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僕らには小説が必要なのか。①

はじめに。

はっきり言って、私のまわりで小説を読む人は少ない。
というか、いない!?

Netflixとかyuutubeは観てる。
マンガなら読むという人もいる。
だけど、小説を読む人は少ない。

芥川賞とったやつ読んだ?とか。
村上春樹の新作読んだ?とか。
まず話題にあがらない。
なぜだ。

僕のまわりのコミュニティがそーゆー人たちなだけなのか?
それとも、話題にださないだけで、
実は一人でこっそり読んでいるのか?

いや、でも、ひょっとして、、、
小説を読む人って少ないのか?

そこでふと疑問に思う。

僕らには小説が必要なのか。

podcast 超相対性理論 #13 なぜ、人は小説を読むのか。

参考までに聞こうと思って聞いたけど、
影響されまくっちゃいました。
なので、このPODCASTの内容をベースに話をすすめていくことにします!
変わるかもしれないけど、、、

お付き合いして頂けたら嬉しいです。


まだ現実にないもの。

iphoneがなかった頃。
スティーブ・ジョブスはみんながiphoneを手にとる物語を想像した。

起業するビジネスマンの多くは、
今の世の中を変えたい。
世の中にないものをつくりたい。と思い、
起業する。
そのためには、まだ現実にない、
(商品なりサービスがつかわれる)
物語をつくらねばならない。

起業するビジネスマンだけの話ではなくて、
僕たちは日常的に物語をつくり、行動している。

日常には、無限にプランA、プランB、プランCが存在し、
僕たちは物語を描き続けている。

気になる子とデートに行きたいと思った時。
LINEで連絡をするか、直接言うか、
いつ、どこで、なにをするか。
相手のことを考え、無限にある物語を想像する。

結果は置いておいて、、、


ほーらね、やっぱり小説は必要なんだよ。
と思ったが、
小説を読むのと、自分で物語を描くのとでは、少し違う気もしている。

本をたくさん読みなさい!
と小学校の頃、耳にタコができるほど言われてきたけど、
たくさん小説を読めばいい、というわけではない気がしている。

そこで、読書には、

手段としての読書と目的としての読書

がある。

手段としての読書というのは、
〇〇を学びたい、とか
泣ける小説、とか
目標を達成するために読書すること。

英語を学びたい→目的は英語を習得すること。
泣ける小説→目的は泣くこと。

自己啓発本やビジネス書などは手段としての読書にあてはまることが多い。

それでは、
目的としての読書とはどういうことだろうか??
純粋に文学を、ことばを、物語を、楽しむことだろうか??

目的としての読書

本題に少しそれるけど、

ある映画を話題に出したい。
「花束みたいな恋をした」
2021年公開。

こちらも是非ご覧くださいませ。
(まだ観てない方すみませんっ!)

ひょんなとこで出会う2人。
麦くんと絹ちゃん。
絹ちゃんは麦くんの家の本棚を見て
「これ、うちの本棚じゃん」
みたいなことを言う。
映画、音楽、小説、サブカルの嗜好がばっちり、
かみあう2人。付き合う2人。

時は流れ。あることがきっかけで、
麦くんは小説を読まなくなり、
自己啓発本・ビジネス本ばかり読むようになる。
しだいに2人の距離は離れていく、、

夢を追いかけていた頃の麦くんは、小説を読んでいた。
夢をあきらめ、就職した麦くんは、自己啓発本・ビジネス本を手にとるようになる。

これが切ない、、、

手段としての読書と目的としての読書、
両者を明確に区切る必要はないと思うけど、
この映画をみると、なんとなくわかる。

でも、ちょっと待てよ。
小説っていうのは、夢を追いかけているような、
時間にも余裕がある者が読むものなのか??


次号に続きます。

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