【seize the day#43】レオ・レオーニと仲間たち/板橋区立美術館➀
週末は板橋区立美術館へレオ・レオーニと仲間たちを見に行きました。
この美術館、どこの駅からもバス便がすくないのでちょっと行くのを躊躇してしまうのですが、行くと やっぱり来てよかったと思わせてくれる場所です。
今回は前編をお届けします。
アムステルダムで出生したレオ・レオーニ
父方の大叔父が著名な美術品コレクターという環境で、生まれながらにしてシャガールの絵が飾られた家に暮らし、その後はベルギーで母方の建築家の叔父には鉛筆デッサンを習った幼少期!こういう環境がすでにレオ・レオーニの中で芸実的な基礎として培われていたのですね。
ジェノバとミラノの間で未来派と広告メディアでの活動
レオ・レオーニは移住が多く、オランダ語、ドイツ語、フランス語、英語に続いてジェノバに暮らしたことによりイタリア語も習得しています。それも高校生の頃すでに!こうした暮らすことによる多言語や各地域の人々との交流は私からすると理想の世界。かなり羨ましい気持ちになりました。
そして父の反対により大学の専攻は経済学ですが、抽象画を描き続け未来派の展覧会にも参加。さらには文化人との交流、デザインの道を歩んで行くわけです。
パネトーネの広告は海岸というテーマですが、なんともいい雰囲気です。
このほかにも風刺画なども描いていて、展示されていた作品はどれも面白く見ることができました。
ニューヨーク アートディレクター時代
ムッソリーニによる差別的な人権法が公布されたことをきっかけに、レオ・レオーニはアメリカへ渡ります。
フィラデルフィアの広告代理店でアシスタントからディレクターの仕事をはじめ、活躍します。
その中でもオリヴェッティ社では沢山の素晴らしい作品を生み出し数も多く展示されていました。
しかし、次第に広告業界のあり方に疑問を持つようになったレオ・レオーニは絵本 あおくんときいろちゃん を出版して絵本の世界へ足をふみいれるのでした。
この作品は私もこどもに読み聞かせしたことがあります。
日本でもとても親しまれている絵本ですが、この作品の背景には実はブリュッセル万国博覧会のアメリカ館特別パビリオン【未完成の仕事】の閉鎖事件が関係していたとは初めて知りました。レオ・レオーニが担当していたこのパビリオンは環境破壊や人種問題を取り上げ、最後に「望まれる未来」として様々な人種のこどもたちが一緒にあそんでいる写真を展示したのだそうです。しかし、その写真に異議を唱えた議員の圧力により、なんと閉鎖されてしまったのだそうです。
レオ・レオーニは自分の孫たちに向けて、この絵本のお話を雑誌の校正紙を切りながら即興でつくったものが原作になっています。そして世界中の様々な人種の違いを超えて心が融和するという、平和への信念が絵本に表現されています。「望まれる未来」で考えていたレオ・レオーニの平和への強い気持ちの表れなのですね。
さて、少々長くなりました。
次回は絵本作家レオ・レオーニの作品展示についての感想を書いてみようと思います。
お読みいただきありがとうございました。