言語化。
2024.06.13
言語化は救いだった。
言葉にすることでそこに「ある」ものとして立ち現れてくれるから。
話すことはもっと救いだった。
そのまま抱えておくには重すぎるものたちだったから。
けれども、話すにはあまりにも生々しくおどろおどろしいモノたちと出会ったとき、「話せない」ことに気づかされて目の前が真っ暗になった。
「対話」について考えれば考えるほど、
自分のありのままに話すなんて無理じゃないかと思う。
他人と関わりたいと真剣に考え始めたら、
相手との関係を保つためには全て飲み込んで黙るしかないじゃないかという結論にたどり着いてしまった。
今まで自由に、自分の好きなように自分を表現してきたのに、
関わり続けたい人ができたことに気がついた途端、今度は失うことが怖くなった。
「対話」について考えるたび絶望ばかりが生まれていくのに、それでもどこかに救いがあるのではないかという淡い期待を捨てられずにいる。誰かと会うたびに「話せない」ことの大きさに打ちのめされているけれど、やっぱり諦めきれなくて歯を食いしばっている。