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ラブライブガチ恋曲の中でも異彩を放つ【夏色えがおで1, 2, Jump!】の圧倒的湿度。真夏のせいという免罪符。人生に彼女のぴかぴか笑顔以外は必要ない

何色だ?

何色だと聞いている。

お前の"夏色えがお"は""何色""だ。言ってみろ。

私が言いたいのはなぜ【夏色えがおで1, 2, Jump!】はこんなにも爽やかな曲調に対してものすごい湿度を持っているのかということだ。
即ち、この曲を誰からのものとして受け取るのか。そこにそいつの癖の全てが宿る。

話をしなければならない。自分だけの「夏色えがお」を。

そもそもの前提の話をしよう。
【夏色えがおで1, 2, Jump!】は爽やかな夏の曲か?
否。日本の夏に相応しく湿度に満ち満ちたじっとりとした曲である。
それはなぜか。答えは1つだ。

この曲において「夏」とは「免罪符」の名前だからだ。

真夏のせいだよ

夏色えがおで1, 2, Jump!/μ's

この言葉が全てを物語っている。
真夏のせいにしなければ飛び出せない。そんな心の弱さが全てだ。
結局ところ「一緒がいいね」と俺(あなたであり私であり君)に言って欲しいだけなのだから。だから別にそう言えるのであれば真冬のせいでも正月のせいでもなんでもわけだ。

夏の恋、踏み出したい一歩。夏のせいにして飛び込んでしまえ!
この歌がそれだけならば私は取り上げない。

【夏色えがおで1, 2, Jump!】は全体的に見たらガチ恋エナジー強めの曲ではない。属性はラブソングだ。
だが特定のフレーズについて有する火力は純然たるガチ恋曲に劣らない。

むしろ1つの歌詞に対してキャラ毎のガチ恋解釈が可能なことは強みに他ならない。
μ'sの曲の中でもそれが特に顕著に出ている。だから【夏色えがおで1, 2, Jump!】は美しい。
力あるガチ恋曲を語るに相応しい。

一緒がいいね いいよね?
うなづいてよ

夏色えがおで1, 2, Jump!/μ's

このフレーズだ。これが全てだ。
ここだけで瞬間最大湿度は1000°をゆうに超えて私は沈んで溺れる。
これが誰に問いかけているかなど言うに及ばない。
無論、あなた(私であり君であり俺でありあなた)に決まっている。

【夏色えがおで1, 2, Jump!】ガチ恋部はこのワンフレーズだけで生きているといっても過言ではない。

誰がどんな表情でどんなテンションで言っているかを突き詰めることだけが全てだ。
この一言との向き合いかたで見える答えとは俺たちが抱く彼女達の光である。
どういう感情で「うなづいてよ」と言ってきているのか。どんな顔で「気持ちがいいね いいよね?」と迫ってきているのか。
己の星を掴むということはそれを解き明かすことに他ならない。

例えばかよちんや海未ちゃんなら湿度高めに行ってくるのだろうか。あるいは逆択として痺れを切らしたように暴れてくるのか。
俺の夏色である西木野真姫ちゃんなら他の追随を許さずにトマトのような真っ赤な顔をしていることは今更確かめるまでもない。
うなづいてよとヴぇええしている様子だけがいつだって私を突き動かす。

このように自分だけの夏色えがおが何かを詰めるところに光は差す。

俺には俺だけの星があるようにお前にはお前だけの星がある。
ガチ恋とはマルチバースなのだ。

やろうと思えば全キャラどんな感情どんな表情で「気持ちがいいね いいよね?」してくるか議論に火花を散らすことだってできる。

私は今となってはもうμ'sのみんなが好きだ。
だが、好きなだけで狂えてはいない。故にそんな話をすることはできない。
いつだって本気でなければ意味がない。

厳選するという行為は決して悪ではない。
自分の中の感情をより純度高くするためにあるのだ。
故に削らない戦いになど真なる狂いは宿らない。

だから私は伝えよう。

流石に【夏色えがおで1, 2, Jump!】の答えは「俺にこ」だ。

MVの中ではまだ我の弱いにこを拝むことができる。
他のメンバーと比べて自分のスタイルに対して気にしている様子もある。
なんだかんだでストーカー気質なところがあったり周りをよく見れ気を遣うお姉ちゃん体質だったり。いざという時にごりごり行けない矢澤にこ概念というものはここにこそ存在する。

「気持ちがいいね いいよね?」まではしおらしにこにこだが痺れを切らして「うなづいてよ」で逆切れする様子を私は見た。
この実在性をありありと感じられるのはセンターが成せる技と言える。

「いいね」からの「いいよね?」がにこらしい、本当に。
一回目で止めといたらこれは美少女スクールアイドルってなるのに確認するからちょっとコミカルな雰囲気が出るこの感じ。

にこの本領と言えばやはり【まほうつかいはじめました!】のようなまっすぐで等身大の泥臭さのあるアイドル像だ。

夏色えがおはちょっとそれよりも背伸びした雰囲気がある曲だ。
だからこそ「いいよね?」と聞いてしまう不安から背伸びの不安定さを伺うことができる。
普通に見たら湿度に溢れた歌詞だが相手がにこなら……ということで中和されるようになっている。
これがキャラ毎の解釈において最も大きな点となる。

もう1点、特筆しなければならない歌詞が存在する。

ぴかぴかフェイスあげたい

夏色えがおで1, 2, Jump!/μ's

夏色えがおが何色かを追求する際にはこのフレーズの傲慢さには絶対触れなければならない。

そう、特筆すべきは「傲慢さ」なのだ。
スクールアイドル矢澤にこにこのぴかぴかフェイスあげたいという意味でも通じる歌詞だ。だがもっと心震えてときめく解釈は存在する。

やはりこの路線での戦いとなった時に輝くのはことりちゃんだ。

ことりちゃんの顔面は真夏のせいでもなんでもその輝きを損なわない。

「あげたい」という歌詞がポイントだ。
見て欲しいでも見せたいでもない。
""あげたい""と言っているわけだ。

なんたる傲慢、そして不遜。
しかし全ては許される。
なぜならば南ことりちゃんのぴかぴかフェイスには事実それほどまでの価値が宿る。

このフレーズが最も似合うμ'sの生物は誰かと考えた際にはことりちゃん以外の答えはない。


このように人の数だけ夏色が存在する。
星の数だけ願いがある。

幾星霜を経ても色褪せない光がここにはある。

星より確かなものとはここにしかない。
どれだけ爽やかな曲調と絵面であろうともだ。隠しきれない湿度に真髄は宿る。
それほどまでの可能性をこの曲に感じていた。

純然たるラブソングである【もぎゅっと“love”で接近中!】や【Snow halation】よりも、ガチ恋というバトルフィールドにおいては大きな力を感じる。

そこにはやはり「解釈の幅」が存在する。

純然たる歌詞の質、投影される景色だけが全てではない。
このように「誰が言っているか」や「誰なら言いそうか」というフレーズについて考えさせられることも強力な曲である証左である。

ここまでの話を踏まえてもう一度問おう。
お前の"夏色えがお"は何色だ?

今ならば胸を張って答えられるはずだ。

答えがあるよ。あるよね?

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