おはつです。その2
おはつです。の、続き…です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
はい、私が隻眼になったワケ。
原因は不明なんです。
2011年10月15日、sunriseに乗りに行ったこの日が右眼の視力最後の日でした
この日は初のカツオにキャッキャしてテンション上がりまくってました
カツオナブラって凄いの!
鳥山がわぁーってなって水面ばっちゃばちゃして(語弊力なし)
いいサイズのカツオをしっかり持って帰って、まだ2歳の長男にむっちゃ自慢してました(笑)
この日には何もおかしな事はなかったんです
1つあるのは日焼けがヤバかった。位です(笑)
で、翌朝おきたら視界がおかしいんです(т-т)
右側だけ全く何も見えない。
私の顔見て息子が「お化けー」って泣くんです。
パニくるよね
で、旦那さんも「ヤバイヤバイ」と動画を撮り出す。
それ見て絶句。
右眼の黒眼が無いんです…
そりゃお化けだ。
すぐかかりつけの眼科に行ったら開口一番
「えっ?ごめん、なんで?人間の身体で有り得ない事起きてます」と言われ、すぐ様、佐賀大学医学部附属病院へ転院
たまたまその時期にいらした先生が神経眼科の先生で脳外科と眼科を行ったり来たり。
どちらの先生方も「意味が分からない」という状態
緊急でMRIを撮ったりしたんだけどとにかく右眼の眼球側の筋肉や脂肪が腫れててわかり易く言うなれば「斜視」の様になって黒眼の位置が上まぶた側に回転してる状態。
見た事もないと言われ、原因も分からないと言われそれから私の隻眼人生が始まりました。
多分その時点ではまだ視力はあったかもしれません。
でも自力では黒目が正面には戻らないし目を動かそうとすると激痛とブチブチッという感覚で動かせない。
それから眼帯で眼を隠しながらの生活が始まりました
脳外科の領域が原因なら生命に関わるかもしれない
それからは毎日が恐怖との戦いでした。
痛くて痛み止め飲んでも効かない
先生達は「解らない」の繰り返し
医大を皮切りに全国津々浦々の大学病院を紹介状持って行脚しました
けど、行く先々で「?」ばかり
中々疲弊するもんでした。
ちょうど1年位した時、現場で仕事中に胸痛で動けなくなり現場近くの大学病院の救急に連れて行かれました。
そこでまさかの甲状腺機能亢進症、
通称「バセドウ病」
が、見つかった。
その流れで内分泌科の先生か眼は「バセドウ病眼症」ではなかろうかと仮説を立てられ、そのまま検査入院となった。
で、眼科医の診察だったんだけど。
まぁ、この時の眼科医の発言や治療は許し難いものだったって言うのが思い出。
バセドウ病自体も甲状腺クリーゼという状態を起こしてたから安定化を図るためにそのまま入院が必要だったんだけど、眼科医は「内分泌科はバセドウ病眼症なんて言ってるけど、これ腫瘍が悪性化してるから、すぐ抗がん剤を初めます。」とな。
「はぁ?」ってなるやん?
いきなり悪性腫瘍とか。
1年色んな眼科医の先生がみて細胞検査もしたなかで、グレーゾーンだけど、悪性とは言えない。が、これまでの診断だった。だからこそ診断に納得いかない旨伝えたら
「ボクが診断してあげて治療決めてあげるんだから。文句言わないの。痛み取りたいでしょ?」
と、診断を押し付けられた。
翌日から抗がん剤と放射線。
死ぬかとおもうくらい吐いたし泣いてた。
甲状腺の数値が落ち着いた瞬間に目の治療も1クール目がおわったから、即退院した。
もちろん痛みも改善しないし眼瞼下垂も眼窩の腫れも変わらない。それに合わせて副作用で吐くし頭痛はヤバいしで生きた心地しなかった。
そんな折、お盆参りに熊本から大叔母が来佐した。
死んだ魚の目をしたあたしを見て熊本のある眼科を紹介してくれた。
治療に納得出来なかった私は休み明け、熊本に走った。
これが、転機になりました。
と、まぁ長くなったので続きます(笑)
BURSTの事何も触れてないけど許してね(笑)
でわ、また。