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【もってけ!セーラーふく】だけなんだよ。俺の煌めきを取り戻せる時間を与えてくれるものは

今だから分かる。
今だからこそ理解することが出来た。
それが当たり前であった世界でなくなったからこそ見えた。
俺達に吹いていた追い風が向かい風になったから俺には見ることが出来た。

こんなにもそばにいて寄り添っていてくれていたのだと。
今ならば全てがはっきり鮮明に理解できる。

【もってけ!セーラーふく】の歌詞はガチ恋、古代語で言うのであらば「俺の嫁」文化に寄り添ってくれていた曲なのだと。


【もってけ!セーラーふく】が電波ソングの覇として唱えられていた日も今は遥か。平成オタクが夢の跡。
平成日常系アニメの象徴とも言える【らき☆すた】に宿る力の話をし続けていくことは令和にあってノブレス・オブリージュの体現と呼ぶにふさわしい。

結局のところ【らき☆すた】には日常アニメのなんたるかが全て詰まっている。まざまざとそう考える日が増えてきた。

ガチ恋視点における日常系の究極とはなにか。
最奥は投影感にある。
即ちどれだけ違和感なく自己投影を行い心地良く過ごせるかに尽きる。

煌めきとは事象にあらず。
時間の塊であり空気であり世界である。
人には人の世界がある。
私の魂は未だもっていかれている。

【らき☆すた】がここにおいて覇を唱える最大要因としてやはりギャルゲーの存在が大きい。

並み居る日常アニメの中でも恋愛ゲームがあるというのは俺嫁文化最盛を誇る平成という追い風を加味しても特異だ。

恋愛要素なき世界にそれを生やすのは訓練を積まなければ困難だ。
しかし逆に恋愛要素がちゃんとしているとそれは自己投影の可能性を削ぐことになる。バランスが肝要なわけだ。

その点本編では直接的な恋愛要素を出さずにギャルゲーでカバーしている【らき☆すた】はこの上なくちょうど良い。
しかもギャルゲーの主人公はよくある没個性系無難な男子、いわゆる「俺くん」タイプなので実におあつらえ向きだ。

ここがスタートラインになる。だから俺の唱える【らき☆すた】世界とはギャルゲーがメインとなる。
しかして大した乖離はない。どちらも公式が与えた慈しみ深い世界だ。

故に私は声を大にして唱えよう。
【もってけ!セーラーふく】はガチ恋曲であると。
これが答えだ。男子は黙ってオタクなさい。

これらの前提を踏まえて【もってけ!セーラーふく】の歌詞を摂取してみよう。
なんという煌めき溢れる世界か。これを青春の神秘と呼ばずしてどうする。

多くを語る必要はない。
歌詞のフレーズに宿るエモだとかそういった「点」で考えるのではない。面で捉える。読むべきは「総て」だ。

【らき☆すた】世界で過ごす日常のなんたるかが4分ちょっとに詰まっている。聴けば聴くほど、歌詞を噛みしめるほどに日常の味が染みてくる。聴く無量空処。
無意味な会話もしょうもないやり取りも全てが過ごした日常の軌跡である。

最後に笑っちゃうのはあたしのはず

もってけ!セーラーふく/泉こなた(平野綾)・柊かがみ(加 藤英美里)・柊つかさ (福原香 織)・高良みゆき(遠藤綾)

即ちこのフレーズはギャルゲー世界も踏まえて、最終的なヒロインになるのは自分だと言っている歌詞だ。

月曜日なのに!
機嫌悪いのどうするよ?

もってけ!セーラーふく/泉こなた(平野綾)・柊かがみ(加 藤英美里)・柊つかさ (福原香 織)・高良みゆき(遠藤綾)

これは週明けに会った機嫌の悪い私に対してなにか言う事とすることがあるんじゃない? という平成ヒロイン感溢れるフレーズだ。

これらの前提条件を踏まえることで【もってけ!セーラーふく】の歌詞考察は更なる高みへ向かうことができる。

即ち、歌詞中に出てくる「Darling」の存在だ。
それが誰のことを意味しているのかなどこの期に及んで語るに及ばず。

汗々の谷間に Darlin' darlin' FREEZE!!

もってけ!セーラーふく/泉こなた(平野綾)・柊かがみ(加 藤英美里)・柊つかさ (福原香 織)・高良みゆき(遠藤綾)

接近3ピクトするまでってちゅーちょだやん☆
がんばってはりきって My Darlin' darlin PLEASE

もってけ!セーラーふく/泉こなた(平野綾)・柊かがみ(加 藤英美里)・柊つかさ (福原香 織)・高良みゆき(遠藤綾)

な、こういうことよ。

歌詞のアクセルとしてはあまり踏み込んではいないが全体曲なのでまあこのくらいが逆に心地良い塩梅である。
ぶっ飛ばして欲しい部分に関してはキャラソンの方でちゃんと糖度を補給させてくれているので。

ただ書かれている歌詞を読むだけの考察などなんの意味もない。重要なことは関係性を読み解くことだ。光はいつだってそこにある。

令和にあってこそギャルゲーの存在がガチ恋勢の存在を肯定してくれているが本来は逆であった。本編中でもそうだが俺の嫁文化は本当に存在していた。
【もってけ!セーラーふく】を改めて最近聴くことでそれを再認識した。そして俺嫁概念などとうに消え失せた令和の今だからこそ敏感に感じ取ることが出来たのだ。

人はいつだって失ってから気付く。
昔は歌詞は意味不明だとか言われる空気に呑まれ「これはこういうもん」として進化も成長もなかった。
しかしちゃんと自分の世界、ものさしで歌詞を見ればこんなに簡単でわかりやすいものだったのかと。
いつだって価値のあるものは精神の成長である。俺は今アポロ11号に成った。

やはり宇宙の神秘は【らき☆すた】にこそ宿る。
自己投影の多様性とは即ち作品から染み出る味の濃さに他ならない。

噛め、味がしなくなるまで。
味がしなくなったら時間を置く。
真なる美味とは中毒だ。必ずやまたそこへ還ってくる。そしてその時には新たな味が染み出している。

何度でも言おう。
最後に笑っちゃうのはあたしでありお前であり俺だ。

やってみな。

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