死にたくなったので刺青を入れた
今年の春先の頃だ。私はすこぶる体調が悪く、自分で自分をネグレクトしていた。
一日のほとんど横になって過ごす。トイレもできるだけ我慢して行かないようにする。というか動けないので行けない。
食事をとらない、風呂に入らない、当然病院に行くこともできず、とっくに薬は切れていた。
化粧どころか鏡もしばらく見ていない。今の自分の顔がどんなものかもわからない。
ある日さすがに我慢できないほど体調が悪くなった。風邪っぽくもあり、コロナである可能性も頭をよぎった。
何もする力がなかったが、新型コロナウィルス感染専用ダイヤルになんとか電話をした。症状を言ったが熱は微熱だと言うと、ただの風邪じゃないですかと言われた。
それでも死ぬほど具合が悪いのは変わらない。しかし家から出る体力がない。
かかりつけの病院に電話して事情を話したが、オンライン診察もやってなく来院しないと薬は出せないと言う。救急安全事業センターや往診してくれる病院にも問い合せた。しかしどこからも突っぱねられた。
実はこれと同じことを一昨年の年末にもしている。その時は救急車に乗って病院まで運ばれた。喉がとても渇いていたので水をくださいと看護師に言ったところ、売店で買ってきてくださいと言われた。救急車で運ばれたのに、そんなことできるわけがない。なんとか紙コップに水を持ってきてもらったが、ベッドから体が起こせない。しかし看護師は起こすのを手伝ってくれなかった。
そんなことを経験してるので、また救急車に乗るのは迷惑だし、救急車に乗るには自分で持ち物やら身支度をしなくてはないのがしんどすぎるし、帰り送ってくれる車があるわけでもなくそのまま放り出されるから、その選択はないなと思った。
だからひたすら横になるしかなかった。ふとこのまま死ぬのかなと思った。
言っておきたいのは、私は私が好きすぎるほど大好きだ。趣味も持ってるし死にたくはない。しかし発作的に何をやるかわからないくらい、体力的にも精神的にも追い込まれていた。
とにかく疲れた。本当に疲れた。頼る人もいなければ助けてくれる人もいない。でもそんなことは前からわかっていた。まだそのことをわかっていない時、人に期待して傷ついたから、結局誰も私に関心などないし必要とされてないと悟った。
いのちの電話に電話をしたこともあった。しかしあんなものは私には逆効果だった。まずほとんどが通話中で繋がらない。繋がったとしても相談者の人がすぐ駆けつけて助けてくれるわけでもない。そして1時間ほどすると「もう時間なので…」と話を終わらせようとする。
そのことに絶望するというよりかは、それが普通なんだと思うようになった。
死にたくない自分と自分を殺す自分がいるかもしれないという恐怖に襲われた。もし私が死んだら、知り合いはどうやって知るのだろう?と思った。
そこで私はSNSに今の状態を書き込んだ。助けて欲しかったりかまって欲しかったわけではない。今の事実を書いてそのあと更新がなければ死んだと思って欲しいと書いた。
それから数年連絡をとってなかった、一番親しい友達にもLINEした。
すると彼女から警察を呼ぼうと思うと返事が返ってきた。私は返信しなかった。
その間に友達は警察を呼んでしまった。しかし私は彼女に新居の住所を教えてなかったので、警察は前のマンションに行ったらしい。
友達から何回も今の住所を教えてくれと言われた。私は絶対に教えなかった。
腹が立っていた。なぜ人任せにするのか。心配ならなぜ電話一本くれないのだろうか。かまってほしいわけではなくとりあえず長い付き合いだから死ぬかもと知らせただけだが、中途半端に心配して警察なんて呼ばれるのは心底迷惑だった。警察に来られても、なぜこんな状況になったかなんて、知らない人間に一から説明するなんて怠すぎる。そして説明したところで何になるのだろう。
