GW
GWが終わろうとしている。
#STAYHOME が合言葉のGW、テレビの画面は個人宅や個室を繋いで放送する分割画面が当たり前になり、ただでさえ2Dなテレビはますます平面的になった。
たまに絵面に動きや奥行きがあるな、と思うとそれは大抵、コロナ以前の再放送だ。
ニュースは毎日似たようなものばかり。ワイドショーでは無責任な煽りを大声で正義っぽく語ることで世論を装っており、普段からテレビをあまり観ない私はここのところ、益々テレビから遠のいている。
で、庭先にアウトドア用の椅子とテーブルを出して、音楽を聴きながら本を読む、というのがこのGW最大の娯楽になった。
外の空気は気持ちよく、5月の風は爽やかだ。
iPhoneとスピーカがあればいつでも好きな音楽を鳴らしておける。庭先なのでWi-Fi環境もばっちりだ。お手洗いも冷蔵庫も数歩で手が届く。
どうしよう。新しい娯楽、ううん極楽を発見してしまったかも。
ところでコロナ以前、私は友人達からよく“アクティブ”と言われていた。たぶん、あまり躊躇なくあちこちに出掛けていたからだと思う。
ある友人の旦那さんからは、外出自粛要請が始まった頃『あの人大丈夫、死んじゃうんじゃない?』と心配されたそうだ。
小・中の同級生からは“回遊魚”と言われた。
がしかし、本人には全く(?)そんな自覚はない。だって私は面倒くさがりだからだ。
スケジュール帳の空白が並んでいても何も危機感を感じないし、休日の予定も出来るだけ『1日ひとつ』と決めている。食べることも好きだが実は寝ることのほうがより好きだし、好きな言葉は『合理化・効率的』だ。
ただ、経験とか体験には『今、ここ(或いはそこ)で』を捕まえないと2度と出会えないものがあることを知っている。それを逃して悔やむのを避けたいだけなのだ。
お金と時間は、ゆとりがあればあるほど選択肢が広がっていいよね。人が老化を恐れるのは、時間のゆとり(選択肢)がなくなっているという事実を可視化されるからなんだろう。
いかん、話が少々逸れすぎた。
というわけで、“どこにも出かけられないGW” も、実のところ私にとっては予定通りの “どこにも出かけないGW” だったという。
むしろ新しい極楽を発見して充実した休日だったが、行動を制限されるのはやはり辛いね。(GW前、数年振りの函館行きが駄目になったことはきっちり恨んでる)
1日も早く、世界が平和を取り戻せますように。