ペットロスの感情を言語化しておきたい
セキセイインコの死から、18日経過
8月30日(金)朝、鳥かごに掛けていたタオルを取り除くと、鳥かごの床にセキセイインコが倒れていました。8年3ヶ月間、可愛がっていたインコが亡くなったのです。
前夜は、いつものようにインコをかごに戻し、タオルを掛けて安眠できるようにしていました。ただ一つの違いは、僕のミスで鳥かご用ヒーターのスイッチを切るのを忘れていたこと。
大往生と思いたい…けど
セキセイインコの寿命は、5~8年と言われています。8年3ヶ月生きた彼は、すでに老鳥になっていました。ですが羽毛で覆われている鳥類は、肌が露出している人間とは異なり、肌のシワやシミ、白髪などの変化がなく、人間から見ると成鳥と老鳥の見分けはつきません。今にして思えば、食べる餌の量が減ったことや、飲む水の量が減ったこと。水浴びをしたがらなくなったことなども、老化の前兆だったのでしょう。
体毛が抜け始め、ピンク色の肌が見えている場所があったことは認識していましたが、肌荒れしているのかな? くらいに思っていました。これを肌荒れしていると誤解した要因は、最近の彼の行動にありました。彼はこの1年くらい、体温調節が上手くできなくなったのか、冬はもちろん、真夏でも部屋の温かい場所を好むように変わったのです。
暖かい場所を探すようになった老鳥
僕が仕事で使っているゲーミングPCのキーボード上は、CPUとビデオボードの発熱で、かなりの熱さになります。そこでじっと寝ていることも多いばかりか、僕が不在でゲーミングPCが起動していない時は発熱がないため、Echo Show 5 with Alexaの上に止まっていました。妻はAlexaのヘビーユーザーなので、Alexaの液晶がONになっている時間が長く、発熱しているAlexaの上に止まっていたのです。
僕の家では夫婦ともにフリーランスで自宅作業なので、放鳥時間は1日12時間。インコも若い頃は放鳥中、よく遊んでいましたが、老化に伴って眠る時間が長くなり、12時間中10時間くらい眠っていたような印象です。
1日5時間、僕の左手に握られていたインコ
また、僕が近くにいるときは高頻度で僕の手のひらに頭をこすりつけてきて、手に握られているのを好むようになりました。セキセイインコは、身体が弱ってくると甘えん坊になるという話を聞いていたので、時間が許す限り、できるだけ彼を握っていてあげたいと思っていました。その間、インコは安心したように目を閉じ、僕の手の中で眠っていたのです。
当然、昼間の5時間もインコを握っていると、パソコンのキーボードを入力するときに左手が使えず、キーボード入力速度は大幅に低下します。でもSHIFTキーを押さえたい時などは、鳥を握ったままの左手の人差し指を使うなど、今夏にはかなり慣れてきたのも事実。
さらに、僕はゲームが趣味なので、仕事が一段落ついた時などに「ちょっとゲームでもするか」と、PlayStation 5のDualSenseや、Nintendo SwitchのProコントローラーを握ることもありましたが、インコはコントローラと僕の手の間に割り込んできて「僕を握って」と大アピール(タイトルに使っている写真を参照)。そりゃあ、昼間はゲームなんてできるはずもなく。最後の数ヶ月は、1日5時間程度握っていたと思います。
地肌が露出している部分を肌荒れと誤解
いくらクーラーが効いている部屋とはいえ、インコを手に握っていると手汗をかきますし、手が痺れてインコを放つ頃には、インコの羽毛は僕の汗で湿っていました。彼の地肌が見えている、羽毛が生えていない部分は、僕の手汗の影響で肌荒れしているんだと誤解していました。
そんな彼の行動を見て、昨冬からは鳥かご用ヒーターを導入しました。鳥かごの内側に取り付けると、周囲に近づいた時にほんのり暖かい、程度の発熱をしてくれるグッズです。
2024年の猛暑が酷かったことは、日本人なら誰でも記憶に刻まれているかと思います。このため、人間が参ってしまう前にとリビングルームではクーラーを常時使っていた影響もあり、ヒーターに寄り添う彼の姿もよく見かけました。
そんな状況だったので、寝かしつける時にクーラーを消した状態でも、ヒーターをONにしたまま夜を過ごさせてしまったことも何度かあります。でも、8月29日(木)の夜にヒーターのスイッチを切り忘れたことだけは、未だに後悔していますが。
鳥かごの床で横たわるセキセイインコ
