受け取ること。
「他人に "抱きつく" のは好きだけれど、他人に抱きしめられるのは苦手」というのを、何度か親しいひとに話したことがある。我ながらとてもわがままな言い分だなあと思う。
好きなのに、嬉しいのに。
どうしても恐怖が強く出てしまう。
中3か高1のときだったと思う。
誕生日プレゼントに花束を買った。お小遣い制ではなかったから、自分のお誕生日にもらったお金から出したのだろう。駅前のお花屋さんで作ってもらった小さなブーケは、弟から渡してもらうことにした。
あのとき、自分でブーケを渡さなかったのは「弟からもらった方が喜ぶ」と考えていたからだ。花束に嫌な顔をされることが怖かった。弟に甘いのは「やっぱり娘と息子は違う」から当たり前だと思っていた。こうして書いていると、色々と思い出す。当時はそうした考えに自覚的でなかったけれど、「弟が渡す」ことが正解だというのはわかっていた。
弟から花束を渡されたとき、とても喜んで弟を抱きしめた。嬉しそうな様子と、抱きしめられる弟を見て、喜んでもらえた安心感ともに、小さなさびしさが生まれた。「わたしだったらこうはならないだろうな」と思った。
けれども、その日は機嫌が良かったようで。弟としばらく抱きしめあったあと、わたしにもお礼を伝えてくれた。自分に視線が向けられると思っていなかったために驚くわたしのことも抱きしめてくれた。
怖かった。
目の前で抱きしめられる弟が羨ましかったのに、わたしに気持ちを向けてくれたことが嬉しかったのに、抱きしめられた瞬間に身体が固まった。急激に血の気が引いていく。全身に鳥肌が立って、思考がフリーズした。
時間にしてみれば、ほんの数秒だったと思う。ただその数秒の間に強く感じた恐怖を忘れることができない。
戸惑い、そして悲しみ。
あれほど望んでいたのに、拒絶する自分の身体。目の前の弟に羨ましさすら感じていたのに、凍りついていく。やはり愛情を受け取れないわたしが悪いのだ。
あのときの感覚は今でも鮮明に覚えている。抱きしめられているときに見ていた景色までもくっきりと。
結局わたしは向けられた愛情に応えることができず、立ち尽くしていた。