糸づくり、染め、織り、仕上げまで一貫生産、唯一無二の絨毯が山形に生まれた理由。
鼎談
山形緞通 渡辺博明 × LAPIN ART 坂本大/関電不動産開発 中平英莉
阿佐ヶ谷ハウス「わたしの部屋」では、カーペットを採用することで、ものの輪郭を引き立てる「どこまでも眺めのいい部屋」を実現しました。素足に直接触れる絨毯こそ、ちょっと背伸びをしても本当にいいものを選びたい。そんな想いから今回私たちは、スムースな手触りと上品な発色に定評のある絨毯ブランド「山形緞通」を手がけるオリエンタルカーペット株式会社を訪ねました。
1935年の創業以来、日本の生活様式や風土に根ざした絨毯を日本人の職人の感性で作り上げることにこだわり、唯一無二の心地よさを提供してきた会社のヘリテージをたどる旅。後編は、代表取締役社長の渡辺博明さんにお話をうかがいました。
前編
ウールとは思えないほど滑らかな絨毯
中平:「わたしの部屋」を通して本物の素材にこだわった部屋づくりをする中で、山形緞通のものづくりを知り、憧れを持ちました。上質さの理由を知りたいと思ったのです。
渡辺:山形緞通というブランドを手がける、私どもオリエンタルカーペットは、1935年に中国から支那絨毯の職人を迎え、2年という時間をかけて、ここ山形県山辺町の女性たちに仕事を教えていただいたことから始まりました。素肌で触れても毛糸特有のチクチク感を感じさせない滑らかな手触り、これが我々の製品の最大の特徴です。この部屋の絨毯は、創業して間もない80年ほど前に製作されたものですよ。
坂本:80年も経っているのに手に吸い付くようなしっとり感。この風合いはどこから?
渡辺:これは、80年使い込んだと言う歳月が与えてくれた宝物です。尚、私共には、新品の絨毯をこのような手触り、風合いにする技術があります。マーセライズ加工(シルケット加工)といって、製品を特殊な水に浸し、ブラッシングを行い、乾燥させる加工によりこのような使い込んだような滑らかな風合いが出るんです。これは、良質な羊毛を自社で丁寧に染め上げ、質の高い技術で織りあげた絨毯だからこそできる加工です。丁寧に作られたいいものだからこそ、ストレスを与えられたり、使い込まれるほど風合いが増し、柔らかく馴染んでいく絨毯なのです。
中平:経年により「美化」していく素材が家の中にあるというのは素敵ですね。
原点は、高度な織りの技術
渡辺:オリエンタルカーペットが誇るのは、職人による「手織」の技術です。織機の縦糸に、職人が一本一本、手作業で羊毛を結びつけてはカットする、とてもアナログな織り方です。ベテランの職人でも1日に織り進めることができる長さは7センチほど。四帖半サイズの絨毯をお納めするまで3ヶ月ほどかかります。特別なオーダーや装飾性のある絨毯には「手織」の技術が欠かせません。
中平:職人の方は、いまも女性ばかりなんですね。
渡辺:私の四代前に当たる創業者には「昭和初期の凶作冷害で疲弊した山形で、女性たちの手に職を与えたい」という思いがありました。現在も40名の職人全員が女性です。最近は10〜30代も増え頼もしく感じています。
坂本:色のバリエーションにも驚きました。
渡辺:一般的なニット製品は毛糸のお腹で色を合わせますが、絨毯は、切った面で色を合わせるという意味で難しさがありますので、自社で染めることが必然でした。営業マンがお客様と工房の間に入って、直接やりとりをすることも強みです。そうやってお客様の要望に応えることで生まれた色が2万色あります。我が社の大きな財産です。
中平:2万色とは、すごいですね。
渡辺:代々受け継いだものの積み重ねが、山形緞通というブランドのさまざまな商品展開を可能にしています。
伝統がブランド「山形緞通」を支える
坂本:僕は30代半ばですが、1960〜70年代に建てられたヴィンテージマンションの落ち着いた雰囲気にとてもひかれるんです。そういった空間には、必ずといっていいほど絨毯が敷かれている。現代ではフローリングが一般的ですが、僕は、絨毯が空間にもたらす豊かさも考えたいと思っています。
