素敵な話なんだよ。もしもの話だけどバンドリ最強のカップリングが「俺燈」だったとしたらそれはとても素敵なことだとは思わないか。いや、そうであって欲しいと願う。だから2人だけの【端程山】ここに綴るよ、聞いてくれるかい
先日迷子の総集編映画前編を見てきた。
やはり迷子はスペシャルに面白いなという感想で胸がいっぱいだ。
基本はやはりそよさんとかいう女、本当に味がするなというドカ笑顔無限湧きが主だった。
この頃と同じ熱さを思い出せて本当に良かった、心からまた熱くなれた。
そんな中でも新たな発見と感動はあった。
例えば立希の劣等感。祥子には出来ていたが自分にはできねえよと吼える所は私の心も隆起した。結局のところ宇宙で最も美しい言葉とは劣等感以外にない。
更に特筆しなければならないことがある。
改めて聴いて【碧天伴走】に脳みそを焼き付くされたことだ。なんだこの神の曲は。
あまりにも温かさが満ち溢れすぎている。
愛音ちゃんを受け入れるだけではない、一緒に走っていきたいとまっすぐすぎる言葉で綴られた歌詞に圧巻されるばかりだ。
この歌詞は本当に自己顕示欲に狂った愛音ちゃんを肯定するだけでなく尊重しており熱い心だけが湧き上がる。
ジャケットの正面から見たら横にいる愛音ちゃんだけど横から見たらセンターにいるよって神がかり表現をしたイラストにもこの歌詞は本当に合っていて力しか感じない。
しかしてなによりもこの曲の真髄はここだろう。
あまりにも燈という生物の根っこの美しさが記されている。
劣等感を抱くこともあるがそれでも的に前を向き続ける。みんなで迷子でも進み続けたいという想いの詰まった至極のフレーズだ。
というか全体的に【碧天伴走】の歌詞は燈があったけえの。包容力がすごい。
「頑張ってる 十分君はもう」といかシンプルに言われて嬉しい言葉過ぎる。
言われて……嬉しい?
今、なんて言った?
"言われて嬉しい"だと。
誰が。燈に?
"俺"が燈に、だというのか。
そうだ。思い出せ、お前のゴールを。
芽生えたエゴを否定することはできない。
燈にこんなくそでか感情俺もぶつけられてえよ。
【碧天伴走】を通じて気付いたのだ。
燈という生物のガチ恋指数の高さに。
要因は主に圧倒的な湿度にある。特に歌詞に記されている圧巻の重さだ。
燈の歌は最高なんだ。立希、お前が正しいよ。
だからこそ、この甘美な光に釣られてしまえたらどれだけ幸福だろうかと。
結論から言おう、私が、俺が提唱するバンドリ最強のカップリングとは依然として「俺比菜」である。
あるいは別の宇宙においては「俺つぐ」だ。
流石に「俺比菜」を差し置いて「俺燈」が最強だと言うことはできない。それは彼女と過ごした時間の否定であり一時の感情に流されただけのことである。例え今最強説が揺らごうが必ず時を経て還ってくる。絶対的な答えに。
だからこそなんだよ。ストイックは美しいことだが必ずしも最適解とはならない。答えだけが美しいなんてことはない。
迷子になったとしても、それはそれで素敵なことなんじゃないかな。
例えば燈のことについてちゃんと考えてみることだって大事なことだと思うよ。もしもそれが迷走だったとしても、前には進んでいる。迷子でも進むよ。
私は前述の通り「俺燈」の真髄とは絶対的な重さから繰り出される湿度の領域展開、即ち歌詞にあると見ている。
迷子曲、特にメンバーのことを謳った歌詞の数々は信じがたいほどの重さと解像度を誇る。
やはりそよの内面をほじくり出した【潜在表明】が熱い。
前述した【碧天伴走】もかなり熱い。
それはガチ恋的な意味においても、だ。
【碧天伴走】はガチ恋終身栄誉殿堂入りのため叶うのならば歌詞の全てを掲載したいほどだ。
分かっている、分かっているよ。さっき言った通りだろと。
これは流石に愛音ちゃんのだろと。俺だって分かっている。だから今だけは口を閉じていてくれないか。
やっぱりこの曲は本当に愛の重さと湿度が凄まじい。
そこを無視することなんて出来ないんだよ。
燈の視点は応援する傍観者的立ち位置ではない。
