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私が求めているのは休学なのか、何か「覚悟を決めている」という証拠なのか。
こんにちは、北海道の未利用食材からプラゴミ・紙ゴミを削減できる「食べられるお皿」OKARADASARADAを開発しています。
この開発を本格化させるために休学するか、どうするか。
以前のnoteで困っていた「親に伝わらない」という問題は、2時間におよぶオンライン家族会議で進展がありました。
休学への結論は出ていないものの、ひとまず、
両親の理解を得ること、両親の心配している点を理解すること、には成功しました。
要因としては主に2つ。
・自分の今までの成果を伝えきれていなかった
→家族に対してなので小っ恥ずかしさはありつつも、敬語で商談的に理詰めで包み隠さず話してみました(社会勉強の上での考えだと示したかった)
・あくまで研究のための休学だと伝わっていなかった
→拙い未来予想ではあるものの、一つのプランとして研究の道に進む計画を時系列で伝えました
言葉を濁しても全部質問されたので渋々話した部分もありましたが、
家族間でのすり合わせができたので、
「ゼミの先生にも話を聞いて改めて共有しなさい」
という話になりました。
…問題はここから。
無闇に心配していた「親の理解を得られない」休学は、私にとって、「理解を得られないくらい大変な、覚悟を決めたこと」だったのかもしれません。
両親とのオンライン会議を繋いでいたパソコンを閉じた瞬間、
安堵や達成感と共に、どこか虚無を感じてしまった自分がいました。
数ヶ月どころか、年を跨いで悩んでいたことが不意に進展したので、今度は本当に私が求めていることが休学そのものだったのか、微かな疑問を抱き始めてしまったのです。
私が欲しているのはあくまで「今かかえている課題・手詰まり感が解決に向かうこと」であり、
そこに、「休学までして覚悟を決めれば何かしら進展があるはず」、という不確実な因果関係を錯覚しているだけなのでは、とも考え始めてしまったのです…。
ゼミの先生とは今までお話しできる機会が多かったわけではないので、どうなるかは読めません。
さぁ、私はどんな来年度を迎えるのでしょうか…。