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比嘉かなたという性癖

私は確実に比嘉かなたに人生破滅させられるタイプの人間だ。

なぜか、ああいう女が好き。否、比嘉かなたという女のことがこの世で一番好きだからだ。だから私の人生はなるみちゃんやエクレアのように彼女の悪意なき邪悪によって蹂躙され尽くすであろう。
言い換えよう、そうありたい。そういう風に人生を消費されたい、と。彼女は狂おしい。ああいう生物が性癖なのだから。

此よりは地獄、私が比嘉かなたという生物のどこがどう好きかを語るだけの世界になるからだ。


【比嘉かなた】という性癖

私は比嘉さんのことが大好きだ。2つの意味で好きだ。1つは【はるかなレシーブ】という素晴らしい作品における【大空遥】と並ぶもう1人の主人公として。
もう1つは1人の人間として。そのどちらもが私の性癖を掴んで離さない。特に後者として性癖の全てを丸々掴まれているといっても過言ではない。
私の性癖は数多くあるがその中でも熱いものは庇護欲を掻き立てる生物であるということと、悪意なき邪悪であるということ。前者は背が低いことであったりあるいはどこか弱々しさを感じる所作、更には孤独感や依存心などが見えるような要素に心惹かれる。ここではそれらを更にひっくるめた上で溢れんばかりの「被害者」感がある。
問題は後者である。いまいちピンとこない方もいるかも知れない。私が言いたい邪悪とは「悪を成そうと悪行を行うこと」ではない。「自分の心の思うままに行動した結果、それが意図せず悪であった」ということだ。あるいは「自覚なき自己中心性」と言い換えても良い。

私の性癖には問題がある。その2つの特徴を併せ持った女性が世界にはなかなか存在しないことだ。少なくとも私の生きてきた作品の世界線においてはまず見たことがなかった。
特にきらら作品などの日常系と呼ばれる作品において、これらのあからさまな悪性やギャグテイストを抜きにした悪い女というものは存在そのものが少ない。こういったわざとらしい性格の悪さやストーリー上におけるヴィランとなりうる女性はあまり好きではない。あくまでも「あれこいつなんかやべえぞ」と思えるような滲み出る悪意が大好きなのだ。自分の痛みに敏感で他人の痛みに鈍感という考えうる最悪の組み合わせが良きとして機能する暗黒の性癖を抱えているのだ。

その問題を1人で解決した女が【比嘉かなた】だ。私にとって彼女はアポロンでした。弱々しく庇護欲を掻き立てる存在であり、それでいて悪意のない行動で周囲を振り回す。結果として最後には受け入れられているが彼女のその悪意なき行動は多くの人物を不幸にしてきた。そこに悪意がないのは皆理解しているので作中面と向かって責められることはない。なぜならば悪意がないとみんなが理解しているから。更にはその行いが悪行ではないから。それこそが、その生き方こそが邪悪そのものではないか。私はそう思う。
悪でないのに人を不幸にするというのは最もたちの悪い性質なのではないか。故に比嘉さんは過去から現在にかけて孤立している。更に震えるべきことになぜ孤立しているかというと、なんと自分から距離を置いているからだ。その邪悪さ故に避けられたのではない、周りに自己を受け入れられながら自分から距離を取った。いや、逃げたと言う方が相応しい。
そこに私は持っていかれた。なんかこの子すごい被害者感出してるけど普通に周りの方が可哀想だと思ってしまった。その時、もう既に意識は持っていかれていた。

彼女を取り巻く環境の特徴として、基本的に上記の被害者側の人間のメンタルが強い。
比嘉さんと元々パートナーを組んでいたなるみちゃんは地元を離れ新たなパートナーを見つけてビーチバレーに取り組んでいる。かつてライバルであったクレアとエミリは変わらずビーチバレーを続けている。
そして直接の原因となったこの関係性における加害者である比嘉さんのメンタルが圧倒的に弱い。
追い詰めている側が何故か病んでいる。トラブルを引き起こした人間が逃げる。これを生き方がうまい、私はそう言うのだと思う。このように弱々しく庇護欲を掻き立てる行き方をしていればたちまち私のような物好きが放ってはおかないだろう。

