#12. 背番号42
みなさんこんにちは
野球大好き福良美恵です。
私が生まれた1997年
メジャーリーグの全球団で
「42」の背番号が永久欠番になりました。
ジャッキー・ロビンソン
知ってる人も多いと思いますが、
20世紀以降にアメリカ球界の人種差別の撤廃に
大きく貢献したジャッキー・ロビンソン氏
その功績を称え、出場選手全員が背番号「42」のユニフォームを着用して試合が行われます。
ロビンソンは、
1947年4月15日に
アフリカ系アメリカ人として初めて
メジャーデビューを果たしました。
人種差別が根強く残っているアメリカは
黒人がホテルに宿泊することも許されなかったり、
トイレも白人と一緒には使えないという
そんな時代でした。
ロビンソンがメジャーデビューを果たす際には、
所属するブルックリン・ドジャース(当時)以外の全球団から出場に反対する声が上がっていたり、
ロビンソンが出場するなら対戦を拒否するといった球団や、チームメイトにもロビンソンと共にプレーすることを嫌がり、トレードを志願する選手が出てくるほど。
かなりひどい扱いを受けながらも、
彼はずっと野球をし続けて、挑戦し続け、
そして、活躍して
他球団の選手やファンに認められ
様々なタイトルや賞を獲得し、
輝かしい功績を残したことで
有色人種のメジャーリーグ挑戦への道を
切り開いた人物
その人がジャッキー・ロビンソンです。
そして日本球界でも42番をつける選手がいます。
そのほとんどが外国人選手です。
アメリカでは欠番になっているため、
日本に来て42番をつけたいという選手が多いのかもしれませんね。
外国人選手にとって、
ロビンソンがつけた「42」番をつけることは
それほど光栄なことなんです。
最近では、
中日ドラゴンズのブライト選手が
42番をつけています。
ジャッキー・ロビンソンは
大きな犠牲を払いながらも、
人種差別撤廃の象徴として、
野球界だけでなく、世界史の偉人として
功績を残しました。
そんな彼のことを
毎年この時期になると思い出して、
彼からパワーをたくさんいただいています。
いつの時代にも挑戦には
批判がついてまわるもので、
自分を変えたい、
周りを変えたい、
何かを変えるために必要なのは
挑戦
そしてその挑戦を続けること
でも挑戦し続けなければ何も変わらない
ということを私も彼から学びました。
きっとこのnoteも
誰かが見てくれている人がいる!と信じてます。
そして
私にしかできないことを
やってみたい!
と思わせてくれるやる気が
毎年この時期に強くやってきます。
いつも彼からモチベーションをいただき、
勇気を出して挑戦することの大切さを
再確認する。
私にとっても大事な時期です。
人種差別をのりこえたメジャーリーガー
ジャッキー・ロビンソン
「42〜世界を変えた男〜」
映画にもなっています。
気になった方はぜひ一度観てみてくださいね。
すごく心を動かされる作品です。
野球に興味がない人も、
ぜひ見て欲しい内容になっています。
今回は
野球界の偉人
ジャッキー・ロビンソン氏についてでした。
また来週も
ぜひ読んでみてくださいね。
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