#もにょろぐ つわりと味覚と祖母のはなし。
今、おそらくつわりのピークにいるのだと思う。妊娠初期から牛のようにだくだくと唾液があふれ、乗り物酔いのような気持ち悪さを感じていたけれど、我慢して生活できる程度の唾液の量や、気持ち悪さではなくなってきたのを感じる。
この「つわりのピーク」というのも山頂にいてあとは下降していくだけ、というわけではなくて、常にこの山頂は更新され続けている。けれど週数的にそろそろ落ち着いてくるかもしれない頃合い、ということでピークと表現してみる。精神的にも、「もう来週にはきっと落ち着いてくるはず」と思っていたいので。終わりが見えない体調不良と言うのは本当につらい。
けれど妊娠して、これまで困っていた症状が落ち着いたなんてこともある。子どものころから参っていて、他人がなかなか理解できない嗅覚過敏。これが妊娠初期から急にスッと治まり、においで不快な思いをすることが激減した。家にいる中ではほぼ不快な思いをしなくなった。
これはラッキー! と思い、今朝まで過ごしてきたのだけど、今朝はちょっと違和感を覚えた。
味がわからない。
一昨日から風邪の症状もあったので、その影響もあると思う。普段鼻風邪はほぼ引かないのだけど、どうにも妊娠してから鼻水やくしゃみがよく出る。だんなさんが鼻炎持ちで、常に箱ティッシュを持ち歩いている人なので、なんとなく「あ~この子は確かにだんなさんの子なんだなぁ」なんてうすぼんやり考えていたりした。
そんな鼻の不調と嗅覚過敏の落ちつつき、風邪が重なったせいか、嗅覚が低下しているようで、味を感じなくなってきた。全く感じないわけではない。だた、スープを飲んでいるのに、少しざらついたお湯を飲んでいるような、そんな変な感じがした。においを感じないというのは、こういうことなんだ。
わたしの祖母は、数年前から認知症を発症している。
物忘れが激しくなり、同じことを繰り返し言う。初期の症状はこんな感じだった。でもその前に、今思えばこれって初期症状だったんだねと感じるものがあった。
味がわからない、と祖母は言っていた。学校で調理師をしていて、長年多くの人のために食事を作り続けてきた人が。家でも、曽祖父の十四人の兄弟のために食事を作り、自分の家族のために食事を作り、わたしもその恩恵にあずかって成長した。そういう、特別に料理が好きな人が「味がわからなくなった」というのをどうして軽視してしまったんだろう。
祖母の行動を見ていると、味そのものもわからないようだけど、においもはっきりと感じていないように見えた。いつも匂いでジャッジしていた食べ物の傷み具合もよくわからなくなってしまったようだったし、沸かした湯に出汁が入っているかどうかもよくわからないようだった。
ただ、常に味覚がない状態が続いているというわけでもなさそうで、はっきり「甘い」「しょっぱい」などを口にすることもある。
祖母の認知症の症状の出方は、まだら呆けとよく言われるものにおそらく近い。調子のいいとき、悪いときが一日の内で何度も入れ替わる。その入れ替わりを見ていると、世界線Aのわたしのよく知る祖母と、世界線Bの記憶がある地点で止まっている祖母と、世界線Cの気持ちのコントロールが難しい祖母がころころ入れ替わっているようにも見える。世界線Aの祖母は、味覚障害も強くないように見える。
祖母の中でころころいろんな祖母が入れ替わっているように見える通り、祖母は今迷子になっている。ぞっとするような鏡の迷路の中で、祖母だけが迷子になり、孤独を感じて苦しんでいる。例えると、そんな風にわたしは感じる。
自分の知らない間に物事が進行していたり(実際は自信も関わっているけれど)、記憶のない瞬間の話をされたりして困惑して、でもそれをごまかして「あぁそうだった」なんて言って見せたり。
だんだんと一番側にいて支えている祖父を敵のように感じてきている。そして、その不信感が時々爆発して、暴力的になったりしてしまう。世界線Cの祖母は、前頭葉が委縮して感情のコントロールが難しいとか、そういう原因もあるけれど、何よりも深まった孤独に苦しんでいる祖母だと思う。
なんていうことを、わたしはインスタントスープの味がわからなくて考えていた。わたしの味覚鈍麻はいずれ落ち着く。けれど、祖母はどんな思いで食事をしているのだろうと、考えずにはいられなくて。祖母の「おいしい」という言葉を聞くと安心するのはわたしの方で、どうか今日も「おいしい」と言える時間が祖母にありますようにと願う。
そして今日こそ少し穏やかに過ごせますように、と。