みんながやりたいことをやれるようになるには?
とあるスポーツ選手が子どもたちに「何か夢中になれることを見つけよう」と伝えていた。正直なところ言っていることは定番の言葉に思えたけれど、これって本当は大人にとってもめちゃくちゃ大切なことだよなと強く思った。
現代社会、会社に行きたくないとか働きたくないなどと思っている大人が少なくないなかでは、小学生さえも「自分が生きている意味がわからない」と思うようになっているの、怖いけどわかる気はする。小学生も自殺をしているこんな社会、どう考えても健全じゃない。「なんで生きているのかわからない」と小学生の子供が言うのにどう反応すればいいでしょうか、と相談する親御さんにたいして、作家で建築家でアーティストである坂口恭平さんは、親のあなた自身はそもそも楽しんで生きていますか、と返していた。これこそ大切なことだ!と思わずにはいられなかった。大人たちには子どもたちへ、生きることのよろこびを自信を持って伝えられるだろうか。昨今の学校の教育方法がほんとうによいものなのか疑ってしまう。
ほんとうのほんとうに、自分が大切にしたいことは何か。やりたいことは何なのか。遊びは真面目に、というタモリさんの言葉。真面目に楽しんで生きていたら、周りも楽しくなったりしないかな。大人も子どもも関係なく、好きなことを追求する。ほかと比べることなく。
好き勝手やりたい放題する、とは違う。自分以外の他者の気持ちも蔑ろにせずやることこそ、きっと「真面目」につながる。スポーツ選手がなぜスポーツ選手でいられたのか。なぜ賞をとれたのか。何か誰かの支えもあったからなのでは。
みんながやりたいことをできる限りやっていけるようになるにはどうしたらいいのかな、とけっこう考える。そんなの甘々の甘い考えだ!!と思うのが大抵の人の考えだろう。自分だって夢みたいな話だと思っていた。でも、ほんとうに無理なんだろうか。私たちは今のままでよいと本気で思っているんだろうか。
大切な家庭を守るために頑張って働きたい、というのが本当にやりたいことならそれでいいかもしれない。でも現状、底を突いていけば「働かざるをえない」というのが大抵で、仕方なく我慢してやっている。日本人はとくに我慢を美徳とするけれど、自死する人を生じさせる我慢に美しさなどあるだろうか。
では現実問題、みんながやりたいことをやれるようになるには、どうしたらいいんだろう。
そこで登場するのが、福祉かベーシックインカムというものになるのかなと思っている。必要最低限のお金またはサービス。それがあれば私たちは、人間の尊厳を脅かされるのではないかという明日への不安を取り除き、もっと前向きに世界を生きていけるようになるんではないだろうか。
ベーシックインカムにもいろんなやり方があるから一概にどうこう言い切れないけれど、すべてお金でまわすというのではない方法で、コミュニティシステムをつくる。それこそ隣人と物のやりとりをするような支えあうつながりというのは、とても大事なヒントになると思う。おエラいひとたちに頼るのはもうやめ。一向に賃金は思うように上がらないし、長時間労働はなくならない。
一度しかない人生だから、自分が心から大切だと思うことを大切にして生きていきたい。
確実な答えがあったら、今現在こんなことを文章に起こしていたりしない。模索するのみ。