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「純喫茶」のどこが「純」?

よく見る「純喫茶」の看板。「なにがどう純?」と疑問に感じながらも大人になってしまいましたが、ちょっとしたきっかけで調べることになったので、その結果をなぐり書きしておきます。

日本における「喫茶店」の元祖は明治21年オープン

現在のような喫茶店の原型が日本にオープンしたのは1888年(明治21年)、上野に店を構えた「可否茶館」。ただしコーヒーは飲めるものの、トランプやビリヤードを楽しんだり、国内外の新聞や書籍を読めたり、シャワー室もあったりと、マンガ喫茶の原型みたいなもの。

ただし、価格はコーヒーが蕎麦の1.5倍。牛乳入りコーヒーに至っては蕎麦の2倍。そんな価格設定のためか4年ほどで閉店。

日本に喫茶店を普及させたのは女給による接客

喫茶店が人気を博すようになったのは関東大震災の翌年にあたる1924年(大正13年)で、銀座にオープンした「カフェー・タイガー」が代表的。ウェイトレスが派手な着物を着てキャバクラのように客の隣に座り、身体を密着させて接客するサービスが人気を博すように。
※女給の収入は、来店客からもらうチップのみ。

「カフェー・タイガー」の模様

こうした店舗と、現代の喫茶店とを区別するため、女給によるサービスがメインの「カフェー」と、飲料を提供する「純喫茶」と区別するようになったのが1933年(昭和8年)。

「純喫茶」を名乗り続けている店も多いですね

戦争によりコーヒー豆が贅沢品扱いに

ところが1937年(昭和13年)に始まった日中戦争により、コーヒーが贅沢品に指定され、輸入制限が開始。1939年(昭和14年)の第二次世界大戦開始に伴い、輸入は完全禁止となり、喫茶店は両業態ともに壊滅状態。

そんな純喫茶が復活したのは1947年(昭和22年)頃で、米軍の放出品を使ったGIコーヒーを使って細々と営業を再開。本格的に純喫茶が増えたのは、コーヒー豆の輸入が再開された1950年(昭和25年)以降。

女性のサービスを売りにしていたカフェーは、戦後に「バー」や「クラブ」という名称に変更。

現在の「キャバクラ」業態も、喫茶店からの派生の一つ?

僕は昔から「純喫茶」の「純」ってなに? って疑問に思っていたんですが、戦前の日本では不順な喫茶店(後のバーやクラブ)の方が「喫茶店(カフェー)」を名乗っていたと知って笑顔になりました。

そして「カフェ」じゃなくて「カフェー」という名称も、葛城ミサトさんの「エヴァー」みたいだな、とか思いつつ・笑

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