こいつには俺がいないとダメだと思うとき、その依存関係はすでに逆転している。いつか俺も今まで比嘉かなたが置きざりにして逃げてきた人間たちのようにボロ雑巾のように使い潰されて野垂れ死ぬのだろう。だがそれでいい、そうであってくれないと困る。そういう比嘉かなたが好きなのだから。だからダメなのだ、ダメである関係性であることが甘美なのだから。愛おしい、あまりに愛おしい。

唯一無二という重み

前述の通り比嘉かなたという生物はかなり唯一無二の生命体である。少なくとも私が今まで見てきた作品群、少なくともきらら作品という枠組においては彼女のような女は見たことがない。
それはつまり替えが効かないということになる。例えば私の性癖の1つにメガネをかけた女が好き、というものがある。これは極端な話メガネをかけていればその時点で一定の好きが担保されることになり、そこだけにフォーカスするのであれば同じ属性を持つ生物は多く存在する。

比嘉さんはどうだ。かように多くの属性が絡み合った上でそれが100点の性癖ポイントを出している。まずそもそもが彼女のような人間をあまり見ない。その時点でプレシャスだ。そもそもがなぜ存在しないのか。
その答えは絶妙な世界観の違いにある。日常系ともバトル物とも違う、それら両方を兼ね備えたスポーツジャンルの世界だからだ。実際に戦うわけではあるがそこにはスポーツという枠組に則った戦いがある。ここにバトル物とは一線を画した戦いの構図がある。
この絶妙に闘争のある世界だからこそ後の項目で語る拗れに拗れまくった人間関係が生まれたわけであり、それが比嘉かなたという生物の魅力を際立たせているのだ。

唯一無二であるということは当然であるが似たようなものがないうことだ。つまりもしも唯一無二の存在に全ての性癖を掴まれてしまった場合、そのキャラと心中するしかないのだ。それが俺とかなたとの関係性だ。
はるかなレシーブは素晴らしい作品だ。だが原作はもう連載を終了し、アニメも放送からもう4年以上経ち現実的な視点で見て2期を期待することはできない。だったらここで満足するしかないじゃないか。というよりもはや他では満足できない故ここで生きここで死ぬ以外に道はない。
2018年のはるかなレシーブ放送より多くのアニメや漫画を見てきたし好きだと思うキャラも大勢いた。だがその全て、その尽くが比嘉かなたを超える存在にはならなかった。私の脳裏には常にあの女の影がちらついて止まない。無論好きなものは好きだし素晴らしいものは素晴らしい。だが脳に迸る衝撃が段違いなのだ。
比嘉かなたという女、ひいては100%全身性癖女との出会いによってあの時脳に走った電撃を超える威力が出ないのだ。その力は今に至るまでの全てを凌駕している。辛味や甘みの好きな人間が刺激を求めより辛く、より甘くと今より強い刺激を求め続けるように物足りなさが生まれてしまうのだ。
いやあでも比嘉さんよ、と。最終着地点はいつもここになるのだ。これが何を意味するか、今までのような燃えるリビドーの高まりが失われる可能性があるということだ。

人は満たされないから求める。まだ見ぬ理想を求めるのか、それとも自身の内に鎮座する永遠に寄りすがるのか。私にとっての比嘉かなたは後者の存在である。ある種の諦めすら感じている、これ以上に性癖ど一致な生物はいないと。
それは今までのような熱量の奔流を奪い去るに値した。【きららファンタジア】なるスマホゲームがある。私は以前までそれなりのモチベーションでこのゲームをプレイしていた。それが今ではさっぱりプレイしていない。サービス終了するからではない。それ以前からだ。なぜか? 「永遠」がやってきたからだ。
2022年5月末に比嘉かなたのウェディング衣装限定星5が実装された。無論、原作にはないきらファンオリジナルの演出だ。分かるか、結婚なのだ。ガチ恋のオタクが一番好きだと胸を張って言える生物のウェディング衣装が来たらどうなるのか。簡単だ、壊れてしまう。それだけだ。

