私の時間。
この前は電気を消した暗闇の話をしたけれど、私が好きなのは電気をつけない暗闇である。窓の外にほとんど沈んだ陽が微かに残る中で、携帯の画面だけが照らす部屋。冬になるとそこに電気ストーブの灯りも加わってくる。
昔、「一日の中で一番得意な時間はいつか」という問い出しをした。自分の "こたえ" がなんだったのかは忘れてしまった。おそらく「昼も夜も苦手」か「朝が始まるころ」かどちらかだったはずだけれど。
いま、同じ問いがあるのならば「得意かはわからないけれど、陽が沈むあたりは "私の時間"だなと思う」と答えたいと思っている。私が私のままでいられるとき。
"私の時間" でありながら、この時間と出会うことはそこまで多くない。そもそも家にいることが少ないので、陽が沈む時間を部屋で味わうことができない。出会うのはいつも何もできなかった日だ。
何かしよう、今日こそはあれをやろう、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと思うのに、身体が動かない。「だらだら」と形容するしかない様子で時を過ごし、夜が訪れる。何もできなかったのか、何もしなかったのか、どちらが正しいのかいつもわからない。
ただ、このつかの間の時間は私を現実から逃がしてくれる。昼間に「やらなきゃ」と焦っていたこと、動かない身体に涙したこと、嫌なことを思い出してのたうち回って苦しんだこと、それがこの時間だけはふっと消える。涙が流れることもあるけれど、なんの涙かはわからない。物悲しさと寂しさと無力感はそこに残るけれど、暗闇が私の肌に吸い付いて、攻撃する "なにか" から守ってくれるような感覚がある。夢とうつつの狭間にいるかのような、名前がつかないからこそ何者かにならなくてもそこにいることを受け入れてもらえるような、そんな感覚。
今、そうした時間を過ごしていて、目の前のストーブの灯を見て、これを残しておきたいなと思ったので記している。写真ありきでものを綴るのは初めてかもしれない。
とてもとても寒がりで、冷え性とかいう言葉ではすまないような寒がりで、夏でも冬でも常に寒い。不安になればなるほど寒気は強まる。何を着ても、カイロをつけても体温が上がらない。寒い、寂しい、しんどい、と震える日々だけれど、なぜかこのヒーターだけは必ず寒さを和らげてくれる。夜眠れないときにいつもお供をしてくれるヒーターと "私の時間" を過ごして、なんとか人並みの体温を保てている。