僕はいつものように鳥かごに掛けたバスタオルを外し、彼のことを目で探しました。
「床で冷たくなっていたら、どうしよう」
そんな不安は、ここ数ヶ月ずっと抱えていました。その不安が的中してしまったのが、8月30日(金)だったのです。
「亡くなってる」
一目見ただけで、彼の生命の灯火が消えていることがわかりました。その上で手を伸ばし、彼を手で包み、持ち上げました。ヒーターの影響もあってか、彼の身体がほんのり暖かく感じたのを覚えています。
遺体を「触れたくない」と敬遠してきた50代男性
僕の父親は10人兄弟ですが、兄弟と仲が悪く、親戚付き合いはほぼゼロ。母親には腹違いの兄がいましたが、富山の山奥に住んでいたため、交流も少な目。このため、僕は親戚の葬式に出席するという経験がほぼゼロのまま、大人になりました。
もっとも身近な遺体との遭遇は、道路で轢かれて亡くなっている猫や鳩の死体くらいのもの。そして、「触れたくない」というイメージを持っていた僕。
仕事の同僚のご両親が亡くなられた際には葬式に参列もしましたが、初めて見る老人の遺体には何の感情も湧きませんでしたし、僕との関係性も希薄だったので「最後のお別れを」と促されても、社交辞令で遺体の顔を覗き込むのみ。
幸いにも、僕の両親はまだ健在なのもあり、「遺体を敬遠したい」という気持ちを持ったまま50代になったのです。
15年過ごした愛犬の死と、目を背けた僕
こんな僕ですが、ペットロスの経験がゼロというわけではありません。小学生の頃に飼っていた猫は、15年ほど経った頃に家に戻らなくなりました。昼間は外へ出していた猫だったので、死期を察して家には戻らなかったのかもしれません。
次に飼ったドーベルマンは、15年飼っていましたし、末期は両目が白内障で視力を失っており、家の中でも壁にぶつかって歩くような状態だったため、死期が迫っていることは察していました。
そして、いよいよ危ないかも? という状態になった日でも、僕は彼の看病を母親に任せて、編集部へ出社しました。そして昼過ぎ、号泣した母親から電話がかかってきて、犬が亡くなったことを知らされました。
僕は一人っ子だったこともあり、犬はまるで弟のように可愛がっていました。でも、死に向き合うことが怖く、遺体を見たり、触れたりするのも避けていたと思います。結果、火葬も母親に任せてしまいました。
そう、僕は「死」から目を背けて生きてきたのです。
そんな僕ですが、セキセイインコの死を目の当たりにしたとき、人生で初めて、遺体を「愛おしい」と感じたんです。
見たくない気持ちと、知りたい気持ち
インコの老いを感じるようになってからは、心のどこかで彼とのお別れを意識するようになりました。
「縁起でもない」という見たくない気持ちと、「彼が喜ぶことをしてあげたい」知りたいという気持ちの狭間で揺れ動く感情のなか、検索していたのは「死期が近いセキセイインコ」の動画。
複数のセキセイインコを飼育している方が、死期が近いインコと、元気なインコを同時に放鳥している動画。元気なインコは、死期が近いインコのくちばしを90度方向から優しく甘噛。これが、インコ同士のキスであり、愛情表現なんだと感じました。ちょうど、親鳥が生まれたばかりの雛鳥に餌を口移しで食べさせている姿と同じだったからです。
そこで僕は、インコが僕の手の中で眠っている時は、思い出すたびに彼のくちばしを、僕の唇で優しく包む行動をしてあげるように意識していました。くちばしを包まれた彼は、いつも満足そうに瞼を閉じ、受け入れていた光景を今でも鮮明に覚えています。
なにもかも、昨日までと同じように
セキセイインコの遺体を手で包み、彼が自ら望んで握られていた、昨日までと同じように包んであげました。昨日までと同じように頭を指で撫で、昨日までと同じように、くちばしを包むようにキス。昨日までと同じように、彼の名前を呼びました。
昨日までの彼なら、それで満足そうに瞼を閉じ、安心しきったように僕の手のひらの中で眠りにつきます。でも、今日は握っても彼の瞼はまったく動きません。それ以外は、彼の羽毛はまだ柔らかく、昨日までと大きな違いは感じられません。
「ペット火葬をお願いしなきゃ」
妻や子供が取り乱している姿を見て、僕がしっかりしなきゃ、と気持ちを整えて。
先ずは、彼が入る小さなサイズの段ボール箱を探し、その中に保冷剤を敷き詰め、(猛暑なので)彼の遺体が腐らないようにとの配慮。
