未来を担う子どもたちにオトナである私たちができること
子どもの頃、無条件に信頼できるオトナに出会いましたか? 今から少しだけ、子どもの自分に戻って回想してみて下さい。
うんうん!いたいた!
その方のお顔が浮かんだり
そんなオトナなんかいなかったし!
良い思い出なんかないよって方もいらっしゃるかと思います。
「どうせ言っても叱られるだけ」
子どもにとってオトナという生き物は、大きくて、頼れるけど、言葉や力ではかなわない、おっかない存在ではありませんでしたか?
親はやさしいけどこわい存在で、喜んでくれるのは、結果を出した時だけ。テストで良い点をとった時とか、何かで他の子より秀でた結果を出した時とか。(ウチだけかも知れませんが・・・)
親に喜んでもらいたいから嘘をついたり、その嘘がバレたら物凄く叱られて。なんで嘘つくまでに至ったのかを聞いてくれればいいのに、それが一切無かったりする。
オトナになった今なら、親もただの不器用な人間で、必死に生きていたんだなって分かるのだけど、子どもにとっては絶対的な存在で、見放されたら生きていけないから、こちらも必死だったんですよね。
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昭和の時代は、個性は潰され、みんなと同じじゃなければいけなかった
特に私は変わった子どもだったので、おかしなことばかりしていたと思います。落ち着きがなかったし、空想ばっかりしていたから。
親には遊んで寝てばっかりで勉強しなさい!やればできる子なんだから!と言われ続けましたが、やらなくてもそこそこできた自分に気付いた時に、なんだ、十分じゃん!と思って、親が期待する「努力する子」にはなることができませんでした。
ただ親に感謝できることは、私の変な空想話を否定せずに聞き続けてくれたこと。これだけはありがたかったなって思います。きっと、外ではヒヤヒヤしてたんだろうなぁとは思いますけどね。
さて、最初の問いに戻りましょう。
子どもの頃、無条件に信頼できるオトナに出会いましたか?
私がオトナで信頼した人は、はじめて「私」を無条件に受け止めてくれたオトナでした。
それは小学校高学年の時の担任のM先生。先生との出会いが無ければ、もしかしたら今の私は無かったかも知れないと思うくらいの存在でした。
それまで出会った先生は、人とはちょっと違う個性の私に対して、集団で行動することを強い、私の発言はおかしいからみんなの前では言ってはいけないし、その考えも普通じゃないよと諭すばかりでした。
この刷り込みは強力です。
私って変なんだ、人と違うんだと、あんまりしゃべらなくなったし、学校では暗めで内向的な子どもになってしまっていました。
M先生は他の先生とは違っていました。
空想あふれる私の詩をほめてくれて、もっと書きなさい、みせなさいと言ってくれたのです。それをきっかけに、先生との交換日記での交流がはじまりました。
殻に閉じこもっていた私は、分かってくれる大人がいた!!と言う喜びからか、詩だけでなく、どんどん積極的になっていきます。M先生は何事も、結果ではなく、そのプロセスを非常にほめてくれました。それは私のやる気スイッチを押し、いつしか運動も勉強も、頑張るようになっていたのです。
計算が得意なこと
なわとびが得意なこと
マラソンが得意なこと
私の承認欲求を満たし、視野を広げてくれたことは、ほんの些細なことだったのかも知れません。ですが、確実に私の可能性の扉が開いたのです。
今、振り返ると、M先生は素晴らしい教育者だったのかも知れないけれど、子どもにとっては無条件に信頼できる理解者だったのだと思います。
オトナって、ついつい良かれと思って、自分の価値観で子どもが困らないように、間違わないようにと、先に手を出してしまいます。
失敗しないように
失敗させないように
そのまま成長した子どもか大人になり社会に出たら・・・?
自分で問題解決ができないかも知れません。
子どもから学び、オトナも失敗を繰り返しながら親になっていく・・・それで良いと思うのです。完全無欠な人間なんて存在しませんよね。
私は、成熟した人間関係が育めるオトナでありたいし、未来を担う子どもたちにもそうなって欲しいと思っています。
それにはやはり教育が大切。
みんな同じでなくていい
自分軸
なんて良く聞きますが、私たちオトナが多様性を認め合う教育を受けていないから、なかなかそのマインドにはなれていないのが現実なのです。
多様性を認め合い、お互いを尊重し合う
頭では分かって言葉にしていても、みんなと同じ、出る杭は打たれる日本社会で育ってきたオトナには少しばかりハードルが高いのです。
けれど時代はグローバルです。自分で考えて行動することのできる、自律した人材が求められる世の中へと確実に変わっています。
未来を担う子どもたちに、オトナの私たちが変わらなければならない、そんな時がきています。
民主主義は多数決じゃない。ひとつの目標のために、みんで話し合う。
少数意見も排除しない。
まずは自分と違う考えが出た時に、否定せず、常識はとっぱらって、とことん聞く、意見を交わす。同じゴールにたどり着くための方法をとことん話し合う。まずはそこからはじめてみる。
子どもとの関係も、オトナ同士の関係も、まずはそこからはじめてみよう。
私たちオトナも未熟な人間。
完璧であろうとはせず、失敗は当たり前と思って、まずは行動してみる。
私も失敗だらけで玉砕するし、論破しちゃう時もあって、自己嫌悪することもあるけど、未熟さが分かっているゆえ、変わらなければ!変わろう!と、コツコツ努力しています。
小さなウェーブが大きなウェーブになります。
日本を、世界を変えることだってできると信じていればそうなりますよね。