しばらくして友達からまたLINEが入った。女性の警察官が私が前住んでいたマンションに行ったらしい。ポストに私の名前は書かれていたが、チャイムを押しても返事はなし、外に出て私の部屋を見てみたらカーテンがかかってなかったので引っ越したのでは?と言われたらしい。これ以上は友達は肉親でもないし、警察は何も出来ないと言ったそうだ。
もうこんなことは慣れていた。結局警察だろうが病院だろうが、何の助けにもなってくれはしない。
よく区役所などに行くと「一人で悩まないで」というポスターがあり、相談の電話番号が書いてあるが、何の解決にもならないことを知ってるので、何の意味もないと腹が立つだけだ。
他にも疲れ果てた原因としては、結局世の中は弱者に冷たいということだ。私は発達障害であり精神的疾患を持ってる。しかし良い病院にかかれば治ると信じていたし、今の時代はそういう人に対して理解も深まってると思っていた。
しかし現実はそんな綺麗ではない。私は色んな場所で差別されてきた。私が死にそうなくらい眠れなかったり体調が悪くなったって、精神的な病気は緊急で受け入れてくれる病院はどこにもない。勤めてた会社からは、成績も良く評価されてたのにも関わらず「精神疾患を持ってる人を雇う企業なんてどこにもありません」と首を切られた。
いつか理解してくれる、いつか病気が治る日が来る、そんな希望を持つのが間違いだ。だから私は一切人や社会を信じることをやめた。よくネットで政治への不平不満を言って怒ってる人を見かけるが、幸せな人だなと思う。だってこの先の生活を良くしたくて、怒ってるんでしょう。私には未来などないから、政治が、日本がどうなろうが知ったことではない。
親も友達と言える人もない。それが寂しいと思った時期もあったが、それすら吹っ切れた。どうせ人間なんて死ぬまで孤独だ。
そうして私は肉体的には死ななかったものの、その時にそれ以外はすべて死んだ。
生きていることの諦め、人から優しくされることの期待は捨て、人一倍寂しがり屋だったのに寂しいという感情すら消えた。それは自分を護るためなんだと思う。
私の父が胃を壊すようなプレッシャーの仕事をしてる時「俺は朝起きたら死んだと思ってる。死んでるから何も怖くない。これが葉隠の精神だ」と言っていたことを思い出す。
そう、今の私には怖いものはない。
どこからそんな発想が降ってきたかは不明だか、刺青を入れようと思った。
今までにも入れたいと思ったことはあった。しかしその時はまだ私にも未来や希望があったので、仕事や人間関係のことを考えて留まっていた。
また私は昔から辛いことがあると、自傷行為をしてたけれど、同じような感覚でピアスを空けたり髪を染めたり煙草を吸っていた。今回の刺青もそんな感じなのかもしれない。
親も亡くなってるし、親からもらった体なのに…というよく聞く理屈もどうでも良かった。親が生きてようが死んでようが、私の体は私だけのものだ。
ここからは、初めて刺青を入れた体験談になる。
タトゥースタジオなど行ったことなどないので、とりあえずネットで良さそうなところを探した。
一番有益な情報は、インスタグラムだった。そこで分かったのは、だいたいのタトゥースタジオは住所も彫り師の名前も出さず、ストーリーズで次回の予約の日を発表し、その日にDMで募集をするのだが、フォロワーのたくさんいる人気のタトゥースタジオはまったく予約が取れず、取れたとしても数ヶ月先になってしまう。
私は気が変わらないうちに入れたかった。
そこでなんとかすぐ彫ってくれそうなタトゥースタジオを見つけて予約した。
DMで入れたいデザインや大きさを大まかに伝えたあと、予約日を決め、そのあとやっとスタジオの住所が送られてきた。
当日タトゥースタジオに向かうも、看板も何も出ていない。私の想像では看板ぐらいは出ていると思ったのだが、指定された住所にいるはずなのにどこなのか分からない。
彫り師さんにDMで着きましたと連絡すると、すぐ傍のマンションの外観の写真が送られてきて、オートロックの番号を教えてくれた。
なるほど、プライベートのネイルやマツエクサロンのような感じだ。
部屋まで行きインターホンを押すと、30代前半くらいの、両腕にがっつり和彫りを入れてる男性の彫り師さんが出てきた。