次に、ネットでペットの火葬業者を検索。同じ市区町村内に、1.8万円で個別火葬をしてくれて、骨壺に入れてくれるサービスを発見。電話で予約を取ってみると、20時頃に火葬車で来てくれるとのこと。
妻はその日、出張に出かけることになっていたので、後ろ髪を引かれながらも予定通り出発。僕は子供たちと共に、火葬車の到着を待っていました。
1~2時間ごとに、遺体を手で包む僕
火葬車が到着するまでは、約8時間。それまで1~2時間に一度のペースで、箱から彼を取り出し、撫でたり、キスをしたり、彼の写真や動画を撮影したり。遺体の写真やビデオなんて、誰も観たくないでしょうけれども、自分のために撮影しました。
遺体に外傷がなく、生前とほとんど変わらない外観だったこともあってか、遺体に対して「気持ち悪い」とかいう感情は一切なく、ただひたすら「愛しい」という感情のみで、インコの遺体に接していて。
火葬車を前に、最後のお別れ
そうこうしているうちに、火葬車が到着。業者から「最後のお別れを」と促され、もう一度だけ彼の遺体を撫でる僕。息子たちにも「お別れしな」と促すと、次男坊は僕や火葬業者の前なのに「うわぁ…」と号泣。
彼はいま19歳の大学2年生ですが、小5の時から毎日を共に過ごした家族が、今日でお別れ。家族の声真似をして「ぴ~ちゃん!」と鳴いていた、大切な家族。
会社の保養所へ家族旅行へ出かけるときも、車に鳥かごを載せて一緒に旅行。保養所の中で放鳥し、家の中と同じように過ごさせてあげました。退去時の、フンの掃除は大変でしたが。
彼が物心がついてからの人生、半分以上を共に過ごした家族の死を受け入れなければならないのです。そりゃあ、号泣します。
1時間ほどの火葬時間を経て、火葬業者から骨壺を受け取りました。Google Mapsのレビューを書いたことで、通常は追加料金となるペンダントトップ型の骨壺もサービスで受け取ることができました。
ペンダントトップ型の骨壺
このペンダントトップは、次男坊へ。彼に色を選ばせたとき、最初は黒色を選ぼうとしましたが、「やっぱり青で」と、青色に選び直し。セキセイインコの体毛が青だったので、似た色を選んだんでしょう。
自室に籠もっていた彼に、ペンダントトップを届けに行く僕。まだ反抗期が終わらず、家族とのコミュニケーションを拒否しがちな彼ですが、ペンダントトップを受け取ったあと、ドアを閉めると聞こえてくる、彼の嗚咽。
わかるよ、父さんも悲しいもの。
自責の念が続く日々
あれから、18日。
最初の頃は、ヒーターのスイッチを切り忘れたことで、「亡くなる時、暑かったかな。苦しかったかな。ごめんね」という後悔と謝罪、そして自責の念が果てしなく続いて。
一週間ほどが経過し、「彼は暑いところへ好んで留まっていたくらいだから、ヒーターがONになっていたことは死因ではない」と納得できるようにはなりました。ある程度は、ですけど。
この日から、仕事のモチベーションはだだ下がり。趣味であるゲームも、やる気がしない日々が続きました。
ましてや、練習中だった『ストリートファイター6』は、インコがコントローラの間に割って入ってくるくらいだったので、「練習したいのに、インコが邪魔だな」という感情を持ったことがある、過去の自分の気持ちを思い出すと、後悔する気持ちが強くなってしまって。
慰めてくれる友人・知人たちの言葉も届かず
ペットロスしたことをTwitterに投稿しようとも考えましたが、別に知らせたところで慰めの言葉がほしいわけではありません。この気持ちは、僕と、その家族以外には(正確には)伝わらないと思ったからです。
ただ、一方で「このペットロスの感情を、言語化して残しておきたい」という気持ちは強かったので、Facebookでのみ、ペットロスしたことを報告しました。
すると友人・知人たちから「ご愁傷さまです」「何かできることがあれば言ってください」というコメントが届きつつも、「可愛がっていたペットを失うと辛いですよね」というDMを頂戴したり。いや、そのお気持ちは嬉しいんですが、今回の傷心を正確に共感してもらうことは不可能だとも感じていました。
例えるものが見つからない、ペットロスの傷心
誰にも共感はしてもらえないまでも、「このくらい傷心している」という気持ちを伝える手段はないものか? と、色々考え始めたのが逝去から10日ほどが過ぎた頃。
自分の子供たちが亡くなったのと比べるのは、ちょっと大げさ。たとえば、自分に懐いていて、同居している甥っ子や姪っ子が亡くなったら、このくらい悲しいのではないか? とも考えましたが、ちょっとイレギュラーケースなので実感できそうにないとの判断。
