授業が終わるという寂しさ
こんにちは。Kiwi PR合同会社の植田聡子です。
先週木曜日にキャリアコンサルティングの養成講習全12回が終了しました。
そして明日で大学院の前期の授業が終わります。(レポートまだまだ残っているけどね)
「終わる」ということに、慣れません。
語学を習っていた頃、英語、韓国語、中国語は時間が許すならずっと学びたいと思っていたし、進級しても先生も生徒もずっと一緒だったから、「終わり」を意識したことがありませんでした。
でも、キャリコンの講座は12回。大学院の授業は7回で一旦終わるのです。
その先生の講義が後期や2年生になっても履修できるなら、もしかしたらまた習える機会もあるかもしれないけれど、そうでない先生とは本当にもう習えないのです。
若かりし学生の時には感じなかった「ロス」です。そんなに優等生ではないのだけど、「え、もう終わり?」という寂しさ、大して泳げないのにいきなり大海に放り出されたような不安。
歳をとったからこんなふうに感じるのでしょうか。学ぶ機会に終わりがあるというのがなんとも寂しいのです。
学んだらアウトプットする、そしてまた新たに学び続ける。
この繰り返ししかないのでしょうね。
「授業」というスタイルの学びが終わっただけで、学びが終わったとは到底言えないのだと思えば、少し気持ちも落ち着きます。
じゃあ、夏休みの期間にたくさん勉強したり、溜まっている本を読んだりすればいいのでしょうが、きっと働いてしまうのだろうな。
でも、今年の夏は絶対キャリア関連の勉強をします!
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