施設入所時の母との関わり
母が施設入所したのは2019年3月でした。
2018年の年末に実家に帰省した際、母は明らかに心不全が悪化している兆候がみられ病院へ受診したのですが、利尿剤を追加し帰宅。
年始に再受診しそのまま入院となり、3ヶ月間もの長い間治療とリハビリに励み、無事に退院しその3日後に施設入所したのでした。
施設入所したときは在宅で看取るなど思ってもいませんでした。
施設看取りが出来ると聞いていたので、その日が近づいたら施設と自宅を行き来しながら母に寄り添おうと決めていました。
しかし、その1年後コロナウイルスにより母に直接会えなくなったのです。
1,面会制限時に行った事
最初はリモート面会でしたが難聴で補聴器を嫌がる母との会話はちぐはぐなものでした。相談員さんやケアマネジャーさんに通訳をして頂くのですが
本当に聞きたいことや伝えたいことが言えずもどかしい思いをしました。
昨年の10月までは電話で話が出来ていたのですがこれもまた難聴なのでお互いに大きな声で私は低音を意識して話していました。・・・ご飯をおいしく食べていること、杖を使って歩いていること、夜は眠れているか・・・そんな簡単な会話でした。
面会制限があるまでは施設に行き一緒に外出したり自宅に帰ってのんびりしたりドライブしたり、美味しいケーキを食べに行ったり
プチ親孝行と言いながら、私が一番楽しんでいたように思います。
面会制限が2年目になった頃、母からはがきが届きました。
一生懸命書いてくれたその内容は・・・
「家に帰りたい」でした。
2,家に帰りたいの言葉で気づいた事
リモート面会からドア越しの面会に代わってからも「家に帰りたい」と再々母が訴えます。
コロナ渦で外泊できないことを伝えて納得をしてもらおうとするのですが
理解できない時もありました。
その度に申し訳ない気持ちになったり、理解してくれないもどかしさでイライラしたりしていました。そして言葉もきつくなっていました。
でもこのイライラは母に向けたものではなく自分自身に向けたものだったのです。
どんな風に母と向き合っていいのか私は分からなくなっていたのです。
母を俯瞰して見たとき、家に帰りたいという言葉は家に帰り家族が元気で過ごしているのか自分の目で確かめたかったのです。
家事が出来なくなっても母は家族を守りたかった、見守りたかった
そして何処に居ても自分が母親であることを忘れないでいてほしかった、そんな気持ちだったに違いありません。
3,母との関係性を見直す
私はいくつになっても母にイライラしてしまう自分を恥ずかしく思い、自分と母との関係を見直すことにしました。母との関係は表面的には良好でしたが、昔のネガティブな記憶は残っており自分自身を認めることが出来ず他者の目を気にして過ごしていました。
何をするにも他人の評価が気になっていたのです。
母との関係性から生じたものだと思っていましたが、それは私自身の捉え方を変える事で割とスムーズに解決することが出来ました。
スムーズに解決できたのは、高齢でいつ何があってもおかしくない状況の中で母との別れが突然訪れるかもしれないと思い、この関係性の課題をどうしても解決したいという自分の中に覚悟があったからです。
4,イライラの感情が感謝の気持ちへ
いろんな感情や記憶が湧き出てとても混乱しましたが、私自身を肯定できた時、今までの母との関係を180度違った角度から捉えることが出来
生まれてきたことや母が存在してくれている事に感謝の気持ちが大きくなっていました。施設に行きいつものようにドア越しの面会をするのですが、母の言葉にイライラしなくなり、家に帰りたいとか、ただただ家族のことを気にかける母の言葉を冷静に聞くことが出来る自分がいました。
自分の内面が整っていると、母も落ち着いているように感じました。
母親がイライラしていると子供までイライラして泣きじゃくるっていいますよね。そのたとえを使っていいか迷いましたが、目の前の人の感情 は気と一緒です。気は目に見えないけれど確実に相手に伝わっているんですよね。
良い気(エネルギー)だと、相手も心地よくなります。
この件があってから私は自分の内面が落ち着いている状態で母に会いに行くことを意識しました。
5,終わりに
母と偽りのない自分で関わることが出来始め、コロナが終息しまた制限など関係なく会いに行ったり外出したり、そんな日を夢見ていましたが
母は死に一歩ずつ近づいていました。
その葛藤の経過を次の記事でお伝えします。