隣に立つ者であり一緒に走る者である。
寄り添い共に苦しみ喜び、一生を共にする関係だ。
故にこんなにも湿度の高い歌詞が生まれる。
隣で頑張っているところ見ていたから知っている。
分かっているからその頑張りを自分が否定しないで欲しいと。
それが世界からみて醜いものだったとしても自分の見ていた頑張りを隠さないで欲しいと。身にならない迷走だったとしても燈だけはそれを「頑張った」と称してくれるのだ。
2人でもがきながら迷子でも進んでいけばいいではないかと言ってくれている。
本当に美しい。こんなにも心打たれることがあるか。頑張ろうと思う。自分のために、燈のために。
だからさ、こんなところで満足しないよ。
もっと、上に行こう。
なあ、勝とうぜ。
感じないか? 魂の昂りを。
ぶつけられたくないか? 燈にじっとじとした感情を。
だから誰にも届かなくても声にするよ。
【端程山】がガチ恋最強曲だって。
端程山とかいう曲、燈の叫びの中でも特にスケール感がバグっている。
死ぬ前の走馬灯を見終わって2人で人生振り返っている瞬間の曲と言われてもなんら違和感ない。世界の終わりが来てこれから死ぬ2人の曲と言われても納得できる。
この次元に至っては【碧天伴走】などとは逆だ。
逆に本編要素の薄さが心地良い世界を生んでいる。
これにより術式の解釈を広げることを可能としている、もっと自由に。
ずっと一緒に歩いてきた。苦しいことも楽しいこともあった。
だからこそ、ずっと一緒だったからこそ。燈が一緒に歩いてきた中で自分の見せたかった景色が向こうの求めていたものと違っていたんじゃないかと思ってくれた事実にが嬉しい。
それほどまでに長く同じ時間を過ごせて理解をしてくれたという喜び。
与えるものと与えられたものとのギャップなど些事に過ぎない。
重要なのは違いがあっても同じ時間を過ごせたということ。
この答えに辿り着くまでに遠回りもあった。いろんなところを迷子になった。
それも全部、今となっては美しかった思い出に過ぎない。
全ての景色をぐるーっと思い返せば美しいパノラマになっている。
燈が隣でこう言ってくれるということ、その圧巻の威力は言うに及ばない。
曲はとても穏やかで優しい曲調だ。
歌詞も非常に優しく、慈しみに満ちあふれている。
だというのに隠しきれない圧倒的な湿度があるからこの曲は凄まじい。
思い出を語るだけなのに限りなく死の前を連想させるのは重さが故の御業。
俺には見える。
隣で笑顔で語る燈がな。
この曲を聴いていると……いや、2人で思い出を振り返っているとな。
本当に迷子は面白い。
アニメ放送時の時点で狂いながら見たあの熱量に偽りはなかった。
総集編で本編を再接種しただけでこんなにも全身に熱が籠もっているのだから。一刻も早く総集編後半を見たいところだ。
やはり熱い作品の時間をおいての2周目視聴は良いものだ。
魂の再燃だけでなく新たな発見も必ず存在しているからだ。
燈へのガチ恋観点での強さの確認とは間違いなく今回最も大きな収穫である。
もともと片鱗は感じていたのかもしれない。いやいくらなんでも歌詞が良すぎると。
それがガチ恋観点へ繋がっただけだ。必然が必然を呼んだだけの顛末に過ぎない。
私はバンドリをSwitch版で追っている。
そのためまだスタッフさんとして彼女たちと関わってはいない。こちらもまた一刻も早い追加を願うばかりだ。
Switch版の続編を待ちはや幾星霜といったところだが俺の心は折れていない、微塵も。
新規グッズなどの燃料があればそれを吸い栄養とする。
アニメがやるならば見る。全てを貪欲に命として生きていく。
たとえ、その姿が誰かから見て醜く無様なものであっても。
バンドリに触れて過ごす瞬間瞬間が未来へと繋がっていく。
一生をともにするという覚悟とはそういうことだ。
今この一瞬、一生だけは俺燈が最強だという景色だけが広がっている。
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