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烏丸ストロークロック『まほろばの景2020』

烏丸ストロークロック『まほろばの景2020』

作・演出 柳沼昭徳
音楽・チェロ演奏 中川祐貴

2020/02/17 19:00公演をみた!

演劇ライターの徳永京子さんがオススメしてたのと、以前に美しい舞台写真を目にしていたのもあって鑑賞。内容よりは自分の問題があって、思ったように鑑賞できなくて。今日はそのことを書こうと思う。

作品の感想というより私の話です。

観劇って自分の精神状態のリトマス試験紙だと思ってる。

作品の中のほんの一つのセリフ、アクトが異様に沁み入って号泣したことなんて数知れず。見る前は重かった体がふわふわしてたまらなくなったり、劇場出た瞬間に涙が止まらなくなったり、スバリ悩んでいたことを貫いて抱きしめてくれるような作品に安心したり。

どんな作品も出会えるタイミングによって感じ方が変わるし、それによってかけがえのない記憶としていまだに残ってる作品はいくつもある。演劇は自分の足で出向いて空間を共有するからこそ、その時にそれを見るということに強い意味が生まれるし価値ある“経験”となることができるのだと思う。

逆に、上質な作品であることはわかるのだけどその時の私の精神状態や人生経験如何で、理解共感には及ばないなと鑑賞中に躓いてしまうこともままある。

『まほろばの景』もそれだった。

当日パンフレットにも「生きづらさ」を描いた作品だと書いてあったけれど、震災を軸に置いて、逃げ場のない日常の中で恐怖/自己嫌悪/もどかしさ/祈りその他様々な感情に揺り動かされながらただひたすらに生きるしかない無様な人間の姿をひたすらに舞台上に立ち上げるものだった。

でもね、私こういう感情、最近無視してるんだよなと思って。日常でも自分ごとにできてないから、作品見てても自分ごとにできてない私がいて。どこか傍観者な気持ちで余裕ぶっこいて高みの見物してる私がいて。入り込めなかったな。お前まじでそういうとこやぞと思うものの、細々した苦しみをエンターテイメントっていうモルヒネで麻痺させて無視して全力疾走で快楽に突っ走ってるのが今の私だから。

3年前、大学上がった頃は、常に終わりを見つめてはその時仲良くしていた子たちとの関係とか記憶がいつかは消えてしまうことを異常に恐れて勝手に切なくなって、でもそれを言い出すのも怖くて、みたいな面倒な感情にいちいち付き合って悩んで悩んでたような気がするのだけど。今なんもないな。その時々楽しくできればいいかなみたいなテキトーさで生きてて。

そういえばこのnoteをはじめたのも、体験がどんどん記憶から消えていくのが悲しくて繋ぎ止めておくために始めたんだっけ。今となっては、めちゃくちゃ惰性だわ。

きっと今見たら、大学上がって一番最初に見たあの劇もたいしたことなく見える。劇場出て涙止まらなくて戸惑ったあの時間、きっと今だったらこない。

お前もっと現実と戦えよ、と。

見ながら情けない私の現実を感じた。どうしたもんかな。

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