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朝日の憎たらしさ

俺は夜型だ。
明日の仕事が朝の6時起きだろうと、余裕で朝の5時くらいまでは起きていられる。夜になると頭が冴えてくるし、静かで誰にも邪魔されない空間がある。その時間が、俺にとっては何よりも大事だ。

けれど、そんな夜を台無しにする存在がいる。
そいつの名は「朝日」だ。

朝日は眩しいだけじゃない。俺にとっては「自由の終わり」を告げる存在だ。

夜型の自由

夜型生活には、特有の魅力がある。
仕事が終わり、夕飯を食べて、シャワーを浴びてリラックス。ようやく俺の一日が始まる。パソコンを立ち上げてYouTubeを開いたり、SNSをぼんやり眺めたり。自分だけの時間が流れる瞬間だ。

日中とは違い、夜には「誰にも邪魔されない静けさ」がある。
友達や知り合いからの連絡もないし、誰かに急かされることもない。スマホの通知はほとんど鳴らず、ただ時間がゆっくり流れていく。それが俺にとって最高の環境だ。

例えば深夜の3時、ふとコーヒーを淹れる。
夜の静寂の中で香る湯気の匂い。それを味わいながら、動画を見たり漫画を読んだりする瞬間。これが俺にとっての至福のひとときだ。

ただ、そんな自由な時間も永遠には続かない。

朝日が奪うもの

朝日を見ると、いつも思う。「ああ、もう終わりか」と。
あの眩しい光が差し込む瞬間、俺の楽しい夜の時間が強制終了する。朝日が憎いのは、それが俺から「自由」を奪うからだ。

例えば、好きなゲームをしているとき。
もう少しだけレベル上げをしたい、次のステージに挑戦したい。そんな気持ちで続けていると、ふと窓の隙間から朝日が差し込む。その光を見た瞬間、全てが一気に冷めてしまう。

「もう寝る時間だ」
そう思うと同時に、翌日の仕事のことが頭をよぎる。
早朝に目覚ましが鳴る音や、満員電車に揺られる自分の姿が、フラッシュバックのように浮かんでくる。

朝日は眩しいだけじゃない。俺にとっては「全ての終わり」を告げる象徴だ。

夜型生活の功罪

それでも、俺は夜型生活をやめられない。
夜には、夜だけの魅力があるからだ。

例えば、深夜の空気の冷たさ。
日中には味わえない、心地よい静寂。それに包まれながら過ごす時間は、俺にとって特別だ。誰にも邪魔されず、全てが自分のペースで進んでいく。

ただ、そんな夜型生活にもデメリットはある。
睡眠時間が圧倒的に短くなることだ。
3〜4時間しか寝ずに仕事に行く日が続くと、疲労は蓄積する。それでも夜の自由を優先してしまうのは、自分の中でそれ以上の価値があるからだ。

朝型生活への憧れ?

最近、ふと思うことがある。
「もし俺が朝型生活を送ったら、何か変わるのだろうか?」と。

例えば、夜10時に寝て、朝5時に目覚める生活を送れば、朝日が眩しい光ではなく、「新しい一日を迎える希望の光」と感じられるかもしれない。

でも、それが分かっていても、俺は夜型生活をやめられない。
夜の時間が好きだし、その自由が俺にとって必要だからだ。朝型生活を送る自分なんて、全く想像がつかない。

朝日との共存

それでも、最近少しだけ思うことがある。
「朝日を憎むのではなく、少しだけ受け入れてみるのもいいかもしれない」と。

例えば、朝日が差し込む時間に「ああ、今日もよく夜を楽しめた」と思えるようになったらどうだろうか。あるいは、朝日を見るたびに「今日も新しい一日が始まる」とポジティブに捉えられたら。

そんな風に思えるようになる日は、まだ遠いかもしれない。
でも、朝日と共存する方法を考えることで、夜型生活の中にも新しい楽しみが見つかるかもしれない。

まぁ今夜も、俺は朝日が憎たらしくなるまで夜を楽しむつもりだ。
夜型の俺にとって、朝日は宿命のような存在だ。憎くても、逃れられないものだ。それなら、少しずつでも「共存する」方法を探していくしかない。

朝日を完全に好きになる日は来ないだろう。
でも、いつか「あの光があったからこそ、今がある」と思えるようになったら。その時は、夜型人間の俺も少しは変わっているのかもしれない。

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