大忙しの雲と星
最近、時間の流れがとても早く感じる。同じ一時間でも、子供の頃はゆっくりに感じたのに、学生時代に入ると半分よりも縮まった感じ。それでも今から見れば、遥かに緩やかかつ落ち着いた速度だった。
今はというと、蚊が飛び去るような速さで一時間が過ぎる。子供の頃に感じた一秒と同じぐらい、短く感じる。太陽が真上へ昇った時、すぐ沈む。のんびりなイメージのある雲や星の動きでさえ、今の私には昼も夜も忙しく走り回っているように見える。
一時間が短くなれば、一日も一年も短くなる。学生時代は百年と聞けば、人生の長い時間を思い浮かべたのに。今ではお昼寝中にちょくちょく初日の出が起きる。
私の感覚では先程、私は三十六億歳の誕生日を迎えた。正確には三十六億五十歳の誕生日が先程あったということ。でも今は、三十六億五十五歳。そこから少しだけの時間が経てば、私は三十六億六十歳を越える。
ただ荒野が広がるこの地上に残されたのは私と、雲と星があるこの空だけ。その雲も星も空も、遠い昔に見た倍速の動画のように常に超多忙で回っている。私に構ってあげる余裕など、今のこの空からは微塵も感じられないが、私はそれでも構わない。
今の地上には人間の友達も、動物の友達も、植物の友達も、命を持った友達は誰一人いない。友達とは言えない大嫌いだった者たちもいない。蚊もいない。ただ一人、唯一残った命ある者__私には、頭上に点在する雲と星しか、友達がいなかった。
もちろん、雲も星もみんな忙しく、私なんかとは一分も遊んでくれないのだが。止まることなく動きつづける雲と星たちをただ見守ることだけが、私にとっての唯一の楽しみで、数少ないできることだった。生きがいとか、存在意義と言っても良い。
忙しい雲と星を見守っているのは、神様とかに頼まれたわけでも、使命でも、思いやりの心でもない。それしかやることがないぐらい、今の私はとにかく暇なのだ。
他の何人もの人間と生活していた頃は、あれこれやるべき事が多かったため、時間の流れが少し早くなるとイライラしたり焦ったりしたものだ。今はあの頃より洒落にならない速度で時間が過ぎるが、忙しいと感じた覚えは一度もない。
今の生活には、守らなければならない期限も、向こうから自分に構って来る人もいないから、というのが大きな答えだろう。本来、時間というものは無限であり、時間が不足することはありえない。邪魔や圧力に押されるから、時間が足りないと感じるだけだ。
私は空と星たちを何万年、何億年も眺めつづけている。何千年もの間、決して空から目を離さないのだ。そうしているうちに、私は三十六億百歳を軽く過ぎていた。
三十六億百二十八歳の誕生日を迎えた時、私の目の前に突然、人間の男性が現れた。残念ながら男性はすぐ、風に吹かれて一瞬で消えてしまった。私には彼の動きが非常に速く感じられたため、幽霊や宇宙人、あるいは単なる幻想のように見えた。
彼の姿は一瞬だけだったが、両手には一つの大きなボタン装置を抱えていたようだった。遥か昔の学生時代に聞いた「五億年ボタン」を連想する。五億年間、虚無の空間で過ごすだけで、一生働かずに済む大金をもらえるという噂だったかな。
だけど、この地上にはお金そのものも、お金の流れもない。今更大金を得たって、使う相手もない。どうせ、目か手いずれかを一瞬でも離せば、その紙切れは一枚残らず突風に飛ばされてなくなってしまう。
何より、いくら私の年齢の約七分の一の間だけとはいえ、今の私にとって意味のないものを得るために、雲と星と空とは別れるようなことはしたくない。たったの五億年間だけでも、雲と星のない毎日が延々とつづくのは、流石の私でも耐えられない。せめて、替わりばんこで明るい昼と暗い夜は来てほしいものだ。それだけで、メリハリがあるから。
まぁ、私がボタンを押そうと思っても、その時には遅く、ボタンも男性も風の中へ完全に消え去ってしまうのだが……。
雲も星もみんな、地上の私を置いてけぼりにする。ただせわしなく流れる空を立ち止まらず、昼も夜も、また昼も、何度も空を駆け回る。子供の頃に思い描いたイメージ通りにのんびりな空は、今の私の世界にはもう存在しない。
今はもう誰も遊んでくれないが、あと一億年経てば、空のみんなは今よりもっと忙しくなる……ように私には見えやすくなる。
本当は、雲も星も空も走っていない。みんなゆっくり歩く、のんびり屋なんだ。私の体感時間がインフレーション的に速くなりすぎただけで。私が気づくのが遅すぎるだけ。私がみんなよりもずっと、ずっと鈍間なだけ。
今こうして夜空を、あ、朝空を……また夜空を見守る瞬間にも、誕生日が何回もやってくる。風が吹く速さで年を取っている、というわけになるが、だからといって生き急がねばという焦りに苛まれることは一度もない。
雲と星と空と風、そして私だけが残った今の世界には、宿題を早く出せという小学校の先生も、家賃を期限までに払えという大家も、独身や貧乏を嘲笑う世間も、私の時間を邪魔する者は一つもないからだ。
寿命という強制的かつ最大のブレーキさえ完全に故障した今、私の時間は無限に加速し、永遠に暴走しつづける……。
おわり