もちろん比嘉かなた以外にもきらファンにおいて好きなキャラはいる。だがもはや前述の通り、満たされないのだ。あの日、ツイッターの告知でウェディング比嘉かなたがくると分かったその時の脳に走る電流が凄まじいものであった。
私は今後ソシャゲのガチャ予告でこれを越える電流を味わえることはないであろう。唯一無二とはそういうこと、それが"重み"なのだ。

結婚願望との直面

比嘉かなたのウェディング実装、本当にこれは異常事態と呼ぶに相応しい天文学的確率の出来事であった。きらファンにおいてはるかなレシーブの登場頻度は決して多くはなかった。しーちゃんなどついぞ星5がこないままサ終が決定したほどだ。
既に星5が実装されている比嘉さんが限定星5でくる可能性というものを私はかなり低く見積もっていた。護身の為にハードルを下げていたのではない、現実を見ていた。

だが現実はその全てを凌駕した。

彼女は最高レアリティの限定星5でやってきた。しかもウェディングイベントで。唯一無二の性癖ど直撃生物がサ終直前に地元のウェディング衣装で実装される可能性とはいかほどであろうか。
奇跡、これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼう。だから私は全身全霊を持ってしてこれに挑んだ。こんな奇跡のガチャに限凸天井できる機会など恐らく残りの人生でやってこないであろうから。

シンプルなウェディングドレスでもとても喜んだであろう。あるいはどこぞの絶唱コンテンツのような限りなく下品と呼ぶに相応しいウェディングビキニであっても私は喜び咽び泣いたであろう。
それがまさか比嘉さんの地元のウェディング衣装というリアリティを引っ提げてやってくるとはという感動はあまりに大きい。地元最高な彼女が確かに沖縄衣装以外を選ぶとは到底思えないし沖縄から出るビジョンも見えない。そこに存在するはあまりにも鮮明な"リアル"。

覚醒後では比嘉さんが下からこちら側を見上げる構図になっているのも非常に熱い。そういった小ささアッピルがまたごりごりに庇護欲を掻き立てるのだ。
ビーチバレー選手として見ると小さいが他のきららキャラのガチめに小さい同年代と比べると大きめというのがまた良いのだ。ここに宇宙の神秘が存在する。そのバランスなのだ。あくまでもビーチバレー選手としたら致命的に小さいという点にこそ宇宙が宿る。
もちろん小柄ではあるが【星川麻冬】や【関屋ロコ】といった合法ロリ勢とは明確に一線を画している。取り立てて小柄ではないが彼女が生きるビーチバレーの世界ではものすごく小柄。このバランスもまた唯一無二といえる。

さてここにおいて非常に重要にして踏み込んだ話題にやはりきらファンは踏み込んでいた。「結婚願望」だ。
はるかなレシーブに男キャラは存在しない、絡みもない。かといって百合でもない。故にその全ては解釈する側に委ねられていた。
私はガチ恋勢である。なので比嘉さんにもまた結婚願望があってほしいと思っていた。厳密には、家族が欲しいと思ってほしく合った。
比嘉さんの両親は事故死している。なので彼女は祖父母と暮らしている。だが祖父母なので遠くない未来、必ずや比嘉さんは一人になるであろう。無論従兄弟である遥とその親族はいるが直系の血族がいなくなるわけだ。そうなった際に彼女が一人で生きるのかどうかというところで考えたらそれはないであろう。比嘉かなたという女は必ず生涯死ぬまで他人の善意によって軌道よく生き続けるというのが私の彼女への解釈である。
故に気になるのだ。彼女は自らの意志をもって結婚に挑むのか。あるいは一人でいるという寂しさに潰されないようその道を取るのか。
比嘉さんの母親である葵さんは確実にああこれはかなたの母といった感じがよく出ている人物であった。

