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幸せのとなりに、しんみりがいる

母と美術館に行った。
現在、乃木坂にある国立新美術館で開催中の「マティス 自由なフォルム展」だ。
この展覧会を教えてくれたのは母である。
2月頃だったか、実家に帰った際に母が新聞の切り抜きか何かを私に渡して
「ねえねえ。この展覧会、行ってみない?」と、誘ってきた。
以前、原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」という本の中に収められた、「美しい墓」という晩年のマティスを描いた短編小説を読んだことはあったが、私の知識ではこの画家の代表作はすぐにパッとは出てこなかった。
だけど、展覧会のメインビジュアルである色鮮やかな切り絵の作品が素敵だったし、
美術を鑑賞することと、美術館という空間自体も私は好きだったので「ぜひ行きたい!」と返事をした。
なにより、母が誘ってくれたことが私はすごく嬉しかった。
なぜなら、母にはよく言う言葉があるからだ。

「連れて行ってもらうから…」

これは、姉家族も交えてどこか旅行や遠出をしたときなんかによく聞くのだが、
この言葉には「子どもたちに準備や車の運転などをしてもらわないと、私たち夫婦だけでは旅行や遠出はできないから…」というような、申し訳なさそうな意味を込めて使われている、と私は感じている。
母はまだ60半ばだ。
たしかに父は70半ばなのだが、でも60代70代でも精力的な人はいる。
母のこの言葉のちょっと元気のないかんじに、私は聞くたびに少し寂しくなっていた。自分ではなにもできない、て思わないでほしいなぁ、と。
なので、普段自分からどこか行きたいなどとあまり言わない母が「美術館に行きたい!」と言ってくれたことが、私は嬉しかったのだ。

マティス展のチケットは、開催前に私の方で少し割引されるペア券をウェブで購入した。
それから母の空いている日程を確認して日取りを決め、あまり外食をしない母もどこでなら楽しくランチができるかを考えて、当日をむかえた。

展覧会は素敵なものだった。
前半は油絵を中心に、後半は切り絵を中心に展示されていたのだが、
服飾学校に通っていたという母らしく、彼女はマティスが所蔵していたという赤いラグ(あるいはタペストリー)のような織物を、一生懸命まじまじと鑑賞していた。
私は後半の切り絵が色鮮やかで、かつポップで素敵だと思った。
(アシスタントがグァッシュで着色した紙を使用していた、というのに驚いた。機械で作られた色紙とは違い、たしかに見た目は紙を貼り付けたというよりも、着彩しているように見えたのはそのためだったのか…!と)

鑑賞後は展示室内に設けられたショップで関連グッズを見ていたのだが、そこで母が「何か買ってあげる」と言ってくれた。
その時は、母としても自分の興味で誘ったから、何かお礼がしたいという気持ちなのかな?と感じたので、130円ぐらいのポストカードを3枚買ってもらった。

だけどその後、美術館のミュージアムショップで見た3,000円ほどの花瓶を「可愛いなぁ」と言ったら、「買ってあげるよ!」と言い、ランチのお会計の時には「今日は連れて来てもらったから、ここは出すよ!」と言って、ご馳走してくれた。
さすがに花瓶は買って貰わなかったが、ランチに関しては母の顔を立てた方がいいかな、と思いご馳走になった。
ただ、べつに展覧会のチケットを母の分も私が支払ったわけではないし(購入の際にお金はもらっていた)、なにより私自身も母と行ってみたいと思った展覧会だったので、そこまでしてくれなくてもいいのにな…と少し思った。
そして、「連れて来てもらった」という言葉に、やはりちょっと寂しくなった。
私も一緒だったかもしれないけれど、お母さんはちゃんと自分で電車に乗ってここまで来たのにな。

だけど、その母の気遣いに何かお返しがしたくて、ささやかだけど帰りにお菓子を買って母に渡した。今日は来なかった父へのお土産の意味も込めて。
すると、なぜか母も別のお菓子を買って、持って帰るようにと渡してきた。
「ほら、少しだけどチョコ。偶数個入ってるから、これなら彼と分けてもケンカしないでしょ」
そのチョコを受け取った時、母の愛情を改めて感じた。
きっとたまにしか会えない娘の私に、とにかく何かしてあげたい、という気持ちもあったのかもしれない。
帰りの電車の中では、今日を振り返っていろいろ話しをした。ランチの時も母が楽しく過ごしているのがわかったし、私も同じ気持ちであることが母にも伝わってほしいと、私も心を込めて会話をした。

この日の母との時間は、幸せだった。
そうやって楽しく幸せに過ごしつつも、やはり会話の端からうすく見える母の根底にある「連れて来てもらわないと、自分では行けない」という考えに寂しさも感じた。
子供の頃はもう少し親という存在が、大きいものに感じていた。
ともに暮らしているときは腹が立つことも多かったが、自分が歳を重ね、大人になり家を出ると、さらに歳を重ねた親が小さくかよわいものに見えてくる。だいじにせねば、と思えてくる。
それと同時に、その年齢ならまだまだいけるよ、と思う気持ちも少しある。

こんな感じで最近は、親と楽しい時間を過ごすとしんみりした気持ちにもなる。
幸せのとなりに、しんみりがいる。


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