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空想と過去と現在、ちょっとだけ未来。

幼い頃、よく空想をしていた。

自分がお金持ちで、優秀で、可愛くて、みんなの憧れだという夢。
ほしいものは何でも買えるし、車で送り迎えしてもらえるし、可愛い洋服もたくさん持っていて、頭も良くって、みんなが褒めてくれて、お姉ちゃんみたいな他人がいて、周囲から愛される存在。
あまりも自分勝手な設定すぎて、他人に語るのはとても恥ずかしい。けれど、毎日毎日そんなことを考えながら生活していた。

こうやって妄想することで、現実のままならなさをどうにかしようと思っていたのだと思う。
周囲とうまく馴染めないこと。
どうしても「いい子」になれないこと。
うまく成果を出せないこと。
家で上手に振る舞えないこと。
空想の中の私はとてもいい子で、完璧で、みんなから愛される人気者だった。

けれどもそんな都合の良い妄想なのに、親に愛される可愛い娘という設定が加わったことは一度もなかった。
親と仲が悪いわけではないけれど、少し事情があって別の人と暮らしているという設定で、その空想の中に親を立ち入らせないようにした。「親と仲が悪くない」ということにしてあったのは、この空想を誰かに知られたとき、「親不孝」だと言われることが怖かったから。
その “別の人”が自分をたくさん愛してくれる、そんな夢を見ていた。

今から考えると、親に愛されて幸せになる世界が想像できなかったんだろうなあと思う。
私がいるということは妹や弟もいるはずで、彼らに勝てる気はしなかった。
「両親に愛される」という設定にした途端、現実の両親はそうではないという意を孕んでしまうようで怖かった。
そして何より、現実の母も私を愛してくれているはずなのになぜか苦しくて、「愛」によって現状から脱却できると思えなかった。

母は私のことを愛してくれているのだと思う。
幼い頃からそれはよくわかっていた。痛いほどわかっていた。ただ、私はうまく受け取れなかったのだろう。
私のことを褒めるのと同じ口から、いろんなものが飛び出してくる。私のことが大好きで仕方がないはずの手は、私を抱きしめるよりもわたしに痛みを与えることの方が多かったのではないか。
「愛してくれている」はずなのに、どうしても心がついていけなくなった。

「愛されていない」と思ったことはない。環境にも恵まれてきた。
そのことには自信がある。
ただ親子としての相性が良くなかった。
母と暮らすには私はあまりにも過敏すぎる子だった。

「少し事情があって別の人と暮らしている」という妄想が実現したことがある。中学生の時、家族が父の単身赴任について行くことになり、わたしは祖父母の家に預けられたのだ。
けれども、うまくはいかなかった。
祖父母の家でも「いい子」にはなれなかったし、さまざまな傷を負うことも多かった。距離を置いたからといって両親とうまく行くこともなく、泊まりに行って初めは互いにいい顔をしようとするものの、2日目には「あなたを連れてこなくて正解だった」と怒らせてしまう始末。
家族と暮らすことと1人で残ること、どちらが正解だったのかは今でもわからない。

再び一緒に暮らし始めても、いつまでも「いい子」にも「可愛い子」もなれず、だんだんと調子を崩すようになった。日常に軋みが生じ、息苦しさが現実を突きつける。空想に浸る余裕もなくなり、逃げ場をなくした日々は痛くて仕方がなかった。

空想という手段を奪われた私は、次第に現実を歩き始める。
その中で今度は過去に縋るようになった。
“別の人” たちがしてくれたこと、目をかけてくれたこと、大切にしてくれたこと。毎日毎日ひたすら思い出してはその余韻に浸った。
環境自体は空想していたころと何も変わらなかったこともあり、いつもどこかふわふわとした中で生きていた。目の前の世界はどこか遠いのに、自分の中にある痛みがその存在を強く主張してきて、ただこの痛みだけが「ここに在る」現実なのだと思っていた。

そして今、それらの過去を手にしてやっと現実を踏みしめている気がする。
“別の人” たちは私を愛してくれていたのだと、そして今もきっと愛してくれると、そう受け取ることができたから、過去を抱きしめながらも先を見据えることができるようになった。
やっと「生きている」という実感が生まれた。

日々、母が私を褒める言葉を聞いていると、どれも現実の私と乖離した空虚なものに思えて、「この人は自分とそっくりな自分の娘が『無能』なことを認めたくないんだろうな」と感じることがある。「ありのままを褒めてほしい」なんておとぎ話はすでに他の人たちが叶えてくれたので興味はないが、母の理想を体現できていない、その摩擦はひりひりとした痛みを与えてくる。
なんてことを思いながら、この文章を書き始めました。うまくまとまらないので、また落ち着いた頃に修正したいな。