渡辺:「フローリングが一般的」というのは大きなキーワードですね。弊社には、皇居新宮殿や迎賓館赤坂離宮、歌舞伎座など著名な建造物に絨毯を納めてきた歴史があり、いいものを作っていれば必ず評価されるという思いがありました。しかし時代の変化により、2000年代頃からコントラクトの絨毯が少なくなってきたことも事実です。そこで、山形緞通というホームユースのブランドを立ち上げました。
坂本:僕は、佐賀県の出身で家業が唐津焼の焼物屋なんですが、伝統と革新のバランスについて、同じように感じることがあります。いいものを作っているのになぜ受け入れられないのか。しかし、素材、工程、歴史のすべてにおいて長く続けていらっしゃる御社のような会社の技術というのは、何者にも変えられないものがある。山形緞通のように魅力的な新しいブランドが生まれた時には、その歴史こそがブランドを支える説得力として、人々の興味を引き出すものになるのですね。
五感が反応せずにいられない心地よさ
中平:山形緞通は、プロダクトデザイナーの方々と協業したり、無地の絨毯を開発されたり、新しいことに積極的に取り組んでいます。
渡辺:山形緞通というブランドの立ち上げでは、ブランディングデザイナーの西澤明洋さんのお力も借りながら、伝統技術をデザイン的にモダンなものに活かして、インテリアの世界で展開できないかと考えました。
中平:時代の変化に合わせて、意図的に方向転換をされたのですね。
渡辺:いいものを作っているという自負があるからこそ、伝える手段を真剣に考えなければいけません。奥山清行さんや隈研吾さん、小林幹也さんなどとコラボレートすることで、従来の古典ラインに加えて、デザイナーズライン、現代ライン、新古典ライン、スタンダードラインなどカテゴリーの異なる商品をご提案できるようになりました。
坂本:30~40代の方々で、ちょっと背伸びをしてでも本物のカーペットを部屋に取り入れたいという方は多いのではないかと、僕は感じています。こうやって言葉で語るよりも、実際に対峙した時に五感が反応してしまう「いいなあ」という感じ。そういう上質さこそ、身近に置きたいと思うんです。
協業によるクリエイティビティの探求
中平:山形緞通のホームページにもあるように、40年代にシャルロット・ペリアンやアントニン・レイモンドのデザインを製品化されたり、70年代には、剣持勇さんデザインの京王プラザホテルや、吉村順三さんによる嬉野温泉大正屋に敷き込まれたりと、時代の先端を行く建築家や家具デザイナーに採用された絨毯であったことも、私たちがちょうどモダニズムの建築家に影響を受けていることもあり、興味深いです。
渡辺:シャルロット・ペリアンさんは、建築家の坂倉順三の推薦により、商工省「工芸指導顧問」として初来日し、1940年に当社の前身である「東北復興ニッポン絨毯株式会社」を訪問しました。翌年、高島屋で開催された展覧会では「水夫のデッサンを模様に施した絨毯」をデザインし、オリジナルの手織絨毯を製作しました。
中平:戦前からいいものづくりを真摯に続けていらしたことが、実を結んだというわけですね。
渡辺:中国から伝わった絨毯を日本のデザインで作れないかと、時代ごとのクリエイターがここ山形まで足を運んでくれたようです。そうしてお納めした記録は、糸のサンプルと共にファイルに残されています。
中平:創業時、中国の職人から織りを習ったのは、たった2年ですよね。当時の従業員の方々のその後の修練や創意工夫の精神は、相当のものであったのではないかと。技術で付加価値を高めるんだという覚悟があったのだと想像しますが、お話をうかがって、クリエイティビティの探求とクオリティへの厳しいこだわりが、今も確実に引き継がれていることを感じました。今日はありがとうございました。
構成・文 衣奈彩子
写真 米谷享
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