このレベルまでお腹が出てから実姉に初の報告をしてヘラり散らかすというのは非常にポイントが高い。もちろんマタニティブルーだなんだとそういったものもあるのだろう。だがそれにしてもなかなかにハードだ。
そのためあまり考えたくはないがかなたが母へと変貌しようとなったらどんな怪物が生まれるのかという点は気になるところであった。
そこで結婚願望の話が出てくる。そもそも本人にその気があるのかと。結論は「ある」ということが判明した。これはあまりにも衝撃的すぎる現実であった。

今の時点で自分がどれほど周囲の人間の人生を狂わせてきたのかも知らず、のうのうとそんなものに憧れを抱いている。という事実がまた私を狂わせた。
基本的に結婚できるという前提で話を進めているのもまた狂いを加速させる要因である。実際比嘉さんなら前述の通り誰かしらが必ず何らかの形で放っておかないであろうがそれと本人の意思とは話が別である。
原作やアニメ初期に見られたネガティブで暗い比嘉さんであればまた違った反応が見られたであろう。だがきらファン世界においては少なくともアニメ終了後程度のそれなりに持ち直したメンタルでの参戦であることが言動から見て取れる。そのため、本来の彼女はかくも少女性を宿しているのかと感動を隠しきれなかった所存である。

それがあるべき姿なのである。だが私の拗れに拗れた瞳と性癖はそのあるべき事実にたどり着くまでに公式からの答え合わせを必要とした。かように答え合わせが来ること、それそのものが幸福で恵まれているという事実を噛みしめるばかりである。
かつてPSPだなんだで稀に存在していた現代では炎上必須の原作改変ギャルゲーが出ることを願うばかりである。まだ私は彼女の男性との接し方を知らない。知らないことを知ることこそが美しい。そのために生きよう、生きていたいと思える。

比嘉かなたを取り囲む人間関係の歪さ

友達で元パートナーであるのに圧倒的な温度差、遠井成美

彼女の好きなところの1つに周囲の人間関係がおかしいという点がある。基本的に主要人物は皆等しくこの女に人生を変えられている。運命の出会いなどという美しいものではない、その大抵がマイナス方面にだ。
元々かなたとパートナーを組んでいたなるみちゃんは結局別のベストパートナーを見つけられたから良かったものの、かなたとの別れを長く心の傷としていた。かなたに誘われて始めたビーチバレーをかなたが勝手にやめたことでなるみちゃんは長きに渡る比嘉かなたとどうしたらうまく行っていたか問題に苛まれることとなる。
そんな中、当人は再開した従兄弟の遥による理解ある彼くんムーヴにより無責任にビーチに戻りなるみと再開する。ネット越しの対面でだ。なるみちゃんの葛藤も気の動転も何も知らず。そういう人なのだ。そういうところがたまらなく愛おしい。比嘉さんの10倍は複雑な心境でコートに立つなるみちゃんよりも深刻な顔して立っている女なのだ。あたかもなるみちゃんが悪いみたいな空気が出ているがその実なるみちゃんを置いて逃げたかなたが100:0で悪いという現実をまるで感じさせない。天性の被害者面があまりにも愛らしい。
「あたしなにか悪いことしましたか?」ではダメなのだ、そこに悪という概念を抱えていることこそが既に悪なのだから。そもそもが自分のことしか考えていない、これなのだ。

