となりの芝生は海より青い
◆人魚視点
故郷が何者かに襲撃され、逃げ延びた私は地上の人間界への避難を余儀なくされた。海の下の王国は私にとって、長年生まれ育ってきた愛する故郷だった。
今は普通の人間のふりをして周囲とは上手くやっているが、美しい故郷の思い出が忘れられず、友だちとおしゃべりして笑う時も、心の中はいつも悲しみの海に沈んでいた。
どの時間帯に外へ出ても、となりの芝生は故郷の海よりも、ずっと青い色として映る。海は太陽の動きで少しずつ明るくなったり暗くするのに。
ご近所さんも、少し遠いところの家も、大切な人と楽しい時間を過ごし、いきいきと充実した毎日を送っているようだった。
近くとも遠くとも、となりの芝生はどの家も、故郷の海よりも、ずっと青く見えた。
◆王子視点
海の王国を占領し、我が帝国が長年追い求めた伝説の宝をついに手に入れた。神秘的な力を持つしずく型の宝石"人魚の涙"。それは、世界中のどんなサファイアよりも青いという。
奇跡の青いバラの次は、この人魚の涙を手に入れたわけだが、それでも僕の心は、小さな欠片が抜け落ちたように、どこか寂しさが募ったままだった。
人魚の涙の獲得祝いのパーティーでも、僕は素直に楽しむ気持ちになれなかった。パーティーの飾りも料理も、ただ豪華なだけでいつも通りの、ありきたりなものに思えてしまう。
晴れの日の昼下がり、散歩をしに海岸を訪れる。目の前には、これから我が帝国のものになる広大な海が広がっていた。
どこまでも果てしない深い青に、僕は物静かな気持ちになる。小さな波の音だけが聴こえ、僕は寂しさを覚える。これほど大きなものを手に入れても、僕の心はどこか満たされないのだ。
そろそろ城へ戻ろうと、海岸を離れて郊外部へ入る。この辺では貧しい住民が暮らし、畑や果樹園がたくさんある。
貧しい住民は庭も豪華というわけにはいかないが、僕にはどの家の芝生も、城の庭園のバラより青く、いきいきとしているように見えた。畑の作物や周辺の雑草も、自由に生きているという感じだった。
のどかな住宅街を過ぎると、低い丘の一本木の下で、サンドイッチを食べる親子の微笑ましい姿が。
一見ピクニックをしていると思いきや、子どもの誕生日をお祝いしているらしい。この親子はケーキも買えない貧しい家庭で、日頃から慎ましい生活を送っているのだろう。
しかし、子どもはサンドイッチが大好物のようで、むしろ一年に一度の誕生日に手作りのサンドイッチが食べられるだけで、心から嬉しい笑顔だった。
サンドイッチパーティーが終わると、父親は子どもにプレゼントを渡す。布袋から取り出されたのは、青いクレヨン一本だけ。庶民の家庭でもありえない内容だが、子どもは目を輝かせ、やっともらえた、と素直に大喜びした。
子どもにとって、その青いクレヨンは、どんなに広い海よりもずっと青い色に輝いて見えるのだろう。僕の目にも、子どもの持つ青いクレヨンは、人魚の涙よりもずっと青い色に映った。
◆少年視点
となりに新しく引っ越してきたお姉さんと、おしゃべりしたり、一緒にクレヨンでお絵描きして遊んだり。歳は離れていたけれど、何だかんだで、ボクたちは友だちになった。
お姉さんは普通に優しい人で、誰に対しても笑顔で接していた。でも、本当はお姉さん、重い秘密を持っていたんだ。
お姉さんの誰にも見られてはいけない本当の姿を、偶然にもボクは目の当たりにしてしまった。
お姉さんは人間なんかじゃなくて、海の世界からやって来た人魚だった。お姉さんは故郷の王国が大好きだったんだけど、王国が滅んで住めなくなって、仕方なく人間の世界に上がったんだ。
人前では、いつでも笑顔を絶やさないお姉さんだけど、心の中は悲しみの海に沈んでいて、涙になってこぼれないようにダムで何とかせき止めているようだった。
お姉さんが心の中で泣いているんだと思うと、お姉さんの笑顔を見るたびにしんどくなる。でも、子どものボクには、お姉さんのために何ができるか、わからなかった。
今日は海岸に行って、海の中の絵を描いた。いつもはそんな感じはしないのに、お気に入りの青いクレヨンがやけに重い色に映る。クレヨンの中に大きな海があるような……。目の前に広がる海よりも深くて、濃い青色に見えた。
できあがった らくがきも、泳ぐひとりぼっちの魚の他に、大きな泡と小さな泡がいくつか浮かぶだけで、静かで寂しく、どこか神秘的な雰囲気さえ感じた。