「聞く」ということ

私にとって、誰かに「聞く」という動作が、なぜかハードルが高く感じるときがある。

…とは書いたが、
私の感覚は、ハードルが高い、という表現は少し違うような気もしている。

新しい職場に入ってもうすぐで半年が経つ。
「どうして分からないことを聞かないの?」と、何度も言われている。

感覚としては、「分からないこと」が分からないのである。

事務作業など、手順や答えが1つに決まっていることに対しては「分からない」という状態になり、それについては誰かに聞くこともできる。
(ただし、それにおいても、例えば今聞きたいと思いながらも、聞きたい相手が他の話をしていて割れず、タイミングを逃して後になる、ということはよくあるが・・・。)

問題なのは、答えが1つに定まらない、または相手から得た答えが自分には合わない、などが起こる場合である。

仕事柄、沢山の人と関わる。
また、それには個々の特性があって、関わり方ひとつで良悪どちらに転ぶかは分からない業種である。
もちろん、そういった事象に対しても、相談をすれば誰かが答えてくれることは分かっている。優しい職員ばかりなのも分かっている。
ただし、そういう事象に対して、自身が「分からない」という感情に至らないことが多い。ただ、「分かっている」わけでもない。

仕事で、車を運転する機会がある。
目的地周辺のことや停車位置については、「答えが1つ」だから聞くことができるが、それ以外は「分からない」に繋がらないから、聞くに至れないことが多い。(後から思えば、例えば道順などはある意味答えが1つと言っても相応しい事象ではあるが。。)


面接時、『あなたの長所と短所を教えてください』と問われた。
長所は、スッと出た。何を答えたかは覚えていないが…(笑)
ただ、短所はすごく考えてしまった。用意ができていなかったのもあるが、冷静に考えればキリなく出てくる短所が、思い浮かばなかった。
なんとか捻り出した答えが『誰かに質問や相談をすることが苦手』であることだった。

それは前職やアルバイトのときから痛感していた。
「聞いてくれたらいいのに」「相談してくれたらいいのに」「普通聞くでしょ。なんで聞かないの?」などと周りから言われたことも多々ある。

「聞くのが苦手」という言葉でまとめたが、それは相手への信頼度やコミュニケーションの恐れではないことに、最近気付いた。
別に、聞きやすい相手はいくらでもいるのだ。聞くのが怖い、と一瞬感じる相手にでも、上記の「答えが1つ」なことは聞くことができる。
でもそうでないと感じてしまったものは、そもそも「分からないから聞かなきゃ」という思考にたどり着かない。

きっとこれは共感できない人も多いだろう。
何故、分からないにならないのか、自分でも謎なのだから。
それで結局、どうして聞かないの?と言われ、質問できない自分を責めて、また頭が混乱してしまう。

感情の整理のためにと今ここまで綴ったが、現時点では整理はしても解決まで至れない。けど、書くことで、解決の糸口が少し見えるようになればいいな、と思う。

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