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BOOK:「新日韓国人」ですが、何か?

YouTuber  WWUK(ウォーク)さんと、呉善花(オソンファ)さんの「「新日韓国人」ですが、何か?」。悟空出版。

お二人とも韓国出身で、ウォークさんは日本国籍を取得する帰化申請中、呉善花さんは1988年に帰化されています。

この本は、韓国人&元韓国人の目から見た、日本と韓国の価値観の違いについての対談集です。ウォークさんは、中学2年生まで韓国で過ごし、その後オーストラリアに留学した後で日本に来たという経歴を持ち、一方、呉善花さんは26歳まで韓国で過ごした後で(その間に軍にも入り)日本に来たという経歴を持っています。お二人とも反日教育を受けて育ったのは同じですが、その影響を受けた期間が異なりますので、日本でいろいろなことを知ってショックを受けてから、理解し、受け入れるまでにかかった苦労の大きさも異なります。

お二人は、日本から韓国を客観的に見てお話しされるわけですが、ともすればそのスタンスは、日本の味方しているように受け取られてしまいます。まるで、母国のことを嫌っているような印象を与えかねません。でも、全く違います。お二人は母国を愛しているからこそ、母国からの批判を受けることを覚悟の上で、大袈裟な話ではなく命をかけて、歴史の事実を見つめることの大切さや、お互いの価値観の違いを理解することの大切さを訴えています。

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今回は、歴史的な内容について述べるのではなく(歴史については現在僕も勉強中です)、日本人と韓国人の価値観の違いについてご紹介したいと思います。
面白いと思ったのは次の2点です。

■「友達」に対する価値観
韓国において友達とは、「お互いの持ち物を勝手に使っても許容できるくらいの関係」であり「これ貸してね、貸してくれてありがとう、などのやりとりを挟むと、むしろ相手との距離感を感じてしまう」のだそうです。距離を縮めたいのだけれど、日本における「親しき中にも礼儀あり」という考え方に触れると、本当に相手と友達になったのか不安になるのだそうです。この考え方の違いって、新鮮ですよね。

■「満開の花であり続ける」価値観と「もののあはれを感じる」価値観
韓国は儒教の文化だそうで、孔子の論語に著されているように、立派な人(聖人)になることを求められるそうです。つまり、「自分自身が立派であること、周りから尊敬されるような存在であること」が重要な価値観であり、花に例えると、まさに「満開の花であり続ける」ことが存在価値につながるようです。

一方日本は、自然の移ろいを感じて、散りゆくもの、小さなもの、古びているようなものに目を向け、そこに「もののあはれ」を感じる文化があります。わかりやすいところで言うと、「わび・さび」もそれと通じるものがあると思います。韓国の価値観との対比で言うと、もちろん「花」にも価値を感じるけれど、「花ではないもの」にも価値を感じる文化です。「花ではないもの」への許容度に差があります。

韓国の価値観の場合、例えばもし自分に足りない部分があっても、それを許容するのが難しいようです。立派な人にならなくてはいけないし、自分はその努力をしているのに、現実としてどうしても足りない部分が出てくる。周りと比較すると、余計に足りない部分が見えてしまう。けれどもそれを受け入れてしまうと、自分は「花になれない」のを認めることになり、存在価値に関わってくる。だから、認めたくない。努力しているのに「花になれない」のは、自分に不足があるからではなく、政治に問題があるからだ、と言う形で他責のスタンスになってしまうのだそうです。

これは、価値観の問題なのでどちらが良いとか悪いとかの話ではありません。ただ、個人的には、完璧であろうとするのはとてもしんどいだろうな、と思います。また、韓国では整形が流行っていますが、それも常に花であろうとする結果なのかな、なんて思ったりもします。

今回ご紹介した本は、お互いの価値観を理解する上で、とても参考になる本だと思います。日韓関係はいろいろありますが、まずはお互いの価値観を理解するところから、すべてが始まると思います。興味のある方は、ぜひご覧になってください。



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