アニメ未視聴者であればぜひ1、2話を見ていただきたく思う。かなたを救えなかったことに罪悪感と無力感を抱くなるみちゃんと対象的にかなたの焦点は逃げるか否か、という点にある。ビーチから走り去るなるみを追うこともない。前述した自分の痛みに敏感で他人の痛みに鈍感、という点をこんなにも序盤から余すとこなく味わえるのだ。
かなたに救われたなるみがその後長いことかなたを救えなかったことを悔やみ続ける。当の本人はそのことに関して何も思っていない。救ってくれなかったとも思わないし、逃げてしまったという思いだけを持ち続ける。ここに歪さがある。
身長が伸びなかったというのは仕方のないことであり、誰の責任でもない。かなたはそこに対して割り切っている、身長が伸びなかったから仕方がないと。対してなるみはそれでも関係ないよと支えて一緒にやっていけないことを後悔している。
小学生の頃、かなたは仲良くなれたら面白そうとなるみを誘ってペアを組む。かなたにとってそれは思い出であるが、なるみにとってそれは救いなのだ。「1人だった自分を救ってくれた」という救済の記憶となっている。ここにある温度差がそのまま互いの感情のでかさのすれ違いとなっている。
故に友達であり元パートナーという肩書は同じでもその重みはまるで違うものとなっている。ここを意識して1、2話を見返すとなんなのだこれはとなる。あまりにも比嘉さんが呑気過ぎる。お前なるみちゃんの感情のでかさをなんだと思っているのだと。そんなこと毛ほども知らず自分のことでうじうじしているこの生物あまりにも可愛すぎる。本当にこの辺りは比嘉さんのメンタルは弱いけど妙なところで図太いという性格をひしひしと感じられて大好きな場面だ。

私はなるみちゃんも大好きだ。作中一番の被害者と言っても過言ではない彼女のことも好きである。そうはいってもなるみちゃんに全く否がないかと言われるとなんともいえないところがまたこの作品の妙である。
なるみちゃん最大の否は「かなたを置いて自分だけ背が伸びた」ことにある。これを否と呼ぶかどうかは難しいところであろう。IFの話である以上全ては盲言に過ぎないが事実そうでなかったら二人は一緒にビーチバレーを続けていたのではないかと私は考える。
客観的事実としての否はあるがなるみちゃんの行動そのものに否は無い。この無常さである。運命論的に言えばなるみちゃんはビーチバレーによってかなたに救われ、そして自身が隣にいたことで必ずかなたはビーチバレーから離れる。
だがなるみちゃんはずっとかなたのことを信じていた、彼女ならば必ずコートに帰ってくると。だがその時隣に立つのは自分でないだろうと。事実その通りになるわけである。あまりにも不憫がすぎる。

なるみちゃんは話が進むに連れて洗濯物を畳めなかったり朝が弱かったり挙げ句【ビーチバレーの腕はいいがその他が全部心配】とまで言われる生活力に関してポンコツ寄りの生物と化す。それはそう成ったのではない、それが本来の彼女の姿なのだ。

かなたがビーチバレーに復帰し、自分もパートナーと安定した関係を構築できて余計な心労から解き放たれた結果である。あれこそが昔のなるみちゃんである。彼女はかなたが失われた情熱を取り戻し、あの頃の目を取り戻すことでようやく昔の自分を取り戻す、レシーブすることができたのだ。
こういったストーリー上の展開のリンクと本当に噛み合わない二人だったんだなとしみじみ思える関係含めてなるみちゃんも好きだ。だが全体通して見ると不憫、その一言に尽きる。そこがまたいとおしくある。

もうリベンジできないという最悪の劣等感を抱えたまま友人であり続けた女、クレア

クレアはまだかなたが成美とペアを組んでいた頃に試合して仲良くなって一緒に練習していた友人でありライバルだ。詳しくはぜひアニメ1期も見てもらいたい。

私の主観だが作中でかなたに最もでかい感情を抱え続けてそれを大爆発させたけどそれをぶん投げなかった女である。劣等感、コンプレックス、執着、負けず嫌い、私の好きな言葉である。それら全てをクレアは持っている。にも関わらず底抜けに明るく、そういったマイナスの感情を人前で見せることがない。そこが人を狂わせる。
正味私はクレアのことも非常にもうとんでもなく好きなのだ。比嘉のかなたが強すぎて一番になれていないだけでものすごく好きなことに変わりはない。あの底抜けに明るいクレアがアニメにおいては初登場から最後までずっと心の奥底にやり場のないリベンジの心を抱え続けていたのはあまりに癖に来る。

