べにばな国体に関する覚書
これは中学校時代の社会科教師から聞いた話しである。
我が山形県にて、1992年に第47回国民体育大会「べにばな国体」が開催された。
開催に先立ち、関係者が視察に来たのであるが、移動中にとある集落に立ち寄った時に、「〇〇部落」という案内看板を見つけた西日本から来た関係者の1人が、「看板の表記を改めろ!」と怒り出したという。地元の担当者が、「部落という言葉は、こちらでは集落とか、地区という意味で使われている言葉なんです。」と説明したが、まったく聞く耳を持ってもらえず、県内の部落表記の看板はすべて交換することになったという。
実際に、今でも60代以上の人は、自分の住んでいる地区という意味で、「うちの部落では~」と言うことがある。
ネットで少し調べてわかってことなのだが、国体が開催されるにあたり、県内からも部落表記をやめようという動きがあったらしい。当時は部落長、部落公民館など行政用語としても使われていた。
こういった問題があることは知ってはいたが、身近で見たり聞いたりした事がなかった。しかし、この話しを聞いてとてもデリケートな事なのだと思わずにはいられなかった。おそらくこの問題は全国にあっただろうと思われるが、現代まで強く残っているところと、そうではないところの違いはどこにあるのだろうかとも思った。
問題が見えなくなったからといって、すべて解決したわけでもないとは思うが。
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