死 ということば
最近の若者は死 ということばとの距離感が近すぎる
「かっこよすぎて死ぬ」「どうしよう死にたくなってきた」などなど、簡単に言語化できない感情を死 という極端で強いことばで表現しがちだ
友人がネガティブな意味で死 という言葉を使っているのを聞くと、やめてくれ!と叫びたくなる
私にとってあなたは大切で、いつでも笑わせてくれて、最高に素敵な人なのに!死にたいなんて言わないでよ!
そう思うけど、思うだけで言わない
だって結局これってエゴだし理想を押し付けてることになるから
私にとってどんなに素敵な人でも、死にたがる衝動こそがその人の本質で、部外者の安易な言葉は相手自体を否定することになりかねないから
私がどんなにその人に救われてきても、その人の心の傷は私では癒せないから
無駄にこういうところばかり、わかってしまって辛いなぁ
現代人は死 ということばと隣り合わせで生きている
それって、言語化できないぐらい、辛くて、苦しくて、孤独な悲しみを抱えている人が多いってこと?
人は、死ぬために生きるんだと思う
私にとっては、あなたの優しさが救いだった。でもその優しさは、過去の辛さゆえ身につけたものだったのかな
差し伸べてくれた手をとったあの瞬間、私の世界は輝いて、永遠なんてないって何度も思い知らされてきたのに、それでもこの時間がずっと続けばいいのになんて、傲慢にもまだ永遠を願ってしまうぐらいには幸せだった
太陽みたいに笑うあなたが好きだった。たまに見せる悲しい笑顔が好きだった。もっと見たいと思った。知りたいと思った。ああ、そうか。あなたにも忘れられない記憶があるんだね。その記憶を私は超えることはできない。あなたの瞳に映っているのは私じゃない。ああ死にたい
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