前述の通り、クレアはかなたと成美のペアのライバルであった。クレアとエミリのエクレアペアはかなたと成美に自身らのプレイスタイルが間違っていると思い知らされる完全な敗北を叩きつけられ、そこからこの確執は始まる。
そしてその確執と敗北に対するリベンジの機会は訪れないままかなたはコートを去る。それによりクレアは解消されない敗北感をずっと抱えたままになる。
それは遥によりかなたがビーチバレーをやるようになっても変わらない。かなたの視点からすればクレアは友人であった。
言ってしまえばクレアにとってかなたは宿敵であり、超えるべき存在である。自身の確執を解消する為にはかなたに勝つ、あるいはもう一度負けることが必要であり、いずれにせよかなたにはコートへ戻ってきてもらう必要がある。だがかなたからすれば一度コートを去ってからはもうただの友人であり、ブランクや身長のハンデのある自分からすれば格上の相手である。
クレアはずっとかなたのことをライバルとして見ているが向こうはそうでなかった。だからクレアは胸の内で半分諦めつつ、だがもう半分はもしかしたらという希望を捨てずにはいられなかった。
かなたは自分と違い背も伸びずブランクもある、パートナーである遥も素人同然。クレアにとって対等と呼べる存在ではなかった。だから彼女ははるかなが強くなる為の努力を惜しまなかった。全てはあの日のあの目のかなたにリベンジする為に。
この無限の執念こそがクレアの魅力である。解消されない敗北による執念を抱えたままかなたと友人としても接し続ける。友人ではある。だがそれ以上にライバルであって欲しいとずっと願ってきた。でもそれをかなたへ表立って向けるわけにはいかない。なぜならかなたは弱いから、友人として気を遣っているのだ。
そう、クレアはかくも巨大な感情を抱きながらかなたに無理強いはしなかった。

再開した成美との試合を経てかなたがコートへ戻ってきたと知った際に最もでかい感情を頂いていたのは確実にクレアである。それは地区大会の決勝戦を見ればすぐに分かる。
にも関わらず、関わらずにだ。クレアは一度もかなたに無理強いをしなかった。コートへ戻ってこいとも、もう一度ビーチバレーを本気でやれとも強要しなかった。
なぜか、自分の意思で戻ってくる本気の比嘉かなたに勝たないとこの確執は解消されないと知っていたから。その全てが「アタシの知ってる比嘉かなたはそういう女だった」の下りに集約されている。

あくまでもあの頃のかなたを倒さないといけない。クレアもまた、かなたやなるみと同じく過去も囚われ続ける人間の一人である。やはりその悔恨には比嘉かなたが中央に存在しており、クレアもまた彼女の被害者と捉えることが可能になる。

そしてなるみちゃんの時の例に漏れず、かなた本人はというとやはりあっけらかんとしていた。もちろんクレアからのくそでか感情などいざしらずにだ。地区大会決勝であの日クレアが負けた、強いままだったかなたに負けたことで結果としてクレアの確執は解消できた。だが別にかなた自身がクレアのその気持ちに対してなにかアクションを起こしたわけでも無ければ何かが生まれたわけでもなかった。
自分でも言っていた通り、かなたの中では本当に時間が止まっていたのだ。クレアがどんな気持ちで待ち続けていたか知るよしもなく、ただ試合をしたのみだ。
なるみと違い、クレアの燃えるような確執はエミリ以外に知られることなく解消された。決勝後のやり取りは雰囲気は感じたかもしれないがその本質を理解できているのはエミリだけだ。
そこに存在するは双子としてのエンパシー、そしてパートナーとしてのシンパシー。それらはあくまでもクレアの内なる執念として処理された。そこにはやはり確執を持ちつつも一人の友人としてかなたと遥を思いやるクレアの光の人格が見て取れる。
こういった人間関係の妙技はこの作品が持つ魅力であり特にクレアの描写は丁寧かつ性癖的に見て非常に熱い要素であった。
だからこそ、素で生まれるその温度差が凄まじい。あの女はいつだって根っこの部分で起こっている部分に対して本質的におっとりしている。そこが特に強調されるのがクレアとなるみの存在である。

