めちゃイケから学んだ「勢い」の話
昨日、Youtubeを見ていたらたまたま「めちゃイケ」がおすすめに流れてきた。昔のめちゃイケを何気なく見たが、その映像に衝撃を受けたので、今回はめちゃイケを見て感じたことについて書いていこうと思う。
めちゃイケといえば、僕が小学生だった頃に最も人気のある番組で、その頃はめちゃイケを見ていない男の子はいないほどの影響力を持っていた。
毎週、土曜日が来るのを楽しみにしていたし、コントや小コーナーはもちろんのこと、岡村隆史さんがEXILEと一緒に踊ったり、元SMAPの中居さんと一緒にはちゃめちゃなことをしたりするのを毎回待ち望んでいた。
しかし、中学校に入るやいなや、野球に追われてしまい、毎週8時にテレビの前でめちゃイケを待つことは難しくなってしまったため、そこからあまり見ることはなくなってしまったが、Youtubeのおすすめに出てきたことで小学校の頃の記憶が蘇り、何気なく再生をした。
少し見ていくうちに懐かしさを思い出し、心地よい気分がしていたのだが、冒頭から何かしらの異変を感じていた。昔見ていためちゃイケそのものなのだが、何かおかしさを感じてしまう。
岡村さんは昔と同じで相変わらず面白いし、他のメンバーもみんな仲よさそうにやっているし、多少企画がスレスレなところもあるが、それでもそこには小学生の頃の自分が熱狂していためちゃイケがただただあっただけだった。でも、明らかにあの時とは何かが違って見えた。
その理由は、すぐにわかった。それは、「勢い」だった。
当時は感じていなかったが、今見て見てると、めちゃイケは明らかに勢いが違った。今のどのテレビとも比べ物にならないし、今のどのYoutuberの動画と比べても勢いという点では次元が違うところにいた。
基本的に面白いを求めているという意味では、今地上波で流れているようなバラエティとなんら変わらないが、演者の身の削り方、番組の腹の括り方、演者と番組制作スタッフ全員の番組への思いが異常なのは素人目にも明らかだった。
今見てみると、それが「勢い」という形で現れていたし、当時小学生だった僕の目には面白いを加速させる形で働いていた。
メディア、人、コンテンツ
若者のテレビ離れが進み、テレビがつまらなくなったと言われていたりもするが、テレビがつまらなくなったのではなく、昔のテレビが面白すぎたというのが正解だろう。明らかに異常だし、めちゃイケがあの勢いのままずっと続く方が不健全であるとさえ思える。
ただ、一つ言えるのは「勢いのあるメディアに乗っているイケてる人達よる勢いのあるコンテンツ」は間違いなく面白いということである。そして、それこそが世の中を変えることができるということである。
だから、今の勢いなきテレビが世の中を変えるような影響力を持つことはないだろうし、Youtubeもそろそろ下火になっているような気がしている。
次はどのメディアが勢いを持つのかわからないが、勢いのあるメディアから勢いのあるコンテンツが生まれてくれば、間違いなく世界を変えるような影響力を持つであろうと思う。
勢いという話で考えると、大正~昭和期の文学も大きなエネルギーを持ったメディアであったと思う。文豪は何十、何百万部といった売上をあげていたし、何よりその文学によって一般大衆が大きな影響を受けていた。
まさに月曜日の小学校ではめちゃイケの話で持ちきりだったように、三島由紀夫といった文豪が新作を出せばそれで話が持ちきりだったようにも思える。
文豪一人一人の信念の強さが凄まじかったのもあるが、やはり書籍というメディアに勢いがあったのは間違いなかったし、そこにイケてる人達による勢いあるコンテンツがあったのは間違いない。
次世代の生き様は花火ようになる
そう考えると、勢いのあるところに自分の身を置くことが大事なことに気がつく。勢いなきところからは、どんなにいいものを出しても、そこにレバレッジがかからない。
しかし、現在はその変化がは激しいため、コンテンツの盛衰だけでなく、メディア自体の盛衰もまた数年単位で起こるようになった。
だから、自分の人生をかけて、そのメディアに身を捧げているのは最終的に自分の首を締めることになってしまう。現在、40代後半の芸人さんがよく「俺はテレビで育ったから、テレビを離れることはない」といっているが、22歳の僕から見ると勿体無いと思ってしまう。
あんなに実力があって、時代を変えるような勢いを持っていた人が衰えていく船にしがみついるのは、何故なのだろうと疑問さえ感じてしまう。
大正~昭和期の文学や平成のTVなど、勢いが半端じゃないメディアから学べるものが多い。それとともに、今後の時代も踏まえると昔と違う行動の仕方があることを思い知らされる。
メディアの盛衰が激しい僕らの時代で重要なのは、長く続けることではなくて「勢い」と「引き際」な気がしている。それも、週間最大風速のような一瞬の突風と、いさぎよい引き際といいた花火のような生き様が求められる。
だから、メディアから離れることを怖がってはいけないし、世間の目を気にして落ちぶれることを恐れてはいけない。こんなにメディアが変わるのであれば、落ちていくのも当然だし、世間から注目を浴びなくなる時期があるのも当然なことである。
大事なのは、何度も何度も復活を遂げるような勢いで一気に攻め立てることである。その一瞬にかけられないやつは、一瞬すら輝くことができない花火のような世界が今後待っている。
「勢い」は何にも勝ると最近すごく感じている。
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