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#もにょろぐ|エッセイ的な読み物。

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エッセイ? 日記? ブログ的な何か。
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#創作大賞2024

孔雀を見に行ったはなし

 今週、死んでしまった従弟の誕生日があった。  毎年その日は「誕生日おめでとう」とメッセージを送っていた。返事の来ないメッセージを送って気持ちをなだめたいけど、それすらできない。送り先がなくなってしまったから。  ぽんつと取り残されたような気持ちの置き所が、まだよくわからない。  命日よりも誕生日の方がなんとなく、胸を重たくさせる。毎年祝っていたから。もう歳を取ることがなくなってしまったから。一緒に夏休みを何度も過ごしたから。理由はいくらでもある。  小学生の夏。慎重派

「不登校になっちゃった」ってザワザワされたはなし。

 小学校五年生の秋に二回目の転校をした。  一年生の時、父がわたしの幼稚園の担任の先生だった人と結婚するために離婚した。以来、弟と母との三人暮らし。三年生の時に養育費の減額を求める裁判を起こされ、その際に父へ住所が伝わってしまったことを母が懸念して二回目の転校となった。  でも、いま振り返ると四年同じ場所に住むことはなく二回目の更新の前にいつも引っ越しをしていた。ひょっとしたら母は飽きっぽい、もしくはリセット癖のある人だったのかもしれない。  二回目の転校先はギリギリ都内、

人の体に歴史あり~5歳児へのお風呂教育?~

 お風呂の工事の時期がそろそろ決まりそうで、息子を大浴場に連れて行く日が迫ってきた。でもこれまで、更衣室はおろかトイレすらも両手で数えられるほどしか女子トイレに連れて入ったことがない。  というのも。  寄せては返す波のようにSNS上で女湯や更衣室、女子トイレに連れられて入ってくる男児への嫌悪が話題になっているのを目にしていたため、外出時のトイレや着替えはパパ任せ。息子と二人の時はなるべく誰でもトイレ。ない時に限り女子トイレに連れて入る。  女性への配慮や遠慮、というより

晴れときどき爆竹、ところにより机

 ゴールデンウィークに中学の同級生と集まったので、中学校の話題。  風間俊介くん演じる兼末健次郎に衝撃を受けた金八先生の第五シーズンが終わるころ、中学に上がった。卒業した小学校から、二つの中学に学区が分かれる。そのうち、わたしが進学した先の中学校は市内でも有名なとても荒れた学校だった。そこに進学するのを避けるため、クラスの半分近くが中学受験をするほどだった。  五年生の秋に転入して、いじめもあったし、母親が働いていて他の親と接点がないため「とにかくやばい」というふんわりし

その蕩けるような甘い声が

 妊娠中、乳幼児から預けられるショートステイ先を探していた。  当時まだまだ元気だったけれど祖父は九十近かった。どう考えてもそう遠くなく葬儀日が来る。それは避けられない。その際に子ども預けられるところを探して、『こどもショートステイ』を知って安心した。頼れるかもしれない先がある、ということを知っているだけでも心強かった。  冠婚葬祭なら、普通は子どもを連れて行くものなんだと思う。  でも子どもを守るために連れていけない事情がある。  小学校一年生の時に両親が離婚した。  

うちのキッチンにはビーカーがある

一人暮らしを始めたのが十八歳の四月。 その頃からずっと愛用してるiwakiのビーカー。 電子レンジも直火もイケる。 一人の頃は100mlと300mlを使っていたけど、今はサイズアップして200mlと500mlを愛用してる。200mlは合わせ調味料を作るとき、バターを溶かしたいとき、お湯で溶くドリンクやスープを作るときに。500mlはご飯を炊くときの水の計量や、お茶を飲みたいけど急須を洗う元気ないなぁって時にはストレーナーを突っ込んたり。冷めたお茶を温める時にも使っちゃう。

赤いシャツの先生の言葉

文庫画像版とテキスト版(下方)を用意しています。 お好きな方、ご都合や環境にマッチしたもので読んでいただけます! 文庫画像版 テキスト版 専門学校の先生に「君はアーティスト向きだね」と言われたことがある。いつもテロテロ光る真っ赤なサテンのシャツを着た金髪の、強烈な存在感の先生に。  当時クリエイターを目指して息つく暇もない日々を送っていた。東京都の端っこ町田から二駅神奈川に入ったところに住んでいた。平日は都心の学校に一時間半かけて登校し、閉館する二十一時まで学校にいて、