私はいよいよだと緊張してきた。
まずはカウンセリングから始まる。実はカウンセリングの方が、彫ってる時間より長い。
私が彫って欲しい場所は、耳の後ろと指だった。どちらも細い線のデザインだ。
彫り師さんは、よくインスタグラムで見る繊細な細い線のデザインは彫りたての写真で、時間が経過すると滲んで線は太くなるという。
それもそれぞれの肌質によって滲み方が違うし、指などはよく動く部分だから、墨が滲みやすいとのことだった。だから浅く彫っていくので、数日で消えることもあるという。その際はリタッチをするため、また通わなくてはいけない。
また技術として細い線でも、例えば文字を彫る時に、左右対称になるようなかっちりしたフォントだと、滲むところと滲まないところの差が分かりやすいので、滲みがひどいとあまり綺麗に見えない。しかし筆記体のようなフォントだと滲んでも分かりにくい。また黒のようなはっきりした色ではなく淡い色にすれば、目の錯覚であまり滲みは気にならないという。
そしていっぺんに色んなデザインを彫るのはおすすめ出来ないという。一度に何種類か彫れば少し値段は安くなるが、ファッションと同じで一度にシャツやパンツや靴や時計などを買っても、次の日にそれを全部身につけるか?ということで、安く済ませたいからという理由で一度に彫るのは、刺青に対して信念が感じられないという意味に思えた。
入れたいデザインを伝えると、彫り師さんはタブレットで色んな刺青の写真を見せてくれ、彫る位置も決まると次はたくさんあるフォントを見せてくれ、その中から選んで決めた。
まずはデザインを肌に転写する。そしていよいよ彫っていく。
私の周りで刺青を入れてる人は、全員ものすごい痛みだと言っていたので怖かったけど、彫り師さんは小さいデザインだから全然痛くないですよと言った。
また彫ってる間あんまり彫られてることに気が行かない方がいいので、YouTubeとかTikTokを見てるといいですよと言ってくれた。
いよいよ彫り始めたが、拍子抜けするほど痛くなかった。ピアスを空けた時の方が何倍も痛かった。それは私の入れた刺青が小さかったのもあるし、色の塗りつぶしもなかったからだと思う。
彫り終わると、写真を撮った。
アフターケアとしては、刺青を入れたというよりは怪我をしたと思ってくださいと言われた。
だから彫った部分を消毒され(これが彫られてる時より滲みて何倍も痛かった)キズパワーパッドみたいなものを貼られた。お風呂に入る時はそこをあまり擦らないように、1週間くらいでキズパワーパッドが取れたら軟膏を塗ってくださいと言われた。まさに傷の手当そのものだ。
結果、刺青を入れることは構えてたより呆気なかった。入れ終わったあとも、後悔など1mmもなかった。
彫り師さんがその日にアルコール飲んでもいいと言ったので、帰りにビールを飲んだ。
少しだけスッとした気分になれた。
今まで刺青を入れる時は、誕生日や結婚した時や子供が生まれた時や起業した時など、人生の節目の時だと思っていたが、私の場合何となく入れたいから入れたという感じだった。
なんせ一度死んでるのだから、刺青に偏見のある人に何を言われようが痛くも痒くもない。そんな人は放っておけばいいし、そしてこちらからわざわざそういう人に刺青を理解しろという気もない。人の価値観なんて自由なのだから。
ただ、向こうから喧嘩を売ってきたらその喧嘩は買うけれど。
ただ日本という国で刺青を入れるというのは、まだ色々と我慢しなければいけないことがあるので、それはルールを守らなければならないが、私は風呂嫌いだから温泉も銭湯も行かないし、泳げないのでプールも行かない。
私はもう我慢しない。人に迷惑かけること以外、好きなことは何でもやる。
この文章が刺青を入れようか迷ってる人の参考に、少しでなれば幸いである。
あなたのたいせつな時間を使って見ていただき、ありがとうございます◡̈ ⋆* 私のnoteがあなたの心にやわらかく触れてくれたら嬉しいです𓂃𓈒𓏸