自己紹介│はじめてのnote🕊️
はじめまして、栞と申します。
noteに登録して早数ヶ月、やっとこさ初めての文章を書いてみました。気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。
自分について
まずは自分についてどんな人間なのか記憶を掘り起こしつつ、思いついた事をいくつか挙げてみようと思う。
・小さい頃の夢
小さな頃、魔女に憧れていた。魔女といっても杖を振ってキラキラした魔法を使う魔女ではなくて、薬草を煎じたりハーブティーに詳しい魔女の方。例えば「魔女の宅急便」に出てくる主人公の母親であるコキリさんや、「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんの様な魔女や、絵本に出てくる怪しげな薬を作っている魔女。
米国出身の幼友達が誘ってくれた本格的なハロウィンパーティーには、もちろん手作りの真っ黒なマントを羽織って小さいホウキを手に参加した(とんがり帽子は間に合わなかった)。
小学生の頃は幼馴染と庭のイチイやムラサキシキブの実を小石で擦り潰して、薬作りごっこをしていた。その成果か植物に詳しくなって、植物について学べる高校や大学に進学した。(専攻は植物そのものについてではなく緑地デザイン専攻だったが。)
今でも密かに童話に出てくるような、銭婆のような、元気が出るまじないがかかった美味しい飲み物を淹れられる魔女を目指している。
・絵を描くことが好き
物心ついた頃からよく絵を描いている子供だった。
小さい紙一枚一枚に色とりどりの服を着た女の子を描いて(紙の)人形遊びしていたり、毎年祖父に頼まれて年賀状の絵を描いて褒めてもらったり。絵を描いたら誰かが喜んだり驚いたりしてくれるのが嬉しくて、それが現在まで絵を描き続けて来た原動力になったのかもしれない。
「私は絵を描く事を仕事にするより、趣味として自由に好きな絵を描ける環境の方がいいのかも」と考えて緑地設計デザイン関係の進路を目指した。しかし紆余曲折を経て、現在は少しずつだが好きなものを描く事で生活しようと挑戦している最中だ。
・マイペース
良くも悪くも、私はマイペースらしい。
幼稚園ではお昼寝の時間が過ぎても、すでに起きているクラスメイトに囲まれてスヤスヤと大の字で寝続けていたらしい。証拠写真までしっかり残っていて苦笑いした。
大学生の頃は、マイペースだけれどもやる事はしっかり間に合う様に常に意識して行動していた。しかしバイト先で「いくら丁寧で綺麗でも、のんびりやってちゃ意味無いんだよ!」と叱られた。自分では頑張って早めに作業して時間内に仕事を終わらせているつもりでいたが、その通りすぎて結構落ち込んだ。
小学生の頃、図工の時間に好きな場所で模写をする課題が出た。私は校内の一本の葉桜の木を選んで、ひとりじっと観察しながら紙に絵具を乗せていった。本来は何回かの図工の時間内で模写の課題は終わりの予定だったのだが、私は本当によく観てじっくりと丁寧に描いていたようで、締切の時間まで到底間に合いそうになかった。
焦っていたら担任の先生から「栞さんは次の時間(図工後の時間割は総合的な学習の時間だった)も使っていいから、最後まで描いていなさい。」言われ、みんなが絵を提出して野外学習をしている中、私はひとり描き続けた。
おかげさまで我ながらとても良い絵を描き上げられた。先生は「期限が過ぎてしまってコンテストに提出できなかったけど、とても良い絵だから。」と、渡り廊下のギャラリーにその絵を飾ってくれた。今でもその時の嬉しさを思い出したりする。
クラスのペースからひとり遅れている私を急かさず、長所を大事にしてくれた当時の担任の先生にはとても感謝している。
大人になるにつれコンプレックスになっていったマイペースさは、時には重荷になるが、大事な私の芯でもあるのだ。
・パニック障害
初めてパニック発作を起こしてから四年ほど経つ。
お風呂場で髪を洗ってる最中、前触れも無く呼吸が浅くなり動悸と強い吐き気、手足の震えが襲ってきた。その場から動く事もできず、手足の先がどんどん冷たくなっていく感覚がした。
それから何回発作が起きただろうか。動悸で眠れない夜も続いた。自律神経のバランスが崩れた影響からか、嗅覚や聴覚が敏感になって今まで日常だった場面で気分が悪くなる事が増えた。
