「パートナー」の「かたち」
わたしは、パートナーとお互いに呼べる人が欲しい。
それは、籍を入れても、入れなくてもどちらでもいいけれど、一緒に食事が出来て、おやすみとおはようが言えて、穏やかなコーヒーが飲める、揺るがないパートナーで、公私でいえば、プライベートな方だ。
そしてその生活を共にしたい人は、なんだかんだ言って、今も変わらない。
実らないのに、何をしているんだろうかと思うけれど、こんなに好きになったことも、こんなに楽しいを教えてくれたことも、好きを超越して愛しいになった人も、私にはいない。
別れた人や、好きになった人を振り返ってみても、こんなに想ったことが、ない。
別れる時には、いつだって、自分の中で「もういい」と思って手放してきたからかもしれない。好きの気持ちを昇華させていたからかもしれない。「もういい」なんて1ミリも思わずに手放した愛しい人。悲しくて、悔しくて、片割れを失ったみたいに苦しい。
どこに行くか、より、誰と行くか。
何を食べるか、より、誰と食べるか。
何をするか、より、誰と過ごすか。
その「誰と」は、「あなた」が、わたしはいい。
「あなた」以外の人が、「誰と」にはまることはない。
それぐらいに、心が大きく動く、大切な大切な愛しい人。
その揺るがないパートナーシップは築けないが、彼は、「一緒に仕事がしたい」と言ってくれている。いや、今のところ、「いた」が正しいのかもしれない。
つまりそれは、ビジネスにおけるパートナーで、私としては、ちょっと妥協点のところにある。
もしかしたら、2人の「最大公約数」かもしれない。もしくは、私だけの「最小公倍数」かもしれない。プランBとでも言うべきか。
彼が、どう思っているのか、本心は、分からない。
ただ、目的と手段が噛み合わないと、どこかで行き詰まった時、簡単に手を離されてしまう。離せてしまう。それが、私は嫌だ。だから、かなり警戒している。
なかなか難しいけれど、私にはどうしようもないところまできていて、あとは、彼が何をどう決断し、どう動くかにかかっている。
とはいえ、彼に全てを委ねるのは無責任なので、わたしは常にプランCを考えている必要がある。
それはそれで、消耗する。
ときに、もうやめよう、と思う日もある。プランCをプランAにして考えていないといけないと思うこと方が増えてきた。
相手を想うからこそ、相手のせいにしないために。
自分の人生の舵取りは常に自分でないといけないことは、痛感している。自分で舵取りしていたはずの去年でさえ、思わぬ形で難破した。
とはいえ、私の理想のプランAは、やっぱり冒頭に書いたプライベートのパートナーシップであり、ビジネスパートナーはプランBだ。
プランCはどこか「つなぎ」な気がしてならない。
でもそもそも、プランAを望んでいる人が、プランBでいこうとするのは無理があるのではないか。そんなことも思う。
別れた人とお友達の関係になれる人もいるけれど、私と彼は、お友達の関係にはなれないんだろうなと思う。互いに独身であれば、また違ったんだろう。そもそも別れてなかった気もする。
ずっと、心の中では繋がってる気がする。
姿かたちがないだけで。
なんだかずっと心にいる。
そして彼もずっと私を想ってくれている気がする。
私たちは繋がってる。
そんな気がするのは、なんでだろう。
よく分からない「パートナー」の「かたち」。
ただ、わたしは、姿かたちのある「パートナー」が、欲しいんだ。