戦国軍事パレード 京都馬揃え
1581年2月28日は、織田信長による京都馬揃えが行われました。
本能寺の変の前年で、信長48歳。
織田軍総動員、天皇や公家衆も招待し、前代未聞の規模となりました。
このパレードの目的は、天下布武を標榜する信長が
周辺大名を牽制し、力を誇示するためだったという説が有力です。
その頃はまだ、征夷大将軍だった足利義昭や天皇家をも招いたのは、その身力を見せつける必要があったのでしょう。
「馬揃え」とはいわゆる軍事パレード。
参加者は500騎以上、全員豪華絢爛な衣に身を包み、
一世一代のデモンストレーションが行われました。
馬揃えの順序は、当然身分や年長者から並ぶのが定番です。
ところが、今回の馬揃え、二番以下から比較的新参の者が並び、
三番目部隊には明智光秀。
織田家内で高い位置にいたことがうかがえます。
なのに翌年にがっつり裏切るなんてね。
そして、本来ならここにいるべき人物が一人欠けていたのです。
羽柴秀吉です。
秀吉は当時、中国攻略に忙しく参加できなかったことを非常に残念がり、
未練たらしく当日の状況を側近に聞いてまわっていたそうです。