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久しぶりに手紙を書いてみようか

私はどちらかと言うと筆まめな方だったと思う。
遠くへ引っ越した友人達や海外へ行った時に仲良くなった子と文通をしたり、PCを日常的に使うようになってからはメールを送り合った。毎年の年賀状にはちょっとした近況を添えて送ったり、幼稚園や小学校時代の担任の先生とも毎年近況を知らせあったり、思い出話を添えたりしていた。
その頃はメールや手紙の返事を書くことは全く苦ではなかった。

送る相手が好きそうな雰囲気のレターセット、季節に合いそうな封をするシールを選んだり、雑貨屋や美術館へ行ったら好きな絵のポストカードを購入したりするのはとても楽しい時間だった。
「お元気でお過ごしでしょうか?」
いつも真新しい便箋には当たり前のようにそう書き始めていた。

『大丈夫ではないです、元気ではないです。』

以前投稿した記事にも書いたのだが私は大学生の時に心身が疲弊し体調を崩してしまい、しばらく休学したのち中退している。
その時の事を書いた記事↓

その頃からだろうか、友人からのメールや年賀状の近況報告に対して返事をするのがひどく億劫になった。世間の年賀状離れもあって年賀状を書くのは辞めた。心も身体も限界まで疲れてしまってから、元気な頃を知っている人には今の情けない自分を知られたくなかったのだ。

私が休学した事を知った学友の数名から「大丈夫?」等の心配してくれている内容のメールが何度も届いた。中には何度か直接会う機会があった人には「話とか聞くよ。どうしてそうなったの?」と声をかけられた。とても返事に困ったのを覚えている。
心配してくれているのはとてもありがたいんだけど、どう返したらいいのか分からない。疲弊している頭では言葉が思い浮かばない。

『全然大丈夫じゃない!』『今自分はどんな状態なのか、自分でも全然分からないんだから何も話せる事なんか無いよ!』『何か話したところで何かがどうにかなるの?』
心の中ではそう叫びながら、なんとか言葉を捻り出して最終的に「元気になったら連絡するね」といった内容の短文を返してこちらから連絡することは無くなった。

療養のため実家に帰った後、今度は幼馴染や高校からの友人から「元気?」と連絡が来た。いつもなら「元気だよ」とか「まあまあかな」などの返信をするのだけど、実は病んで休学してて…と正直に言うのも重い気がするし、元気だと嘘をついて適当にあしらうのも罪悪感を感じる気がする。そんな事をグルグルと随分悩んで、結局「ちょっと体調崩して今、休学しててさ〜」と空元気な文面の返事をした。

そうしたら今度はある友人が「調子どう?」「体調がいい時会おうよ」としょっちゅう様子を伺ってくる様になった。気にかけてくれてるのはとても伝わってくるけど、その時期の私は現状や将来に対しての不安に飲み込まれて鬱々とした状態で起きているか、」何も考えたくなくてひたすら眠っているかだった。
小まめに返信できる余裕なんて全く無い。

「元気になったらこちらから連絡するから、今は連絡控えてくれないかな」そう強めに伝えたつもりだったが相変わらずちょくちょく「最近どうですか」と連絡が来たて頭を抱えた。

(その友人にはそっけない返信になったり返信をしない時期があったりと嫌われる事を承知の上で塩対応になってしまったが、相手の押しの強さのお陰か紆余曲折を経て、今では何故か毎年お決まりの映画を観に行ったり、たまに会ったり会わなかったり、連絡したりしなかったり、ゲームを通信プレイしたりの私にとっては程よい距離の関係性になっている。相手がどう思っているかは分からないが。)


「元気になったらまた連絡するね」

そう伝えてから随分と時間が経ってしまった現在まで、胸を張って「元気になった!」と思た時がなかった。だからそう伝えた友人達には連絡をしていない。しようと思っても、今までどうしていたかなんてまだ思い出話にできるほど回復していないし、聞いてて楽しい近況話なんて出来ないし。そもそも私の事など、とっくに忘れられているんじゃなかろうか。近況を伝える事がしんどくなって以来、知り合いに年賀状を送るのも辞めてしまった。

