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6.いじめに理由はない

中学生で同時に始まった虐待といじめ。一つだけでも苦しいのに、狭い世界で生きる13歳の人間が、家族と友人が敵にまわってしまった現実を受けいれることは容易ではなかった。

友人たちのいじめは、ほんのささいなことだった。「私だけ部活動が違う」。それだけだった。
私が通っていた市立中学校は、ほとんどの児童が学区内で進学した。もうひとつの小学校と合併するように形を成し、学年の半分は知っている子たちという状況だったため、学校生活は楽しみだった。

「八月朔日、クロッキー帳見た?」

夏休みが空けた二学期、小学校からの友人にこう声をかけられた。声をかけてきたグループ全員が、小学生のとき特に仲が良かった友人たちだった。
「見てない」と答えると、「なるべく早く見て」とだけ残し、一切その話題にふれることはなかった。
数日経って、ふとクロッキー帳の存在を思い出した。ロッカーに用事があるついでにクロッキー帳を開いてみると、全身の毛穴からあぶら汗が噴き出るような感覚に襲われた。
私が描いた絵の上に、落書きがされていたのだ。落書きは、意味不明な記号がいくつもいくつも描かれており、その場で解読することはできなかった。ただ、「人が描いた絵の上に落書きをする」という行為が悪ということだけは理解していた。
私は驚きと恐怖で、それからその話題を出すことができなかった。誰が描いたのか、誰が知っているのか、憤りが血管をかけめぐったが、それよりも「知りたくない」という感覚がそれを覆い鎮めた。

ある日、友人たちと休み時間を過ごしていたとき、ひとりの友人が机に落書きをはじめた。その中のひとつに、私の絵にでかでかと描かれていたものを見つけた。
「それ、なんの絵?」と聞くと、友人たちは目を合わせながらひそひそと笑いはじめた。小学生のときからなかよしだったはずなのに、私ひとりだけ取り残されている感じがした。
落書きをしていた友人はみんなと声をそろえて、

「バスケ部には教えへん」

と言った。
私って、小学生では「ともだち」だったけど、中学生では「バスケ部」になるんだ。深く追及はしなかった。「わかった」という自分に腹が立ったが、私はバスケ部だから、輪に入れなかった。
後から知ったが、落書きで描かれていた意味不明な記号は、女性器の簡略絵だった。夏休み、祖父と行った庭園のスケッチの上に女性器がうようよ浮いていた。
小さい頃から絵を描くことが好きで、得意だった。スケッチをしている際も、「じょうずね」と声をかけてくれる人たちがいて、誇らしかった。
クロッキー帳を自宅に持って帰り、絵を破り捨てた。クロッキー帳は、二度と学校に持って行かなかった。

いじめをしていたひとたちは、全員小学生からなかよしの友人だった。
ひとり、特殊な関係の友人がいた。仮称で、ヨンちゃんと呼ぶ。
ヨンちゃんとは、小学5年生のとき初めて同じクラスになった。存在は知っていたけど、いつもひとりで、だれとも話さず、常に下を向いている暗い印象の子だった。どちらかというと好かれてはおらず、透明人間みたいな子だった。
席替えがきっかけで、ヨンちゃんと喋ることが増えていくにつれ、私は驚いた。ヨンちゃんはとてもおもしろく、あかるい子だったのだ。なんで常にひとりなのかが理解できないくらい、ヨンちゃんといると楽しかった。
ヨンちゃんは、「自分に自信がない」と言っていた。声がちいさく、ぽっちゃりとした体型がきらいだとつぶやいた。
私は、ヨンちゃんが抱えるコンプレックスなんて微塵も気にならなかった。

それから私は、自分のグループにヨンちゃんを呼ぶことが多くなった。ヨンちゃんのおもしろさとあかるさはすぐにみんなに受け入れられ、学校生活がより楽しくなった。
スポーツが好きだった私は、ヨンちゃんを外に連れ出すことも多くなった。その後ヨンちゃんは地元のスポーツクラブに入団し、さらにあかるい子になった。

中学生に上がっても、ヨンちゃんとの仲は変わらなかった。
ヨンちゃんは、毎年毎期学級委員をするくらい、クラスの中心人物になっていった。ヨンちゃんは私とクラスが離れてしまったとき、「楽しくない」と不満をもらしつつ、私がいるクラスにしょっちゅう来ていた。
そんなヨンちゃんが、いじめに加担していたことはショックだった。「なんで?」と聞きたかったが、こわくて聞けなかった。

高校に上がると、本格的にはぶられることになる。理由は、「違う市の高校に通うなんてかっこつけている」というものだった。それを知ってから一度も、ヨンちゃんと会うことはなかった。
大学2年生の誕生日に、フェイスブックを通じてヨンちゃんから連絡がきたことがある。プロフィールを見ると、ヨンちゃんは一浪して有名私立大学に通っていた。
「お誕生日おめでとう」と唐突に連絡があり、その無神経さに初めて腹が立った。「いじめに加担しといて、よく連絡してこれたね」と返すと、

「え?なんのこと?」

と返ってきた。
「ごめんね」と一言だけあれば関係性が変わっていたかもしれないが、自分のしたことをなかったことにする人との未来なんてたかが知れている。

私の場合、虐待といじめが同時多発的に起こっていたので、いじめに割く感情が2割ほどしかなかったように思う。なので、「あれっていじめだったのか」と気付いたのが大学生になってからだった。
その後遺症とも呼ぶべきか、唯一ひとりだけ、いじめに加担していた友人とのつながりが今でもある。その友人のことは、次の章にて記すこととする。

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