憧れのピアノは弾けなかった
ここのところ写真ばかり投稿していて、文章を書いていなかった。
書きたいテーマはたくさんあるのだが、どうも筆が進まないのだ。
だけど今日はなんとなく書きたい気分なので書いてみる。といっても、なんとなく思い耽ってたら思い出したことで、特に前から書きたかったことではない。
幼稚園の頃の話だ。
教室にはアップライトのピアノがあり、歌を歌う時はそのピアノで先生が伴奏をつけてくれていた。
私はピアノに憧れていた。それは今でも変わらない。
もともとエレクトーン教室に通っていたのだが、母親と先生の相性が合わないということで、私は続けたかったのにやめさせられてしまいとても悲しかった。
休み時間になると同じ組(ゆり組だった)の女児たちは一斉にピアノに群がり、弾く出番を奪い合った。
当時私は転園したばかりだったというのもあり消極的な園児だったが、ピアノにはどうしても触りたくて、他の子たちと一緒にピアノの前に行って弾こうとした。
するとピアノを習ってる女児が私を押してピアノから遠ざけ「弾けないくせに来ないでよ!」と言った。
すごくショックだったし傷ついて固まった。それから悲しみが込み上げてきた。
しかし歯向かう勇気はなく、私は教室の隅っこにある積み木で独り遊ぶことにした。
その積み木は古くて木が毛羽立っていた。
私はその棘のような木に触れてしまい、棘が指の中に入って怪我をしてしまった。
あまりの痛さに泣いていると先生が気づいてくれて、保健室のようなところに連れて行って手当してくれた。
指からピンセットで棘を抜くときの痛みは、園児には耐え難いほど痛かった。
痛みと流れる血とさっきの女児の意地悪な言葉が、悲しくて辛くて、私はぽろぽろ泣いた。
どうして今こんなことを思い出して書こうと思ったかはちゃんと説明できないけど、このことは定期的に辛かったこととして思い出してるので、こうやってアウトプットしなければ、これからずっとその時の私を救うことはできないのではないかと思ったからだと思う。
私は人間なんて死ぬまでひとりだと思っている。
人にまったく助けられてないとまでは言わないが、自分のことをわかるのは自分だけだし、自分を救えるのも自分だけだ。
こんなこといじめでもなんでもないかもしれないが、とにかくあれから40年以上、私の心に残ってる辛い出来事だ。
この文章を読んで、そんなことをずっと根に持ってるのかと思う人もいるかもしれないが、人の心なんて第三者から量れるものじゃない。
これは幼いころに傷ついた私を、今の私が助けるために書いた文章だ。