今でも連絡を取る学生時代から友人知人はほんの少しになってしまった。けれど疎遠になった友人もいれば、ちょっとしたきっかけで昔の友人と再びお互いの様子を知る事ができたりもした。縁が切れてしまった人にこれから連絡をすることは無いかもしれない。けれど相手が元気で過ごせていればいいなと勝手に願っている。

一人反省会

自分が「大丈夫?元気?」と心配された経験をして、病気に限らず辛い時を過ごしてる人にかける言葉の難しさを知った。相手を想ってかけた言葉でも、受け取り方によっては重い言葉になってしまうのか。これから言葉をかける側になった時、どんな対応ができるだろうか。

そんな事を考えてたら、ふと中学生時代とても辛そうにしていたあの子に「大丈夫?」と声をかけていた事を思い出した。あの時かけた言葉はあの子にとって重荷にならなかっただろうか。そう考え出したら脳内で過去の自分の言動について一人反省会が始まってしまった。
こうやってすぐ一人反省会をしてしまうのは悪い癖だ。


「それではまた会いましょう」

取り留めのない文になってしまったがここからが本題だ。
昨年末ぐらいからカウンセリングに通い始めた。その時期どうしようもなく辛くて、今まで無意識で頑なに蓋をしていた心の内を誰かに聞いてもらいたくなったからだ。何度か通ううちに自分の本心が口から出せるようになってきた。思っていることを日記やノートに書き出すのは苦手だったのだが、このnoteに投稿してみようと思えるくらいには思っている事を書き出せるようになった。

H先生に手紙を書いてみようかな。

ふとそんな事を思って、何年も中身が減っていないレターセットが入った引き出しの中からお気に入りの封筒と沢山の便箋を取り出した。

H先生とは高校一、二年生時の恩師だ。美術教師で画家でもあったため、私が美大を目指すか進路の方向に迷っていた時にはとてもお世話になった。ギリギリまで悩んで結局美大とは違う進路を選んだのだが二年の終わりの終業式の日、転任することになったH先生から先生の作品が載っている画集と一通の手紙を頂いた。手紙には応援の言葉と、最後に「それではまた会いましょう」と綴られていた。

私は実家に戻ってから、二度ほどH先生の個展に足を運んだ。一度目は「今の自分では先生に合わせる顔が無いな」とか考えていたからか、運が良いのか悪いのか展示場所で先生と鉢合わせることは無かった。
二度目は昨年の夏、やはり先生に顔を合わせることは無かったが、前日まで在廊しながら描かれたギャラリーの外の風景のスケッチが飾られていた。展示されている絵は、美術準備室で見た時より作風が少し変わったっていた。以前より大胆で自由なタッチで描かれていた。

当たり前の事なのだが『物事も人も変化するんだな、時間って前に進んでるんだなぁ』そんな感情が湧いてきた。


主観では、私の中身は大学で調子を崩した頃からあまり時間が進んでいないというか、たまに泥濘がある出口が見えないトンネルを歩き続けているイメージだったのだが、私を間近で見てきた母から見ると少しずつ良い方へ変化しているように感じるらしい。

言われてみれば、何をするにも疲れやすいのは変わらないが、義務的に砂を噛んでいるような感覚の食事だったのが美味しく食べられる時も多くなったし、人目を気にして外に出られない時期もあったのにふらっと散歩に出るようになった。人に関わるのが嫌だけど人と接する事が前より出来るようになってきた。なにより、何にもしたくない、何もできない、このまま居なくなってしまいたいと思っていた人間が、再び自由に絵を描くようになったのだ。

私自身も少しずつ変化している。それならいままで出来なかった事を少しやってみようか。H先生に近況を伝えてみようか。メールだと送る時になんだか緊張するから、相手に届くまでの猶予がある手紙で。大学で頑張った事、心が折れてしまった事、絵が描けなくなった事、また絵が描けるようになった事、これからどんな絵を描きたいかを書いてみよう。

最後に先生に会ってから随分経っているから私の事は忘れているかもしれないし、突然の手紙に驚くか、もしくは戸惑うかもしれない。あまり返事は期待せず、できることを少しずつやって行こう。

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