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近くて、遠い
「お姉さんとの仲は、どんな感じですか?」
そう聞かれると、私はたいてい「仲良いですよ」と答えている。
姉は2歳年上だ。
年が2つしか違わないので、私には普段そこまで「お姉ちゃん」というような感覚がない。
現に直接話しかけるときは「お姉ちゃん」ではなく、「キミ」と話しかける。
しかし、姉という感覚が私にはないだけで、
彼女にとって私という存在は、しっかりと「妹」という形を為しているかもしれない。
そして世間から見れば、もしかしたら私は「妹」ど真ん中の人間をしているかもしれない。
子どもの頃。
私と姉は好きなものが同じだった。
好きなアニメの着せ替え人形で一緒に遊んだし、2人とも漫画やアニメ、絵を描くことも好きだった。
好きな漫画のコミックスが発売されれば、2人で手分けして買って揃えていった。
一緒に行動することも多かった。
休日には2人で自転車を走らせて近くのブックオフに行き、ずっと立ち読みをして過ごしていた。
服を買うのだって、2人で服屋に行って、お互いの服をさがしあったりした。
子どもの頃の私は、姉と一緒であることが当たり前だったし、
一緒でありたいと思っていたところもあったように思う。
例えば、高校も姉がいるからその高校を選んだし、
中学の部活も姉がいたから同じ部活に入部した。
高校でも姉も私もその部活を続けたので、部活の時間も同じ空間を共有した。
大きな声では言えないが、私にとって姉と同じ学校・同じ部活を選ぶというのは、ある程度情報があるという安心感もあったが、
そのコミュニティの中で「姉の妹である」というある種の特別感みたいなものがあったのだと思う。
そういえば、いつぞや甥っ子に
「myちゃんはお母さん(姉)と同じ高校だったんでしょ?それってお母さんと一緒がよかったからでしょ」
と言われ、ドキリとしたことがある。
あまりにも彼がはっきりと言うものだから、恥ずかしさで動揺して何も言えなかった。
だが、いつからだろう。
私は姉がわからなくなった。
それまではいろいろな出来事を共有してきた。
もちろん、それぞれの世界もあったが、もっと自然に接せられたし、自然に会話することができたように思う。
親との関係で悩んだときもお互い励まし合ったし、
20代のときはよく2人で旅行に行き、そのたびに「また2人でこうやって出かけたいね」と話していた。
だけど。
今は何を話していいのかわからない。
そもそも2人で出かけることもほぼなくなったし、
姉に会うのも年に数回ほどになった。
会うときは基本、正月やクリスマス、それから両親それぞれの誕生日と、まとめて行われる甥っ子姪っ子の誕生日会など、家族ぐるみのイベントだ。
それも子どもたちが大きくなってくると、さまざまな事情からだんだん集まることも減ってきた。
だけど。
唯一、姉と2人で出かけるイベントがある。
福山雅治のライブだ。
私と姉は、20代の頃から福山雅治のファンクラブに入っている。
福山雅治はファンの間で「ましゃ」と呼ばれているのだが、
毎年行われている年末ライブのお知らせが届くと
「ましゃのライブ、今年も行くよね?」
と、私たちは連絡を取り合っている。
今年はツアーをしており、先日、さいたまスーパーアリーナまで久しぶりに2人きりで出かけてきた。
出かけるとき。
私はワクワクしていた。
ましゃに会うことにもだが、姉と出かけられることが私は楽しみだった。
というのも、去年の夏のましゃのライブがすごく楽しかったのだ。
夏ということで縁日が企画されており、スーパーボールすくいがあって、姉がそれに挑戦した。
列で順番待ちをしているときは「1つもすくえなかったらどうしよう…」と不安そうだった姉だが、
いざ始めてみるとアレよアレよと面白いぐらいに上限の7つまですくっていった。
それは周囲のお客さんも「すごくない…?」と驚くほどだった。
「スタッフさんに止められなかったら、まだまだすくえてたよ〜!」
と、先ほど不安そうだったのが嘘みたいにニコニコ笑って姉が言うので、
「すごすぎでしょ!」と私も驚いて、2人で大きな声で笑いあった。
その楽しかった去年のライブの印象が、
姉との思い出としてこの1年ずっと私の中に残っていた。
しかし、さいたまスーパーアリーナに向かう電車の中、私は会話に困っていた。
やっぱり何を話したらいいのかわからないのだ。
会ってしまえばなんとかなるだろう、と思っていたが、そうではなかった。
それはなんとなく姉からも伝わってきた。
何を話そう…と考えていると、なぜかべつに眠くもないのにあくびがでてしまう。
それが相手につまらなそうにしていると見えないか心配だった。
結論から言うと、
やっぱり姉と2人で行くましゃのライブは、
今年も楽しかった。
電車の中では会話に困ったが、
商業施設のフードコートでお昼を食べているとき、
いま姉がどんな生活をしているのか、
どんな漫画が好きなのか、
さぐりさぐりの感じではあったけれど、知ることができた。
また、お互いの服ではなく甥っ子姪っ子への服だったが、
服屋で2人であーだこーだ言いながら服をさがしたりもした。
そうやって、あの頃のように自然に笑いあうことができた。
時間が必要なのかもしれない。
少しさみしい話しなのだが、
あの頃のように接するにはじっくりとお互いに向き合える時間が、
きちんとないといけなくなったのかもしれない。
お互い置かれている生活環境が違うから、それはしかたのないことなのかもしれない。
住んでいる場所も、お互い行こうと思えばそう遠くはない距離なのに、
それぞれの生活状況を考えると、意外と簡単なことではなかったりする。
なんだか
近くて、遠い。
だからこそ、私にとって福山雅治のライブは大切なのだ。
唯一、姉と2人じっくり向き合えるイベントなのだ。
しかし、全ては私がそう感じていることだから、
姉がどう思っているかはもちろんわからない。
なので、よければ誰か私の代わりに姉に聞いてみてくれないだろうか。
そして、その答えをこっそり私に教えて欲しい。
「妹さんとの仲は、どんな感じですか?」
と。