「ほんとうの自分」はいつも、人間である「わたし」とつながりたいと思っている
こんにちは。
”謎”なタイトルですが、
少し解説しながら「ほんとうの自分」という存在について語ってみたいと思います。
「ほんとうの自分」。
「わたしって何者?」
そう思っている人、いらっしゃるのではないかと思います。
わたしも、そのひとり。
子供の頃から、
「わたしってなんだろう?」ってことあるごとに頭に浮かんでくるワードでした。
大人になってから、やはり内側にフォーカスがあたり、
「人の内面(自分の内面)」に興味が向き、心理学を勉強。
これがとても興味深く、楽しく、学んでいるという感覚ではなく、
何気ないすきま時間に本を開いて読んだり、アウトプットするためにブログ書いたりと自然な流れの中で、”心理の沼”にハマっていきました。
瞑想やヨーガ哲学なども学び実践していくうちに、
「ほんとうの自分」の存在って、いつもそばにいるのではないかと感じるようになり、離れるときはいつも人を批判したり、自分をジャッジしたりするときなんだ、と心のどこかで理解できるようになりました。
離れても大丈夫。
いつもここにいるから・・・。
今はそんなふうに感じています。
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さて、本題に入っていこうと思います。
先ほども書きましたが、
「ほんとうの自分」は意外にもすぐ近くにいて、
近すぎて感じられないことが多い、
というのが今の現状という方、多いのではないでしょうか?
というか、いつもつながっているんだと思います。
パイプを切るのも、「わたし」。
パイプとつながるのも「わたし」なんです。
どちらが、いい・悪いということはないと思います。
これが、「無条件の愛」というやつなのかもしれない。
人間の「わたし」の愛は、条件つき。
好きでいてくれるから私も好き(恋愛あるある)
いいねしてくれたから私も返す(SNSあるある)
いい子だから優しくする(親子あるある)
真面目だからついつい面倒をみてしまう(上司と部下あるある)
何かくれたからお返しをする(人間関係あるある)
いろいろな場面で、条件つきの関係性がみえてきます。
「ほんとうの自分」はこういう条件がないのです。
相手が自分のことをどう思っているかわからないけど、好き
いいねくれなくても、いいねする
ミスをしたり、ぐずったりしても優しくする
いい加減で仕事が遅くても優しく面倒をみる
何もしてくれなくても与えることができる
こういった状態でいられたら、「ほんとうの自分」全開のとき。
みなさまはいかがですか?
相手に対して、「アイツはダメだ」「うちの子は何をやってもダメ」
「遅刻はするし仕事はミスするしダメな部下だ」「私は〇〇をあげたのにお返しがない」などと、いちいちいい・悪いの判断をしていると自分自身も心地いい気持ちでないし、相手と自分を完全に”分離”してしまっていて、その溝はどんどん深まるばかり。
溝が深まり、心が葛藤することがダメなわけではありませんが、
まずは、そういう状態になっている、ということ気づくこと。
これが第1ステップです。
人や自分自身をジャッジしている時、
「あー、いま人を批判してしまった」
「自分を責めていたなー」とか、
自分の気持ちに気づく。
”気づく”と、少し「ほんとうの自分」があらわれます。
それでも、「ほんとうの自分」の存在がわからない時は、
この”気づく”ことをいつも習慣にしてみてくださいませ。
人を批判してもいい。
自分を責めてもいい。
モヤモヤしてもいい。
ただ、その状態に気づくこと。
これで、ほぼゴールです。
気づけない人が大半ですから・・・。
だんだん”気づき”が深まってくると、
「ほんとうの自分」がメッセージを送ってくることもあります。
直感的メッセージとかインスピレーションといわれるやつ。
批判、ジャッジとの間にちょっと「すきま」を作ってあげることで、
その「すきま」がだんだん大きくなって、そこにメッセージが隠れているのです。
隠れたメッセージを受け取るのも自分自身。
すべては自分自身です。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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