自分が推している芸能人や、ストリーマーが突然死したとしたら? とも考えましたが、これも違う気がして。
可愛がっていたとか、愛着があるとか、愛でる対象が亡くなった「だけ」ではないんです。毎日5時間も握って、スキンシップして、僕へ全幅の信頼を寄せていた生命が亡くなったこと。そして、最後の夜は僕のミスで暑かったかなという後悔。
考えれば考えるほど、この悲しみを他のものに例えるのは不可能で、かつ、共感してもらうことも無理だということを再確認しました。
親友からの一言で、ペットショップへ
そんなある日、親友から「ペットロスを解消するには、新しい子をお迎えしてみては?」というアドバイスを頂戴しました。
そのアドバイスはまあわかるんですが、僕にとってインコの死は「愛でていた対象の喪失」ではないんです。次の子をお迎えしたところで、この哀しみが解消することはないと思っていました。
とは言え、騙されたと思ってペットショップの、セキセイインコのコーナーへ行ったのがついさっき。
8年前にセキセイインコをお迎えした時と同じ、小さな雛がヒヨヒヨと鳴きながら、眼の前にいる僕に反応している姿は、見ていて微笑ましくなりました。でもね。
雛鳥を見ていると、やっぱり亡くなったセキセイインコのことを思い出してしまいます。悲しまないまでも、彼のことを忘れてしまうのは彼に失礼だという感情もあって。
新しい子をお迎えするのは、当面というか、一生無理のような気がします。こんな哀しみを、二度と味わいたくないので。
笑って彼のことを話せる、その日まで
いつか、「彼は晩年、ずっと僕に握られているのが好きな、おじいちゃん鳥だったよね」と笑える日が来るまで、もう少し掛かりそうです。
精神科医の友人いわく、「人間の記憶は、最長70日で薄れていくもの。失恋や両親の他界、ペットロスなども、70日経過するまでの辛抱」とのこと。まだペットロスから18日しか経っていない僕にとっては、まだ50日かかるのか…という気持ちもありますが、それでも少しずつ、心の傷が治癒してきている実感はあります。
夢で再会できた、若き日のセキセイインコ
数日前、セキセイインコと戯れる夢を見ました。年老いていた彼ではなく、まだ若くて落ち着きがなく、元気に飛び回っている姿を見せてもらいました。
ちょっと面白かったのは、その夢の中で僕は「これは過去に撮影した動画を再生している。つまり、この世界線で生きれば、セキセイインコが生存するルートも可能?」とか考えていたこと。ゲーマーというか、バカですね。
バカにならないと、やってられない
セキセイインコが亡くなって、もう18日。でも、未だに部屋の掃除をすると、彼から抜けた羽毛が落ちているのを発見します。そのたびに、「天国から飛んできてるのかな」「僕の肩に止まってるのかな」「今は大空を自由に飛び回ってたりして?」なんて、バカみたいなことを思えるくらいには心が回復しました。
ただ、書いている今、涙はぼろぼろ溢れています。
この文章を書くに至った経緯
「人生で初めて重度のペットロスを経験し、その記憶が鮮明に残っている今、この心理状態を言語化して残しておきたい」これも、彼に対する供養の一つ。そして、自分の気持ちを一区切りさせる手段だと思って、仕事の合間にこの文章を書きました。
彼の骨壺の近くを通ると、抱きしめます。家に僕しかいなければ、リビングの中で彼の名前を呼びます。少しだけ、目が潤みます。
家族全員がセキセイインコのファンだったので、似た色のインコグッズを見つけては買って帰る生活でした。いま、骨壺の周りには家族が買い集めたグッズのうち、小さなものだけを持ち寄り、飾っています。
少し前までは、お仏壇のはせがわが作ったミニ神棚を購入して骨壺を飾ろうかとも思っていましたが、ちょっと違う気がして。僕の書斎の背面にある本棚の最上段を空けて、そこに僕と妻の結婚式や、息子の1歳の誕生日写真等と一緒に、骨壺とグッズを飾ったんです。次は、彼の生前の写真をプリントアウトして、フォトフレームに入れて飾ろうとも考えていて。
亡くなったペットを「祀る」のではなく、忘れられない、大切な想い出の1ページとして、そこに並べようと考えたんです。
笑顔で骨壺に話しかけられる日が、1日も早く訪れますように。
こんな駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。