京大リレー講義(3) 現代社会論「新型コロナと現代文明」 佐伯啓思先生
京都大学のオンライン公開講義
テーマは、ウィズコロナ時代に必要な「人文学」
8/9(日) 佐伯啓思先生「新型コロナと現代文明」#現代社会論
不要不急ってなんだ?
人間には、パンだけではなくサーカスが必要。遊びは文化であり、そこに経済が混じってきたところから遊びが衰弱して文明は幼児化した。
こういうものの見方を初めて知ってしまうと、不要不急って、ほんとに、何なんだろうって、迷子になる。
人類の課題
ローマ帝国では、「パンとサーカス」で統治していた。生命維持だけではなく、サーカスが必要なのが、人間。
「今ではいろんなパンがあるので、パンがサーカスみたいですけれども。」
現代文明の社会的特質
自由・民主主義の政治
世論の不安定さに翻弄される。状況が目まぐるしく変わるなかで、メディアが伝える速度にも影響される。
情報・知識化
専門知識を持った専門家が登場する。専門家の登場が、話をややこしくしてしまう。複雑な社会であるから、様々な専門分野に知識が分化している。
狭い範囲の知見を持ち寄ることになる。だれが統合できるのか?
専門家によって意見が違うから、何が本当かわからなくなって、事態を悪くしているが、それはもうしょうがない。
不確定性(uncertainty)とリスクは違うものだ。
トランプ大統領が、fakeやpost-truthと言い出し、すべてがfakeのように思わされている時代なのかもしれない。
現代文明というのは、ヨーロッパの啓蒙主義が生み出した「近代主義」を極限まで推し進めてきたもの。人間が合理的な行動をすることを前提に考えられている。
現代の危機(レオ・シュトラウス、1963年の講演)
近代主義は失敗した。
近代社会が生み出したものは、本当の意味で人間を幸福にしていない。経済は発展して豊かになったけれども、それが人間性を高めたかというと高まっていない。徳や節制、勇気をもって大事なものに命を懸けて自分の生を生きる、というような大事なものを人間は見失ってしまった。
人間はもっと、自由であり欲望を開放したい、というのは、もともとヨーロッパは前近代(絶対王政やキリスト教社会で人間に対する抑圧)への反抗・反発であったもの。敵がいて反抗しているときには力をもたらすが、敵がいなくなるともう力は持たない。
経済発展、自由民主主義
何が何でも実現しなければいけない価値がなくなっている。しかし、反対する理由がないのでだらだらと続いている。現代において、もっと富の拡大を必要としているのだろうか?自動拡張運動に入り込んでしまっている。これが厄介な問題になっている。
西洋社会が作り出し、目的としてきたものに対して、確信が持てなくなってしまった。しかし、それに代わるものがなにもない。そこに現代の危機がある。
ハイデガー(哲学者)
迅速に算定できるものに生産性という考えが出てくる。大衆性も計測する。
政党の支持率を算定可能な計測可能なものに変えている。ここに、世論、民主主義がある。実証主義的な考え方を社会に持ち込んでいる。簡単に数字化されるもの、目に見えるもの。そういうものだけが表層に現れてきて我々を動かしている。
シュペングラー
100年前に、社会の特徴を表現した。
「貨幣・数字・大都市・大衆・技術主義」
とにかく経済を無限に拡大している。計量できるものを科学的対象として、予測できるものに重要な価値を与えてきた。そういうものから逃れられない。統計に表せないものは存在しないものとして扱われている。客観性というのが現代文明の特徴である。
昔、大学院生の頃にドイツのシューマッハが『Small is beautiful』(1983年)を書いた。イギリスに来た時に農場で働いた。農場で、牛の数を数える仕事をしていて、32頭いるはずが1頭いなかった。探したら森で死んでいた。数だけしか見ていなかったことが、間違いだったことに気づいた。1頭ごとに状態を見ていれば死なせることはなかった。質を見て、牛をケアすることが重要だった、ということに気づいた。経済としては、牛をまた買ってくればいいということになるだろうが、そうじゃない。
1頭の牛をケアするには、適切な集団のサイズがある、と言っている。
不要不急とは何なのか
「不要不急の外出」と「生命の安全」が完全に対立した。
現代文明は、無駄なもの(サーカス)によって作られている。巨大ビルもグルメ番組も、生存維持には無駄なものです。だからこそ、不要不急っていうのは、大事なんです。小さなサーカスが大都会の中にたくさんあるんです。
人間というのは、遊ぶものなんです。
オリンピックだって、みんなで遊んでいるんです。
ホイジンガは、遊びは大事なもので、うまくやらないと遊びが崩れていってしまうと言った。文化には価値が含まれています。
ところが、文化の中に経済価値が混ざってしまった。オリンピックは、ギリシャでは神にささげる神聖な遊びであったのに、いまでは経済問題になってしまった。それを「文明の幼児化」と呼んだ。
不要不急は大事。ただ、不要不急にも良いものと悪いものがある。
いつ、次の大地震が来るかわからない。いつ来るかわからないけど準備をしなければならない。
商店街は、近所の人が集まってしゃべったりするところ。
ライブハウスだとか、インバウンドがなんだとか、観光客が減って困っているとか、これを何とか戻そうとしている。
我々の文化にとって、本当に必要な不要不急ってなんなのかを、立ち止まって考えることが必要です。
いまでも、新宿の歓楽街には人が集まってお金が動いている。一方、医療や教育にはお金が足りなくなっている。このバランスをどう考えるのか。
人間は快楽を追及して経済を拡大してきた。拡張する作用。
一方、身近に親しくしている人、地域、情報交換を大事にしてきた。求心力的な、内向的に凝縮する作用。
平凡な日常の生活がどれほど大事なものだったか、思い知らされている。
西部邁さんが好きだった言葉
チェスタートン『ひとりのよい女、ひとりのよい友、ひとつのよい思い出、一冊のよい書物、それがあれば人生は満足である』
佐伯先生が高校生の時に読んだ本
『ジャン・クリストフ』 ロマン・ロラン
『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール。
立ち止まって考える
「私は立ち止まってばかりいますけれども、あんまりなかなか前に進めませんけども」佐伯先生のお言葉が深い。
(完)