症状は人によるのだろうけど、私の場合は嘔吐恐怖症のため、吐き気が一番辛い。
体調に波があって発作が起きてお風呂に全く入れない時期があった。外食中、急に喉が通らなくなって吐き気と動悸がするようになった。車の中で発作が起きて近所のスーパーにも行けない。電車にも乗れなくなった。頑張っても病院以外どこにも行けない時期もあった。どこにも行けないと家に篭りきりになって、私の見る世界がとても小さくなった。
いつまで苦しまなくてはならないのかと何度も泣いた。様々な立場で自分より苦しんでいる人がいるのは理解しているが、辛いもんは辛い。
ままならない身体に振り回されるようになって四年、相変わらず発作が起きる事はあるが、だいぶ頻度が減った。苦しさに慣れはしないけど、やり過ごし方はなんとなく身についてきた。
行動範囲が減ってかなり体力が減ってしまったので、運動不足解消が目下の課題だ。
分岐点
大学4年の春、突然全てが恐ろしくなった。
大きなショックを受けるような出来事があったわけではないが、人と話すことが恐ろしくなった。当時一人暮らししていた部屋から出られなくなってしまった。大学にもアルバイト先にも行けなくなってしまった。眠れなくなってしまった。頭の中では「自分はどうしようも無い人間だ」という思考と「どうしよう、どうしよう」という焦燥感が常に渦巻いていた。
それから何日経ったか定かでは無いが、実家の母に泣きながら「助けて」と電話をかけ、次の日仕事が休みだった父が荒れた部屋に駆けつけてくれたのを覚えている。
それから一年半ほど休学し、精神科へ何度か通ったり実家で療養したが何も回復せず、このまま休学していても4年生の単位取得と卒業制作までこなす事は無理だと判断して大学を辞めてしまった。
大学まで行かせてくれた両親には本当に申し訳ないが、どうしようもなかった。
今思えば、大学3年の頃から少しずつ様子がおかしくなっていたのだと思う。元々心配性な性格ではあったが、どうしてこんなにも自信がなく自己否定する様になっていたのか。大学の友人と関わる時も、ダメな自分を晒さないように仮面を被って何だかいつも無理をしていたように思う。「こんな自分が社会人としてやっていけるはずがない。」と思い込み就職活動も遅れていた。
当時は困った自分をさらけ出せる人間関係を築けていなかったし、それまで困った時は耐えてやり過ごすか自分で解決していたので、どうすれば良いのか分からなかった。
この時点で何かおかしい自分に気付いて、誰かに相談できていたら違う未来があったのだろうか。この分岐点は何を選択すれば正解だったのかと、今更そんなことを考えても意味がないのだけれど、たまにあの苦しくて寂しい時期のことを思い返してしまう。
noteをはじめたきっかけ
私は自分をさらけ出す事がとても苦手だ。ここまで自分自身の事を思い出しながら書き出すのに何日もかかってしまった。noteを書くきっかけは、初めて苦しい心の内を明かして話をじっくり聞いてくれたある人に勧められたからだ。
「心の内を素直に、あれこれ考えず心のまま書いて、おもいを表現する練習をしてみなよ」
これまで旧Twitterで思った事を呟こうとした事もあったが、続かなかった。と言うより一言も呟かないままアカウントを消した。何を書けばいいのか、こんな自分が何かを呟いて意味はあるのか。そんな事ばかり考えてしまって何も書けなかった。
noteでは何か書けるのだろうか。誰か読む人はいるのだろうか。何か批判されたらどうしよう。そんな細々した心配を捨てる代わりに『あれこれ考えず、心のままに』を頭の隅に置いて、とりあえず書いてみた。とても時間がかかってしまったうえ、長々と滅茶苦茶な文になってしまったが、なんとかここまで書けた。
次も書けるだろうか。
noteでやりたいこと
『心の内を素直に、あれこれ考えず心のまま書いて、おもいを表現する』
これを目標に、ぼんやりと思った事、考えた事、感じた事を日記や備忘録として書いていこうと思う。
いつまで続くか分からないけど、一年続いたら自分へのご褒美にお気に入りのケーキ屋でケーキを買ってお祝いしようかな。続くと良いな。
ここまで目を通してくれた方へ
私の心の内を読んでくださってどうもありがとう!