即ち「永遠」

ああ、かくも比嘉かなたは狂おしい。私は彼女の全てを肯定している、好きだから。客観的に見た際の是非や善悪は些事に過ぎない。なぜならばそういうところがたまらなく好きなのだから。
故に特別、唯一無二。本当に私はこういった作品の女キャラで比嘉さん以上に狂える存在に今まで出逢えなかった。本人が自覚なき悪で善悪という概念を超越しており、何よりもかわいいと。そう、なによりも彼女はかわいいのだ。それが一番に狂わせる。
確かに他のジャンルの作品であればかように拗らせた属性を持つ生物もいるであろう。だがそれが私の性癖に則っている可能性は限りなく低い。なぜならばこういった無自覚的悪は本人の意志に関わらずヒール、あるいは敵である確率が高い。あくまでもきららという日常系雑誌に載っていたスポーツジャンルというバランスが良い塩梅なのだ。

悪ではある、だがよく考えて見なければ気づけ無いような邪悪が好ましいのだ。それでいて周囲がそれを受け入れ、自覚させないという作品の雰囲気が神がかっている。彼女は悪ではあるが作品の空気としてそれを蔓延させてはならないのだ。そうすると本物の悪になってしまうからだ。
なんかなるみちゃんものすごいヒールっぽい立ち回りしてるけどよく考えたらなんも悪いことしてなくね? とこっちが勝手に思えるくらいが良いのだ。だからこそ無自覚さが際立つ、そこでこそ彼女のような悪は輝きを得る。
ひと目見て分かる悪意やクズさはどうしても少なからずネタっぽさが伴う。そういうヒールなのだと思えてしまう。比嘉さんが自分で自虐する程度で周りから過度に責められないあのガチっぽさだけが私の世界を救える。
彩紗との確執もあくまで向こうの陰口程度でとどめておき原作最終戦で個々の胸の中でその確執を解消させるという手法も非常に良かった。あまりにも徹底していたからだ。
比嘉かなたの行いは悪いことではあったが罰される程ではない。その葛藤と苦悩は尊ばれるものであれど罰されるものではないと。そういった赦しを感じる。

事実、彼女はクレアともなるみとも和解している。和解というよりは試合を通じてその確執を解消させた、といったほうが適切である。原作終盤においては遥に自身のビーチバレーへの想いをちゃんと伝えるまでになった。そういった成長と変化も確実に存在している。
きっちりとそれはそれとしての線引がされているのだ。この不器用で引っ込み思案に見えてその実作中最も立ち回りで得している点もまた評価へ繋がる。本人のコントロールした結果ではない、遥含めた周囲のお陰でなんかよくわからんけど一番得してたみたいなポジションにいるのが高評価なのだ。ここなのだ。私の世界は。

本当に曇ってはいるが根本の部分ですごく呑気というかのほほんとしているしおっとりしている。その曇りを表に出すから可哀想に見えるがよくよく見ると周りのほうが彼女のせいでよっぽど可哀想なことになっている。これだ。このように俺もまた彼女の無自覚な悪意に蹂躙される生き方を望む。
ああ狂おしい。これで見た目や性格が好みでなかったらかくも拗れることはなかったであろう。だが必然にも彼女は見た目も素の性格も爆裂に好みであった。迸る劣等感、煽り癖、陰鬱な性格、身寄りのなさ、低身長、ポニーテール、私の性癖ハッピーセットと呼ぶに相応しい奇跡の女だ。
アニメBDの特典に付いてくるメインキャラのキャラソンにおいても彼女は一人だけ陰気臭いバラードを引っ提げてやってきた。そういうところなのだ。まさか一人だけマイナスなワードが雨あられと飛び交うバラードとは制作側の理解度あまりに恐れ入る。

かような生物他に知ろうか、私は知らない。故にこそ無限の感謝を。こんなにも性癖ど真ん中の生物と同じ時代に生まれられたことに。その出会いに。そして比嘉かなたという生物を取り巻くその全てにあまねく感謝を。
そして何よりも、何よりもだ。感謝よりも「喜び」を噛み締めてこれからも生きていきたい。なので心の底から思って止まない言葉で締めくくろうと思う。

【かけがえない君に出逢えてよかった】と。

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