った。
「……これ、提出来週水曜日まで猶予あるよ?」
「え?」
プリントの端っこに提出日が書いてあった。確かに水曜日までと書いてあった。
「まあどのみちやらなきゃ行けないことに変わりはないしな……」
「そうだね」
僕は倒れた椅子を直して、乱れた服も正した。
「ん?」
百花が目を閉じてそう言うと、僕はすぐキスをした。
「んふふ……」
「なんだよ」
「なんか恋人っぽくなってきたなーって」
僕はそう言った百花を抱きしめようとすると、拒絶された。
「え、なんで?」
「えっと……汗かいてるから」
言われてみれば、運動着を着ているので部屋で筋トレでもしていたのか?
「じゃあ、お風呂入ってくるね」
「お、おう」
何の報告だ? 僕はそう思いながら、触発されて腹筋運動を始めた。
別に割れた腹筋が欲しいわけじゃないけど、なんかとりあえずしなきゃいけない気がした。
丁度100回し終えたところで僕は汗を拭った。
「ふう……」
百花が出たら僕も風呂に入るかと考えていると、なぜか百花の入浴シーンを想像しそうになって、自分の頭を叩いた。
馬鹿じゃないのか自分。そんなこと考えるなんて……まるでらしくないじゃないか。
恋は人を狂わせる……強ち間違えではないかもしれないなと思いながら僕は溜息を吐いた。